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誰も知らない廃墟マニアの世界
お久しぶりです。無職の中村です。
今日は満を持して廃墟マニア時代の話をしようと思う。
先に断っておきますが、世の廃墟写真のほとんどは不法侵入により撮影された写真であることをまず知っていただきたい。
かくいう私も中学生の頃から廃墟探索を始めましたが、当時は静かに忍び込んで廃墟を撮影していました。
現在は、許可を取れる廃墟や、登記簿上、所有者が行方不明の法的に罰則のない廃墟に行っています。
今回は、近年の心霊ブームや廃墟ブームで逮捕者や危険な目に遭う方を減らすためにも私の過去の廃墟探索時に起きた危険な出来事をお話しします。
今回話すのは不法侵入ではありますが、全て遠い昔に時効を迎えているし、私も当時のことは反省しているので、不快に思う方もいらっしゃるかと思いますが、自分はこうならないようにと反面教師として聞いてくもらえれば…。また、こんな世界があるんだということも知っていただければ。
廃墟の危険①所有者と遭遇
「所有者と遭遇」これが一番危ないこと。危ないというより、所有者がいる廃墟に立ち入ることは違法なことなので、立ち入らないようにという注意喚起の意味でお話しします。
私は関西出身で大学進学まで関西に住んでいたので、関西の廃墟をとにかく巡っていました。
その中でも、当時廃墟マニアでも侵入することがタブーとされていた「奈良ドリームランド」で遭遇した出来事は私の中で記憶に残っています。
奈良ドリームランドに初めて入ったのは中学2年生の頃です。
2012年の当時、日本全国に廃墟マニアは一定数存在しましたが、その中でも長崎の軍艦島、東京の府中米軍基地、神奈川の根岸競馬場、そして奈良ドリームランドは非常に警備が厳重で廃墟マニアでも立ち入らない、いわば"タブー視"された廃墟だったわけです。
そんなことも知らない中学2年生の私は友人を引き連れて奈良ドリームランドに忍び込むわけです。
遊園地の廃墟は世界でも非常に少なく、かつ奈良ドリームランドは非常に大きな遊園地だったので、そんな中に私たちしかいないという空気感が不気味でもあり、ドキドキするようなそんな感覚だったのを覚えています。
その日は警備をやっていなかったのか、なにもなく後にするのですが、そこから廃墟の魅力に取り憑かれた私は1人で何度も奈良ドリームランドに足を運ぶわけです。
確かあれは高校2年生だったと思います。奈良ドリームランドがそろそろ解体されるかもしれないというニュースを聞いてこの目で見れるのも残りわずかだということで学校が休みの日に1人で忍び込みました。
奈良ドリームランドにはASKAという木製コースターがあり、ジェットコースターの上を歩けるのが私の中での醍醐味だったわけです。
その日もせっせとASKAのコースター上を歩いて頂上を目指していた時…。
![](https://assets.st-note.com/img/1730968902-n0oQlzcBh7b9Cv5fFJ8ZtNma.jpg?width=1200)
今思うといつ朽ちて崩落するかわからない木製コースターの上を歩くのはアホである
園内を白いハイエースが爆走しているではないか。
それを見た私は瞬時に警備の巡回であることを理解し、高速で脳内をフル回転させた。
高2の私はここですぐに降りるのではなく、上からハイエースの動きを見て、さらにハイエースが通れない小さな道や死角を通って逃げようと判断して、頂上付近まで静かに登ることを判断しました。
(まあ今思うとハイエースから見えていたような気もする)
頂上まで到着し、身をかがめハイエースの様子を見ると、停車したり発進したりを繰り返しており、私の視力2.0の両目を凝らすと何やら移動しながらその場その場の草刈りや作業をしていることがわかりました。
「よし、気づかれていない」
逃走経路を確認し、高速でASKAのレールを降りて、エンジン音を聴きつつ廃墟となった遊園地を駆け抜ける。
途中、目の前をハイエースが横切るなど予想外のアクシデントはありつつも、こうやってnoteを書けているということは何事もなく出ることができたわけですね。
ちなみに当時の私の侵入経路は決まっていて、多くの廃墟マニアは園内東側にあった大きな駐車場から園内に入るパターンと、園内の有刺鉄線を頑張って乗り越える2パターンだった。が、どちらもかなり高い壁を越えたり、怪我をする恐れもある入る方であり、奈良ドリームランドを知り尽くした私は楽な方法を知っていたわけですね。
当時、園内北西にもかつての来園者用の小さな駐車場があり、そこは身長と同程度のフェンスしか設置されておらず、そこから高架が伸びており園内にただ歩いて侵入できるというルートです。
もう解体もされたし書ける話です。
地図を見れば一目でここから入れるじゃんと気づくのですが、あまり知られていなかったルート。そういやもう一つ西側の門から入るルートもありましたね。
ということで懐かしの奈良ドリームランドでの話でした。当時撮影した写真をいくつかお見せします。
![](https://assets.st-note.com/img/1730970651-EYfaw3cjNToybMdJgxeRPDKW.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1730970651-wvlBLuajzPfXMx6ZsdiDWhcq.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1730970651-fcUQhXRVsDbaI93oiZ0CO4z6.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1730970651-MpdCPYEyqRIBT2r3xJXte7Uk.jpg?width=1200)
廃墟の危険②所有者と遭遇part2
これまた所有者と遭遇したお話しをもう一つ。
あれは尼崎らへんの廃医院だったと思う。高い塀に囲まれた小さな街の木造医院の廃墟で所有者と遭遇した話。
2015年ごろ、廃墟マニア界隈で廃医院がトレンドになっていました。
廃病院ではなく、廃医院。何が違うかというと、廃病院はコンクリートでできた現代的な怖いイメージの建物ですが、廃医院は木造の小さな病院。
つまり、怖くなく、かつ木造なので温かみがあるわけなんです。
まあそれはどうでもいいんですが、尼崎付近に廃医院があると情報を嗅ぎ付け、実際に現地に足を運び、高い塀をよじ登って侵入したわけなんですね。これも当時高校2年生くらい。
身長を遥かにこえた塀だったわけですが、高2の身体能力は凄まじく、いとも簡単に越えられるんですね。今じゃ無理。
そして中を撮影しようと三脚を準備していたとき…。
ギィーーーー
入り口の扉がひとりでに開いたではありませんか。
その瞬間また私は何が起きたか悟ったのです。
扉の向こうにはおじさんが立っており、私を見て驚いた顔をしていたのです。
向こうもまさか廃医院の中に少年がいるなんて思っていないわけですから、本当に驚いた表情をしていたのを覚えています。
瞬時に私はカメラを片付けて「すみません、すぐに出ます」と何度も言い続けていました。
私が若い風貌をしているのもあってか、所有者のおじさんは怒鳴ることもせず、「お、おお…。な、なにしてるん?」と。
「古い建物が好きで、勝手に入ってしまいました。今すぐに出ます」というと、「変わってんなぁ、ほんまは入ったらあかんけど、今回は許すわ」
てっきりめちゃくちゃ怒られるかと思いましたが、おじさんも怒る準備もなく謝罪したためか苦笑いしながら続けました。
「てかどっから入ったん?」
私は正直に「あの高い塀を登りました」というと、
「危ないから出る時はこっちからでえ」と正門の鍵を解錠してくださった。
帰り際、再度謝罪すると、「今度来るときは高い兵登らんとこっちから入れ」と。
…え?
廃墟の危険③踏み抜き
そして次に重要なことは生きて帰ること。
10年ほど前にもとある廃炭鉱の貯水槽に転落した廃墟マニアの男性が数ヶ月後に遺体で見つかると言う痛ましい死亡事故もありました。
廃墟で万が一転落したり、天井が崩落した場合、まず見つからない。
見つかったとしても遺体の腐敗が進んだ数ヶ月後、同じく廃墟探索をしにきたマニアによって発見されるでしょう。
私も木造の廃旅館で一度床を踏み抜き、死にかけたことがあります。
大阪南部にあったその旅館は、本館はコンクリート構造なのですが、露天風呂があり、そちらは木造の離れでした。眼下には綺麗な清流が流れ、営業当時はさぞかし綺麗な眺めでいい湯だっただろう。
いやいやそんなこと言ってる場合じゃない。私はその川の上に半分建物がむき出し状態になった木造の脱衣所の床を踏み抜いたのです。
踏み抜いた瞬間、私は咄嗟に目の前にあった支柱を掴んだ。
しかし、その掴んだ支柱も腐敗しており、私の体重を支えきれずに崩れていったのです。
その時、スローモーションになったのを覚えています。
目線を下にやると、踏み抜いた先に清流が流れており、そこで私はこの露天風呂の脱衣所が川の上にむき出しで建設されていることに気づくのです。
やばい、落ちる
そこからはあまり覚えてないのですが、気がつくと、右足と右手が宙に浮いており、左手でこちらも腐敗して今にも崩れそうな支柱を掴んでいたのです。
冷静にゆっくりと支柱が折れないように体重をかけすぎずに体を起こして、なんとか脱出。
その時手に痛みが走り目線を手にやるとドバドバと血が出ていました。
私は清流まで降りていって、傷口を洗い流したわけです。
そして私は木造の廃墟で踏み抜きましたが、鉄にも要注意。
鉄で踏み抜くってどう言うこと?と思われるかもしれませんが、鉄ってやばいですよ。
木造以上にやばい。木は腐っているのが一目でわかるけど、鉄はただ錆びているようにしか見えないし、鉄は硬いと言う当たり前の固定概念がありますよね。
廃墟は舐めたらダメです。
軽く2,30年は放置された建物なんです。鉄も錆びついてどんどん薄くなっていくわけですね。そして少しの圧力でパラパラ…と崩れるんですよ。
鉄がパラパラですよ。意味わからん擬音語だと思われるかと思いますが、マジです。
鉄の擬音語はパラパラです。覚えておいてください。
特に海辺の廃墟は要注意。潮風でおそらく鉄の劣化が早いのでしょう。長崎の廃炭鉱で私はそれを経験しました。
流石の私もパラパラの鉄は初めてで死を感じたので引き返しましたが、皆さんは今、鉄はパラパラを前もって知ったわけですから、鉄パラが起きる前に廃墟で鉄を見たらまず疑ってください。
これは鉄パラか?鉄カタか、オッケーと言うように。
まあそもそも廃墟行かない方がいい
私は以上のような経験をしたから、廃墟を歩く際にはめちゃくちゃ慎重に歩くようになったし、基本的には1人で行かないようにしています。
というかまず廃墟に行かない。所有者がいる場合、犯罪ですからね。そして最悪捕まるし、死にます。
どうしても行かないといけない場合は(どう言う場合だよ)、その廃墟は管理物件か否か、そして必ず一歩一歩慎重に歩く、ひとりでいかない、とりあえず以上のことを守れば、万が一のことがあっても怪我くらいで済むでしょう…。
と言うことで長話に付き合っていただきありがとうございました。
今日も良き廃墟ライフを。
中村正行
YouTubeやっています。
いつか見れなくなる風景や人、廃墟を撮影し記録しています。
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