運玉・鵜戸神宮@宮崎
今回は、日向国の鵜戸神宮です。
神宮と言うので、皇室の祖先神を祭神とする神社か、歴代天皇を祭神とする神社、もしくは皇室にゆかりのある神を祭神とする神社のいづれかです。
ここ鵜戸神宮は、皇室の祖先神をお祀りする神社で、天照大御神は初めとする地神五代の神々の5代神である日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうかやふきあはせずのみこと) (神武天皇の父君)をお祀りしています。
九州には6社の神宮があり、そのうち4社が皇室の祖先神をお祀りする神社で、霧島神宮、鹿児島神宮、英彦山神宮、鵜戸神宮では、地神五代のうち四代の神々が祀られています。
天孫降臨の地である九州には、ゆかりの神社が多くあるのですね。
この辺りの話を始めると長くなるので・・・
宮崎市内から車で国道220号線を約45分ほど走ると、鵜戸神宮を書かれた標識から県道433号へ。
トンネルを抜けると、直ぐに鵜戸神宮駐車場の標識が見えますが、そこから行くと山道を越えて本殿に向かう道となるため、そのまま真っ直ぐ進み一の鳥居が見えてきますので、そこから左折します。
港町の細い道を抜けて、岬の海沿いの道を離合する車を注意しながら進むと、鳥居と境内が見えてきます。
20台程度しか停められない駐車場に車を停めて、いざ参拝!
南国の雰囲気を感じながら、二の鳥居(?)で一礼をして境内へ。
神門
鳥居をくぐり、売店を横目に歩き進めると直ぐに神門が現れます。
右手には、青々とした日向灘が美しく、晴れ晴れとした気持ちなります。
朱色と空色と海の青さが眩しく感じました。
水平線が丸いです!
楼門
神門をくぐり先に足を進めると、左手に立派な社務所と儀式殿があり、目の前には楼門が現れます。
右手の海を見ながら歩いていると、なんだか竜宮城への入り口のようにも感じるのは、私だけでしょうか。
菊の御紋の楼門、扉の先には本殿への参道が続いて見えます。
南国の太陽を浴びながら、参道を進んでいきます。
手水舎
福注連縄(ふくしめなわ)
「この玉橋より先は、古より清浄とされ、手足を洗い、見容清めてから参拝をしていました。この福注連縄で自分の身体を撫でていただき、心身を清め、開運招福・身体健全のご神威をいただいてください。」
と書かれてあり、福注連縄で身体を清め参拝します。
大海原に向かって、
「払い給え 清め給え 守り給え 幸は給え」
神橋(玉橋・雲橋・鵜神の反橋)
玉橋
別名:神橋と呼ばれる玉橋は、金剛界37尊の御名が書かれた橋板37枚からなる反橋で、なんと釘を一切用いらずに作られています。
昔は、これから先は神聖な領域であるため、橋の手前からは着物を脱ぎ、裸足でお参りをしたそうです。
今ではその習慣は無くなりましたが、お参りの方は御神意にかない、心は清く正しく明き人として、祝福され、御加護がうけられると言われています。
さあ、玉橋を渡って御本殿に向かいます。
日本三大下り宮
神社といえば、鳥居から平地または階段を上った先に社殿があるのが一般的ですが、鳥居から階段のはるか下のほうに社殿があるという珍しい形が特徴の神社が「鵜戸神宮」です。
そして、ここは日本三大下り宮の一つです。
急な階段を下って行きます。
三の鳥居(?)
本殿前の鳥居をくぐって本殿へ。
鳥居の先は、洞窟です。
御本殿
洞窟内に建つ御本殿は、豊玉姫命の産殿の跡とされています。
しかし見事に洞窟内に建てられた御神殿。
ちょうど御神殿の中では、神事が行われていました。
撮影してしまい、ごめんなさい。
殿の横に鎮座するのが「皇子神社」。
ここには御祭神である日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊と、海神の娘の玉依姫の子である彦五瀬命(ひこいつせのみこと)が祀られています。
彦五瀬命とは、神武天皇のお兄さんにあたります。
お乳岩
お乳岩母君の豊玉姫が御子の育児のため、両乳房をご神窟にくっつけて行かれたと伝える「おちちいわ」は、いまもなお絶え間なく玉のような岩しみずを滴らせて、安産・育児を願う人々の信仰の拠り所となっています。
お乳水
お乳水ご主祭神は、豊玉姫がくっつけて行かれたお乳岩から滴り落ちる水でつくった飴を母乳がわりに、お育ちになったといわれています。
現在のおちちあめもお乳岩から滴るお乳水でつくられているそうで、お土産として多くの方が買われているそうです。
※鵜戸神宮HPより引用
霊石亀石
ご本殿下の磯に、母君豊玉姫が出産の為に乗って来られたと言われる霊石亀石(れいせきかめいし・桝形岩)があります。
この亀石の背中に桝形の窪みがあり、この窪みに男性は左手、女性は右手で「運玉」を投げ入れ、見事入ると願いが叶うといわれています。
※鵜戸神宮HPより引用
運玉
さあ、運玉を投げ入れて、願い事を叶えます!
やった〜〜!見事に運玉を投げ入れることができました。
あ! 入ったことに喜んで、願い事を叶えるのを忘れてしまいました。
御祭神
日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊
(ひこなぎさたけうかやふきあはせずのみこと) (神武天皇の父君)
ご祭神ご系譜
御由緒
山幸彦(彦火火出見尊)が、兄(海幸彦)の釣り針を探しに海宮(龍宮)に赴かれ、海神のむすめ豊玉姫命と深い契りを結ばれた。
山幸彦が海宮から帰られた後、身重になられていた豊玉姫命は「天孫の御子を海原で生むことは出来ない」とこの鵜戸の地に参られた。
霊窟に急いで産殿を造られていたが、鵜の羽で屋根を葺終わらないうちに御子(御祭神)はご誕生になった。
故に、御名を「ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと」と申し上げる。
当神宮のご創建は、第十代崇神天皇の御代と伝えられ、その後第五十代桓武天皇の延暦元年には、天台宗の僧と伝える光喜坊快久が、勅命によって当山初代別当となり、神殿を再興し、同時に寺院を建立して、勅号を「鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺」と賜った。
また宗派が真言宗に移ったこともあり、洞内本宮の外、本堂には六観音を安置し、一時は西の高野とうたわれ、両部神道の一大道場として、盛観を極めていた。
そして明治維新とともに、権現号・寺院を廃して鵜戸神社となり、後に官幣大社鵜戸神宮にご昇格された。
明治を130余年経過した今日、全国津々浦々から、日本民族の祖神誕生の聖地を訪れる参拝者は、四時絶えることなく続いている。
※鵜戸神宮HPより引用
御朱印
兎の像
鵜戸神宮では、各所に兎の像が多く配置されています。
実は、鵜戸神宮の神使は、「兎」とされています。
御祭神は、鸕鷀草葺不合尊で、「鸕鷀(う)」が、「卯」、「兎」になったと考えられ、今日までとても縁深い動物として慕われています。
絵馬
ここにも兎がいます。
とても可愛い絵馬になっています。
おちちあめ
御本殿のある岩窟にある「おちちいわ」は豊玉姫が乳房をひききり岩にくっつけていかれたとされる伝説の岩で、滴り落ちる清水で作る「おちちあめ」を母乳がわりにして、御主祭神は育ったといわれています。
天孫降臨の地である、日向国。
そして、地神五代の地、神話の国、日南。
薩摩国や大隅国には、山幸彦、海幸彦などの伝説が多くあり、その流れを汲むここ鵜戸神宮です。
私ごとですが、宮崎市内に来ると必ず鵜戸神宮を参拝していました。
御主祭や御利益などといったことに興味があるわけでもなく、子供の頃は単に運玉を投げたくて、大人になってからは景勝地としておとづれていたように思います。
私の中では宮崎といえば鵜戸神宮のようになっていたのかもしれません。
元々日本の歴史や旅行好きで、神様に興味を持つようになり、進んで神社を参拝するようになって、多くのことを学ばせてもらってます。
そんな中で古事記や日本書紀といった日本の神話にまつわる物語を有する神社が、ここ日向国には多くあるのでとても楽しいです。
また、昔話のようにして聞いていたお話もここにはちゃんと実在しているからとても面白いです。
小さい頃にこのような場所に来て、神社にまつわる物語をその場で聞いていたならば、もっと早くに興味関心を持てたのではないだろうか。
もっと八百万の神々を身近に感じることができたのではないだろうか。
日本人としてのアイデンティテイを持つことができるのではないだろうか。
・・・などといったことを考えてしまいました。
そして日本人で良かったと思いました。
まだまだ面白きかな日向国。
神社: 鵜戸神宮
住所: 宮崎県日南市大字宮浦3232番地
HP: https://www.udojingu.com/
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