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和気清麻呂伝説・葛原八幡神社@小倉

小倉南区の葛原にある神社。
足立山を背後に、和気清麻呂伝説のある葛原八幡神社は、地域の方々の健康を願う素敵な神社です。

国道10号線から脇に入った場所にその神社はあります。
駐車場に行くには、住宅地を抜けた先にあり、御本殿のすぐそばに車を止めることができます。
しかし、一の鳥居から本殿を目指すと、長い長い参道が参拝者を待ち受けています。

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リハビリ参道と呼ばれる長い参道は、地域の方々の健康増進を願い、散歩コースとして親しまれているそうです。

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木漏れ日の溢れる素敵な参道は、癒しのスポットだと思います。

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木立の参道を抜けると急に開けた境内と本殿が待ち受けます。

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御本殿の千木は外削ぎ、鰹木は5本。

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御祭神でもある和気清麻呂の銅像と和気清麻呂伝説に欠かせない猪の狛犬がありました。
猪の狛犬はとても珍しく、そして愛らしく、阿吽の表情を見せています。

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小倉北区の足立山山中にある妙見神社との関係性は分かりませんが、どちらも和気清麻呂人伝説。
妙見古道のスタートとゴールの関係は、深い繋がりがあるのだと思います。
今後勉強していきたいと考えます。

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魔除けのおまじない
ダラの木の幹などトゲのあるものやトベラの木の葉のように匂いのきついものを鬼が嫌うことから、手作りの鬼除けがありました。
他の神社でも見た記憶があるのですが、珍しく思えて写真を一枚!

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「不老長寿 薬草百図天井画」
御拝殿の天井を見ると綺麗な草花の絵が描かれています。

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幣殿の天井いっぱいに描かれている草花は、「葛」をはじめとするさまざまな薬草です。
これらを「不老長寿 薬草百図天井画」といいます。
和気清麻呂公が、罪なき罪を着て流罪となった際に、当地において足の治癒を施したことから足立山伝説が生まれます。
一方で、清麻呂公の家業である医薬の技を持って里人との交流を図ったと推測され、葛原八幡は、治癒・リハビリテーションの発祥地と言われています。
今では本殿までの長い参道を「リハビリ参道」と名付けられ、地域の人々に親しまれ、元気回復を求める人々が参拝されます。
これらのことから、御鎮座1200年を奉祝し、薬草百図天井画が制作されました。
138枚の薬草天井画には、葛原の誇るべき歴史や伝統、人々の営みを次世代に伝えたいとの想いが込められています。
出典:宮司へのインタビューにより

葛原八幡神社の境内はとても広く、いくつかの神社を摂社・合祀しています。

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御祭神
・神功皇后
・応神天皇
・正一位護王大明神(和気清麻呂)

御由緒
当社の創立は、和気清麻呂公の御事蹟に由来するものです。
 称徳天皇の神護慶雲年間(今から1,200余年前)天皇の寵を受け、政界に進出した弓削道鏡は宇佐八幡神の神勅と偽り皇位につこうとしました。清麻呂公は改めて勅使に任ぜられ宇佐宮に参向し、真の勅使を請けて道鏡の意をくつがえした為、道鏡の怒りにふれ足の筋を断たれて大隅国(鹿児島県)に流罪となりました。途中、公の御舟が宇佐郡楉田村に流れ着いた時、突如、山中から白鹿が現れ、公を背に乗せ、左右を二百頭余の猪が守護し宇佐宮へと導きました。(日本後記、水鏡による)
 公は神前に詣で、八幡神に罪なきことを乞い奉ると八幡神が出現され、その神託をうけ、温泉に浴すと数日にして足が立ち、それからこの山を「足立山」と呼ぶようになりました。(湯川水神社の境内に今も湧き出ている)これより公は、蜂ヶ坂(安部山清麻呂石像付近)に庵を結び住み、八幡神への神恩感謝の為、神祠をたてて自ら朝夕に奉齋しておりました。これが当社の起りであります。

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御朱印

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ポスター

A0_葛原八幡神社_verCS5


「神社は特別な場所ではなく、
 地域の人たちにとって身近な存在でありたい」
目まぐるしく変化する社会の中で、時代にあわせた形で親しまれ気軽に訪れることが出来る場所として、
これからの神社の新しい形を探し求めています。
と宮司さんがおっしゃっていて、とても素敵な考えだと思いました。
地域の方々に親しまれる神社です。
長い参道をのんびりと歩くだけでもリフレッシュできる場所です。
どうぞ皆さんも一度訪れてみてください。


神社: 葛原八幡神社
住所: 福岡県小倉市南区葛原4−3−1
HP: https://www.kiyomaro.or.jp/


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