フロイト心理学から分析する遠見鳴「Red Alert」
画像:©Liber Entertainment Inc.
これは夏コミで頒布した論文を、CUE! Reading Live vol.9 Moonの開催記念に公開したものです。このライブの朗読劇で、「Red Alert」リスペクトの描写があったのでね、その記念に。
注意として、めちゃくちゃCUE!アプリのカードエピソードを前提にした語り口です。フルスロットルで全力解釈な文章なので、ご了承ください。
本論文は、非常に難解であると言われているエピソード「Red Alert」について、世界で初めて「夢」を考察したと言われているフロイトが提唱した心理学(構造論)を用いて研究した結果の報告である。メタファーやモチーフが多層に使われた本エピソードについて、劇中の彼女たちはフロイトの構造論における3つの機能が割り当てられており、そこから彼女たちの目的や描写の意図を探っていく。最終的に、遠見鳴が選んだ結論における危険性を述べ、そこから予測されたであろう未来の話をしよう。
キーワード:CUE!, 丸山利恵, 遠見鳴, フロイト心理学, 深層心理, エゴ
1.はじめに
フロイトの提唱した心理学について述べる前に、それを持ち出さない範囲の「Red Alert」の考察を先に行う。
まずRed Alertにて重要なのは、執拗に使われるモチーフ「リンゴ」である。この「リンゴ」が何を表しているのかというのは、Red Alertの解釈の基礎を作る要素である。ここに関しては、フロイトを学ぶ前から「リンゴが何を表しているか」について一つの仮説を立てており、この仮説はフロイト心理学を組み込んだ解釈にも自然に馴染むことから、この論文内ではではその解釈を採択させて頂く。
それは、端的に言うと、「リンゴ=丸山利恵」仮説である。
「Red Alert」の開花前カードイラストを見ると、ベンチの右側半分に鳴が座っており、左側のちょうど中央にリンゴが置かれている。これは不自然な余白のある配置だが、リンゴが人間一人分を表していると考えると、収まりのいい構図になる。ちょうど、並んでベンチに腰掛けているような状態だ。また、鳴はリンゴに対して「……私は『あなた』を誰にも渡さない」と、「あなた」と言っていることも一つの根拠になるだろう。
リンゴが人間のメタファーだとすると、その人物は丸山利恵に確定する。というのも、鳴が「唯一無二」といって大切にする人物といえば、利恵だからである。またリンゴには「真っ赤」という表現を多く使われているが、利恵のカラーである赤とも一致している。
また、「Red Alert」を深めるにあたって、メインストーリー第四章「夜明けと共に」の冒頭に行われた心理テストも重要な鍵になる。心理テストで想像する、森の中を歩いているという状況は「Red Alert」と似通っており、ここに関連があると考えられる。第一問は「森を歩いていると、動物に出逢います。それは何ですか?」その答えは「その動物は、隠し持った本性を表します」である。鳴はこの質問に「オオカミ」と答える。第二問は「森を歩いていると、家を見つけます。その大きさは?」その答えは「家の大きさは、夢の大きさを表します」である。これらの答えから分かるのは、第一に「鳴の隠された本性はオオカミ」ということ、第二に「森で辿り着く家は、夢のメタファーである」ということである。
これら2つのことを統合すると、「リンゴを家に届ける」というのは、「丸山利恵が夢へ向かって進むのを見届ける」と解釈することができる。
とはいえ、森に潜む恐ろしいオオカミが何者なのか、オオカミが誘惑する「リンゴを食べろ」とは何を表しているのか、まだまだ謎は残っている。このあたりを解き明かすために、フロイト心理学を用いて分析していこう。
2.フロイトの心理学
フロイトの心理学において、人の心は「イド(エスともいう)」「エゴ(自我ともいう)」「スーパーエゴ(超自我ともいう)」の3つの機能に分けられている。これを構造論ともいう。
これらの機能を1つずつ説明していく。まずはイドについて、人間行動の根源的な衝動としての快楽原則に従う機能である。ここにはとにかく本能エネルギーが詰まっていて、一番根源的な衝動である「性欲動(リビドー)」と「攻撃性(死の欲動)」が発生していると考えられている部分である。
それに対しスーパーエゴは、理想的な規範・道徳的な良心などに従う領域である。主に、幼児期に親からの同一視やしつけなどを通して獲得される。基本的に快楽原則に従うイドを検閲し、抑圧する存在である。
エゴは、イドとスーパーエゴの両方から抑え込まれたり引っ張らられたりしながらも、現実原則に従って調整して、個人としての統一性を維持するものである。まさしく、イドとスーパーエゴからもたらされる要求の調整役であり、最終的に感情を現実に適応させる役割も持っている。
例えば、授業中に空腹になったとする。この「お腹が空いた!」という人間的欲望がイドである。一方、社会的なルールである「授業中はご飯を食べてはいけない」がスーパーエゴとなる。しかし、本当に空腹がひどくなった時、それを我慢し続けるのは体に悪い。そこで、「先生にバレないように早弁する」と決断するのがエゴとなる。
また、フロイトは、心の層が「意識」「前意識」「無意識」の3層になっているとも提唱している。「意識」は自身が自覚できる領域、「前意識」は自身が注意すれば認識できる領域、「無意識」は自身が気づくことのできない領域である。
この区分において、イドは完全に「無意識」の領域に潜んでいるとされている。対してスーパーエゴは意識にも無意識にも現れると言われている。
これらの心の層の関係を例えたものとして、氷山になぞらえて考えられることが多い(図1)。人の意識は、人の心の氷山の一角に過ぎず、大半が無意識であると言われている。
3.遠見鳴の背景
「Red Alert」を分析する前に、 「Red Alert」以前の鳴が、どのようなエゴを獲得していたかについて、軽く触れる。
「ヴィジョン・キツネ」によって語られていることによると、鳴が幼い頃に両親が離婚し、鳴は母についていき日本に帰国することになった。その際、鳴は「私が、大人にならなきゃって思った」と振り返っている。仕事で家を開けっぱなしの母のことを思うと、幼い鳴はもう子供のままではいられなかったのだろう。考えてみると、鳴はプログラミングによって自活できるほど稼げるスキルを獲得しているが、これは「大人になる」というスーパーエゴに抑圧された結果獲得したものなのかもしれない。鳴にとって、生きていけるだけの生活費を自分で用意できることこそが、「大人になる」ということだったのかもしれない。
しかし「ヴィジョン・キツネ」にて、鳴は「自分の情熱をかけて、やらなければいけないと思うことが、必ず見つかるんだ」と独白する。スーパーエゴといった外圧でとは違い、自らの情動によって突き動かされて動く目的━━声優になるということ━━を獲得する。「大人になるのは……いけないこと?」と、アダルトチルドレン化していたかつての鳴は、AiRBLUEでの交流やチームで協力した経験を経て、自分自身のエゴを持った少女へと成長したのだ。
その後、鳴の持つエゴの成長に関しては、「エリスちゃんは大忙し」へと続いていく。このエピソードで、鳴は利恵から「遠慮などすることはない。鳴は鳴がしたいように、我輩の傍にいればよい」と告げられる。それに対し鳴は「……うん、そうだね。私は私がしたいようにする」と答える。この発言から、鳴のエゴは自律して立派に育っていることが伺える。
4.構造論と夢の対応
「Red Alert」の話において、フロイトの構造論の三要素が、どのように盛り込まれているのかを仮定してみる。
「エゴ」は、話の主観でもある「遠見鳴」自身に対応していると考えられる。また、衝動的な本能である「イド」については、「オオカミ役の丸山利恵」が対応している。これは、「遠見鳴の隠し持った本性がオオカミである」という解釈にも基づいている。最後に、「スーパーエゴ」については、「母役の宇津木聡里、もしくは彼女が与えるクエスト」が対応していると考える。
5.一話
さて、これまでひとまずフロイトの構造論を導入してみたが、これが実際にどのように「Red Alert」に適応できるのか、 「Red Alert」をどう深めてくれるのかを、シナリオの順を追って語っていく。
まずは一話から。冒頭ではいきなり「LOGIN SUCCESSFUL」という表示が出る。これは、意識から潜って無意識に入ることに成功したことを表していると考える。無意識の領域は、エゴである鳴にとって「知らない場所」であると同時に、まぎれもない自分自身の内部である「私の部屋」でもある。
そこで、宇津木聡里がやってきて、リンゴを届ける頼み事をされるが、この時「クエストを受領しました」という表示が出る。鳴にとって、リンゴを届けるという行為は、外から要請されたクエストなのである。確かに、「夢を叶えよう」というのは、社会的にはたいそう立派な規範である。
鳴はずいぶんと歩いたが、家にたどり着けず、ベンチで休憩する。この時、「(何度も行ったことあるはずなのに……)」とぼやく。かつてのバンド時代など、利恵の夢への旅路を見届けることは、鳴にとって何度も経験済みのことである。しかし、共に歩く声優への道のりはそれらより長く、鳴にとって疲れるものとなってしまった。
6.二話
見かけた人影を追いかけていた鳴は、利恵の姿をしたものに遭遇する。利恵は鳴にリンゴを食べることを促し、鳴が拒絶しても、再三現れては何度も「リンゴを食べて」とお願いする。
これまでリンゴは「ツヤツヤしていて、おいしそう」や「甘い香りがする」など、食欲を煽る扇情的な表現がなされてきている。根源的な欲求である食欲になぞらえていることから、この利恵がイドであるという裏付けにもなる。
では、このイドは何を求めているのだろうか? リンゴは本来「丸山利恵」であるので、満たされる欲求は元来食欲ではない。また、イドには一番根源的な衝動である「性欲動(リビドー)」を含んでいるとも述べた。人間という生物において、近くにいる一番大切な人と結ばれたいという衝動は、いたって自然なことだろう。
ここでイドである利恵は「鳴のことが心配」といった表現を繰り返している。イドにおいて、エゴが我慢を繰り返して潰れることはあってはならない。イドもエゴも、同じ「遠見鳴」なのだから。根源的なエネルギーに逆らうことは、自身の欲求が抑圧され続けることにほかならないのだ。
しかし鳴はイドからの要求を何度も突き放す。これについて、次の三話では「私が食べていいものじゃない」と理由を語っている。鳴にとって、利恵はそのような存在なのだ。
7.三話
三話になると、鳴は利恵に対して、「あなた、誰」「あなたは利恵じゃない、私の知らない人」と言い放つ。鳴のエゴにとって、イドは無意識に潜んでいる存在である。これまで自覚できず、「知らない」のも道理である。
最後に、イドである利恵は「後悔することになるぞ……、鳴」と言い残してきっぱりと消える。根源的なリビドーに逆らい続ける選択は、非常に苦しいものであろう。しかし、鳴のエゴはリビドーを抑え込み続ける道を選んだ。
しかし、ここでとうとう鳴の足が止まる。お婆さんの家というゴールのすぐそこ、すなわち声優になるという夢が叶うまであと少しという状況で。そこで鳴は「(お婆さんの家まで行ったら、リンゴを渡さなとダメ。渡さないで帰ったら、お使いが終わらない)」と思案する。鳳社長も言っているように、声優という仕事は本来孤独なもの。声優という夢が叶ったら、各々の道はいずれバラバラになる、むしろ、バラバラでも生きていけるくらいでないと、声優として大成したとは言えないと鳴は考えているのではないか。鳴にとって、その未来は非常に嫌なものであった。
そこで、エゴである鳴はとんでもない選択をする。クエストを放棄し、リンゴを誰にも渡さないという決断である。つまり、スーパーエゴの要請すら跳ね除けてしまったのだ。「……ずっと、あなたと、ここをさまよっても構わない」と鳴は語る。つまり、声優になるという夢すら叶わなくても良い、とまで思っているのだ。「あなたは、永遠に私のもの」と、鳴が笑って話は終わる。
イドもスーパーエゴも両方とも振り切ってしまうほど、遠見鳴のエゴは肥大化してしまった。その経緯は「3.遠見鳴の背景」でも語った通り、利恵ら仲間達との交流で育まれたものである。
鳴は本当に「私がしたいように」してしまったのだ。
8.統括
「Red Alert」という単語は、非常警報という意味を持つ。はたして「Red Alert」は、一体何を警告していたのか。
それは、鳴の獲得してきた初めてのエゴ、その抑圧機能が正しく働いていないことである。
将来的にアプリでは、「Beast Blood Blend」というアニメをMoonが担当する予定だったことが、CUE!公式アカウントから明かされた。そこにおいて、鳴は「裏の顔を隠しもつオオカミの精神科医」の役をする予定であった。これも、鳴のエゴの発達における異常を示唆しているとも考えられる。
利恵と鳴の二人は、「将来ずっと一緒にいること」については、かなり確証が高い。しかし、その時二人揃って夢を追えているかどうかは分からない。双子座の元になった神話のカストールとポルクスは、カストールが矢に射られて先に戦死してしまった。射手座の元であるケロンと死に様と同様である。射手座は利恵の星座でもあり、「星辰揃いし夜の囁き」においてもその姿が描かれている。この一致は偶然だろうか。
Season1.2「カレイドスコープ」において、利恵は鳴と「先に行って待っててくれ」と約束をした。鳴はその約束を大事に抱えていることが、オーディション会話などからも伺える。しかし、もし利恵が道を歩けなくなったとき、鳴はそれでも待つ約束を守り続けていられるのだろうか。それについては、鳴の「Forever Friends」で本人が言った通り、「そんなこと考えたくないけど」「そうなってみないとわからない」ことなのかもしれない。
しかし、「Red Alert」のカードの後には「PORTAL」「アクターズ・ギルド」「usual cases」といった新たなエピソードが追加されていた。そこに、鳴の未来の答えはなくても、何かの示唆があるのかもしれない。とりたてて筆者は「PORTAL」を解釈しきれていないため、意欲ある方はここを切り拓いてみると何かが見えるかもしれないだろう。
遠見鳴さんと丸山利恵の行く道が、いつの日か幸せに繋がっていることを祈っております。