八咫烏伝説の岡田宮@八幡西区
北九州市の黒崎地区で、春日神社、一宮神社とくれば黒崎・熊手の氏神様である岡田宮を紹介します。
この三社を氏神とする黒崎祇園山笠は、鎌倉時代に花尾城の祇園会から始まり、仲宿八幡宮の前田祇園から黒田長政が黒崎宿の春日神社、岡田宮に奉納したことから始まったとされています。
藤田地区(氏神:春日神社)の藤田東山笠、東町山笠、藤田西山笠
熊手地区(氏神:岡田神社)の熊手一番山笠、熊手二番山笠、熊手三番山笠
山寺・熊西地区(氏神:一宮神社)の山寺山笠、熊西山笠
今では北九州を代表する三大夏祭りの一つで、昔からケンカ山と言われる勇壮な山笠祭りです。
さて、
JR黒崎駅より真っ直ぐにのびた表参道は、岡田宮につながっています。
熊手通りを見下ろすお宮には、一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居がきれいに並んで、参拝客を待ち受けています。
参道の石段と鳥居をくぐり、石段を上り詰めるとそこには真新しい神門が、境内へ誘います。
神門をくぐると威風堂々としたお社が目の前に現れ、参拝者の身を引き締めさせます。
ご本殿の右手に社務所、左手に儀式殿があり、参道からは想像できないくらいの広い境内です。
御本殿の屋根を見ると、千木は外削ぎ、鰹木は5本。
八咫烏(やたがらす)
日本サッカー協会(JFA) の「シンボルマーク」は、ボールを押さえている三本足の烏です。中国の古典にある三足烏と呼ばれるもので、日の神=太陽をシンボル化したものです。
日本では、神武天皇御東征のとき、八咫烏(やたがらす)が天皇の軍隊を道案内をしたということもあり、烏には親しみがありました。
その神武東征(じんむとうせい)の際に、古事記や日本書紀に筑紫の岡田の宮に一年滞在した記述があり、神武天皇が授かった二羽の鳥が「八咫烏と金の鳶(とび)」であったことから岡田宮との関わりが深いとされています。
八咫烏の三本の足はそれぞれ天(天神地祇)・地(自然環境)・人を表し、神と自然と人が、同じ太陽から生まれた兄弟であることを言われています。現在、岡田宮の神門には、天地人の三文字が扁額に書かれています。
江戸時代には長崎街道の宿場町・黒崎宿はとても栄えていて、その街道沿いにある岡田宮には多くの人が参拝に訪れたとのことです。
幕末には尊王攘夷派の公卿で、岩倉具視らを中心とする公武合体派と対立し、攘夷派が京都から追い出され長州、太宰府へと落ち延びた三条実美が岡田宮に立ち寄り詠んだ句が残されています。
現在、
岡田宮では、古事記の勉強会や巫女舞、雅楽などさまざまな勉強会を積極的に行い、地域との関わりを深くしながら、新たな地域コミュニティーの中核としての役割を形作られています。
黒崎地区の産神様、氏神様、鎮守様として多くの人々が参拝に訪れる岡田宮に、皆さんも一度訪れてみてはいかがでしょうか?
御祭神
・中殿(岡田宮)
神日本磐余彦命[神武天皇]
(カムヤマトイワレヒコノミコト)
・右殿(熊手宮)
大国主命(オオクニヌシノミコト)
少彦名命(スクナヒコナノミコト)
県主熊鰐命(アガタヌシクマワニノミコト)
・左殿(八所宮)
高皇産霊神(タカミムスビノカミ)
神皇産霊神(カミムスビノカミ)
玉留産霊神(タマツメムスビノカミ)
生産霊神(イクムスビノカミ)
足産霊神(タルムスビノカミ)
大宮売神(オオミヤノメノカミ)
事代主神(コトシロヌシノカミ)
御膳神(ミケツカミ)
御由緒
当社は古の崗地方(遠賀地方)を治めていた熊族が祖先神を奉斎したのがその始まりと言われます。
その後、神武天皇が東征の途次、当社に1年間滞在した事が「古事記」に記され、天神地祇の八神(八所神)を奉斎したとされています。
また仲哀天皇の御代には神功皇后が三韓征伐の際に崗県主・熊鰐の案内によって当社に詣ったと「日本書紀」にあります。
古来当地は北部九州における海陸路(洞海船留、皇后崎津、太宰府官道)の要に位置し、皇室、公家武門、武将等の崇敬篤く、現在では黒崎熊手地区50余町の産土神と敬仰されるお宮です。
御朱印
最近では、月ごとの御朱印や巫女舞御朱印など様々な御朱印がいただけるようになっています。
ポスター
神社: 岡田宮
住所: 福岡県北九州市八幡西区岡田町1-1
HP: https://www.okadagu.jp/index.php