穿戸岩・上色見熊野座神社@南阿蘇
上色見熊野座神社(かみしきみくまのざじんじゃ)と聞いてピンとくる人は、なかなかの神様大好き人か、アニメオタクだと思います。(笑
ここ数年で参拝者が増加した上色見熊野座神社。
初めて訪れた人は、こんな場所に神社があるの?って思うくらいの場所にあり、十分に注意しなければ通り過ぎてしまいます。
ここはSNSで話題となった神秘的な神社です。
アニメファンには聖地となっているそうです。
神殿に向かう参道には100基近くの石灯籠が並び、木立に覆われた階段を登り詰めると山の中腹に御神殿が現れます。
さらに、神殿を通り抜けて山道を上ると伝説が残る巨大な縦横10mの大風穴(穿戸(うげと)岩)が現れ、ここはどんなに困難な目標でも必ず達成できる象徴として受験合格や必勝のご利益があると言われています。
また、「異世界への入り口」などと言われています。
そんな南阿蘇のパワースポットである上色見熊野座神社に、いざ参拝。
南阿蘇から国道265号線を高森の町から阿蘇の町へ向かいます。
休暇村南阿蘇を通り過ぎると数分のところに神社の入り口(鳥居)があるのですが、注意していないとすぐに通り過ぎてしまいます。
目印は、参拝者駐車場の看板です。
参拝者駐車場と言っても昔はただの空き地でしたが、最近は参拝者が増えたためか広い駐車場の整備が行われていました。
一の鳥居
車を駐車場に停めて、国道沿いを少し歩くと一の鳥居が見えてきます。
ここから見るとひっそりとした小さな神社のように想像してしまいます。
一礼をして鳥居をくぐると、目の前には長い参道が目に飛び込んできます。
とても素敵な感じがする参道で、ワクワクしながら歩きはじめました。
最初にイメージしたよりも長い参道です。
手水舎
鳥居から100〜200m位歩いたところに、ポツンと手水舎がありました。
お社もなく、ただ置かれているだけのような・・・
手水舎から先は、石段が連なっています。
両サイドには石灯籠が並び、参道の長さを暗示させてくれます。
二の鳥居
長い長い石段を登って、やっと二の鳥居が見えました。
しかしその先に長い石段が控えています。
想像以上に山の中にあり、まさに神秘的な場所に御本殿があります。
木々に囲まれた境内に到着しました。
「はぁ〜」息があがります。
拝殿
拝殿にてお参りをさせていただきました。
凛とした空気が立ち込める境内です。
壁のない拝殿の奥に、御幣(ごへい)立っています。
御本殿裏の自然の岩を御神体としているためなのか、とてもシンプルで、素朴な中にも力強いエネルギーが伝わってくる感じです。
御本殿
外削ぎで、3本の鰹木。
さらに、御本殿裏手より山道を登っていきます。
ここからが本番です。
折り重なる山道を登ると、
頭上に大きな岩穴が見えてきました。
穿戸岩
パワースポットと呼ばれるこの穿戸岩(うげといわ)です。
昔、阿蘇の大明神である健磐龍命(たけいわたつのみこと)に追われた鬼八法師が 山ひだを蹴破って逃げたと言われる縦横10m以上の大風穴「穿戸岩」があり、荘厳な空気に包まれています。
「穿戸岩」は巨大な岩山を大きな風穴が貫いていることから、どんなに困難な目標でも必ず達成できる象徴として『合格・必勝』のご利益があると評判です。
また、パワースポットとして有名な場所です。
穿戸岩からの風景です。
絵馬
絵馬は、鬼八法師が 山ひだを蹴破って逃げた情景を表しています。
とても可愛い絵馬です。
御祭神
伊弉諾命(いざなぎのこと)
伊弉冉命(いざなみのみこと)
御由緒
上色見熊野座神社は、創建は不詳ですが、創祀は相当古くと考えられ、御祭神として伊弉諾命と伊弉冉命を祀まつっています。
上色見の大村地区には、4~5世紀頃の古墳が多く発見されており、古くから穿戸岩(うげどいわ)を尊い磐・稀有な岩穴として信仰し、崇めていたと推測されています。熊野大神を祀る前史としては、阿蘇大神である健磐龍命(たけいわたつのみこと)と、家来として仕えていた鬼八との伝承が残されています。鎌倉時代末~室町時代初期に熊野信仰の広がりとともに修験者が、山嶽信仰と岩石信仰とを結び付け、紀伊熊野三山の伊弉諾命・伊弉冉命の二柱の大神を祀り、上色見熊野座神社(熊野権現)としたと考えられています。
弓の達人であった阿蘇大神の健磐龍命は、弓を楽しみ、阿蘇山頂より矢を放ちます。従者であった鬼八は、主人の矢を拾うに飽き飽きして、99本目までは拾いに行ったものの、100本目の弓矢を足の指に挟んで健磐龍命に向けて投げ返します。
これに「家来の分際で大切な弓矢を蹴り返すとは、なんと不届きな奴」と激怒した健磐龍命は、鬼八を殺さんとします。鬼八は逃げ回るものの、阿蘇は山に囲まれているため、山にぶつかって逃げ切れません。上色見の外輪山を越えて逃げようとしますが、岩壁に逃げ道を失った鬼八は、岩壁を蹴破って逃げ去ります。その時の穿った穴の跡が、穿戸岩(うげどいわ)とされています。
鬼八は、上色見の穿戸だけでなく、冬野にも穿戸を残して逃げ続けますが、とうとう健磐龍命に追いつかれます。絶体絶命に陥った鬼八は、健磐龍命に向かって8回屁を放ち逃げおおせます。その屁を放った地は矢部とされています。
しかし鬼八は、とうとう高千穂で健磐龍命に捕まり、首を刎られてしまいます。その首は天に昇って怨霊となり、毎年暑いころになるまで霜を降らせ、作物に害をなすようになりました。健磐龍命は怨霊に霜を降らさないように頼むと「寒いと切れた首が痛くてかなわない。温めてくれるなら悪さはしない。」と答えます。健磐龍命は、阿蘇宮のすぐ近くに霜宮を建て、鬼八の霊を祀って毎年火を焚いて温めるようになり、霜の被害は出なくなったと伝えられています。
その鬼八伝説と共に伝えられているのが、石君大将軍と熊野大神の伝承です。阿蘇大神である健磐龍命の荒魂とされる石君大将軍の兜との中に、二柱の神が顕われます。その出現した二柱の神は、熊野大神であるとされ、紀州国熊野より御祭神の伊弉諾命と伊弉冉命を移し、奉斎したのが当神社の創祀とされています。その建立に際しては、2羽の大きな鳥が神献すべき榊の枝を咥え持ち、阿蘇山の東麓の当洞窟に止まったことから、社殿が建立されたと伝えられています。以降、熊野穿戸岩社(熊野穿戸社)、穿戸岩権現(穿戸社権現)、熊野宮と称し崇められ、南郷谷の総鎮守として祭祀しされてきました。
従前の建物は天正年間(1573-1593)に兵火により頽廃。月形山の8合目に鎮座する現在の神殿は、享保7年(1722)に建立されたものです。昭和54年(1979)年社殿改修。鳥居は明治30年(1864)の建立。参道に続く灯籠は、元治元年(1864)と慶応3年(1867)に1対と1基が献納。その後、昭和30年(1955)以降、地元にあった後藤漬物が年々奉納してきたもので、現在は100基近くの石灯籠が参道に並んでいます。
神殿は総欅造づくり。神殿上方に穿戸岩(穿戸社)があります。
では、
参拝を終えて、参道を下ります。
私はよく知らないのですが、
最近ではアニメの舞台となったことから、多くのアニメファンの聖地巡礼の場所になっているようで、また、旅行雑誌などにも多く取り上げられるようになり、多くの参拝者が訪れるようになりました。
今まではひっそりとした神社だったのが、どんどん整備されて観光地化しているようにも感じます。
高森町には四大熊野座神社があり、草部(くさかべ)地区・下切(したぎり)集落にある『下切熊野権現社』、色見地区にある『色見熊野座神社』、野尻地区にある『河原(かわら)熊野座神社』、上色見地区にある『上色見熊野座神社』です。
また、日本三大下り宮の一つである『草部吉見神社』が高森にはあります。
神社といえば、鳥居から平地または階段を上った先に社殿があるのが一般的ですが、鳥居から階段のはるか下のほうに社殿があるという珍しい形が特徴の神社が宮崎県の「鵜戸神宮」、群馬県の「貫前神社」、熊本県の「草部吉見神社」、これらを日本三大下り宮と言うそうです。
是非、これらの神社も参拝してみてはいかがでしょうか?
面白いものが眠っている熊本県南阿蘇の高森町、ワクワクが止まりません。
神社: 上色見熊野座神社(かみしきみくまのざじんじゃ)
住所: 阿蘇郡高森町上色見2619
HP: http://www.town.takamori.kumamoto.jp/kanko/kankomap/kanko/kamisikimikumanoimasujinja.html