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そしてわたしはエスペランティストになった - 仮想現実でエスペラントに触れた2年間

まるでアニメの登場人物が、現実世界の出来事を覗き込んでいるようなこの光景、メタバースに行ったことのないかたにはさぞシュールなものに見えるでしょう。もしかしたらピンとこないかもしれません。でも、これが私たちメタバースで生きる住人たちの日常なのです。メタバース内の「仮想現実」もあくまで「現実」なのです。

バーチャル美少女ねむ メタバース進化論――仮想現実の荒野に芽吹く「解放」と「創造」の新世界(p.7) 株式会社技術評論社

はじめに ー 19世紀の理想と21世紀の夢との出会い

わたし。

エスペラントという言語ができたのは1887年。それは作者であるザメンホフの理想を込めたものであっただけでなく、人々が国境や文化の壁を越えてコミュニケーションを取る必要があるという現実的な要請から生まれました。

それから136年が経過し、エスペラントという言語は物理現実だけではなく、仮想現実(VR)という新たな世界へと少しずつ染みだしています。VRの世界では、物理的な距離や身体的な制約は関係なく世界中から人々が集い、交流することができます。では、このVRという21世紀の新しい社会において、19世紀生まれのエスペラントが果たす役割とはどのようなものでしょうか?

VRの世界のひとつであるVRChatで、筆者が参加してきたエスペラントでの交流を思いかえしながら、VR世界でのエスペラントの立ち位置を見つめてみたいと思います。

VRの世界でエスペラントを学ぶ ー わたしの場合

2022年9月のエスペラント講座。

VRという新しい技術で、エスペラントという、ともすれば古い計画言語とみなされがちなものを学ぶ……一見するとなにも共通点がないことのように思われますが、実は面白いシナジーがあると感じています。

エスペラントは、ポーランドのザメンホフ博士によって考案された計画言語です。異なる文化や言語を持つ人々が、一方の言語の学習を強いられることなく、対等な立場でコミュニケーションができるようにという考えのもと制作されました。一方で、VRという技術は、ユーザーがその場にない別の現実を体験できる技術として成長してきました。

この2種の発明は、まったく異なるようでいて、どこか不思議な共通点があります。それは、どちらも自分の属性や場所が、体験や交流の妨げにならない環境を作ることを目指しているからです。一方は言語や会話の面で、もう一方は身分や地理的制約からくるバリアを取り除いてくれる可能性があるものです。VRの世界でエスペラントを学ぶ、というのは、そういった意味で親和性が高いと言えるかもしれません。

わたしがエスペラントに触れるようになったのは2021年の8月くらいからですが、それまではエスペラントというのはクイズの豆知識的なものしか知らず、単語や文法については全くの無知でした。VRChat(VRの世界で人々と交流できるVRSNSアプリの一つです)の世界に飛びこんだのは2021年の5月ごろですが、そのときは色々なワールドで遊ぶのが目的で(いまでもそうですが)、エスペラントのことなんてこれっぽっちも考えていなかったのです。

そんなとき、ある妙な人に出会いました。頭に緑の星の旗をつけたその人は、わたしにエスペラントについて尋ねてきたのです。それが多言語交流グループ「Projekto Babel」の発起人との出会いでした。言語や文字についていろいろお話を聞き、エスペラントについてみんなで練習してみよう、となったのが2021年の10月。そこからわたしのエスペラント経験が始まったのです。

なければつくろうコミュニティ

Projekto Babelでの一幕。みんな思い思いにいろいろな文字や言葉を空中に書く

VRChatは、常に40000人程度がログインしている最大のVRSNSです。しかし、ここには当時エスペラントコミュニティといえる存在はありませんでした。自らをエスペラント話者だと言う人も見つからないわけで、そうなると自分たちで作るしかありません。わたしたちはVRChatでエスペラント講座を定期的に行って、学習仲間を集めていきました。当然話せる人はいないわけで、講座とはいってもお互いに教えあうのがメインです。最初は能力面で苦労がありましたが、だんだんと話せるようになってきました。

そんなときに、海外からの参加者や、「え、denaskulo(エスペラントネイティブ)ですか?」というくらい流暢な話者があらわれたりして、やっとエスペラントが本来の目的を達しはじめたのです。自然言語で共通語がなくエスペラントでしか会話できない、そういう人もいらっしゃいました。現実世界でもそういう組み合わせはもちろんあるわけですが、出会えなければ会話できません。こういった体験ができたのも、VRという地理的制約を超える強力なツールがあったおかげです。初回のエスペラント講座から2年経ち、わたしはかけだしエスペランティストと言える程度にまでは会話できるようなりました。

単なるオンラインツールならZoom(JEIはこれメインですかね)やDiscordがあるわけですが、こういう通話アプリは音声や動画しか伝えられず、感情表現や微妙なニュアンスが抜け落ちる場合があります。しかしVRの世界ではこれに身振り手振りや表情など、全身を使ったコミュニケーションが可能になるので、より現実に近い交流ができるようになるというのが、言語学習にとってとても強力な要素です。新たな言語を学びたい人に、VRでの言語学習をぜひおすすめしたいところです(いろいろ初期投資が必要なのが難点ですが……)。

とにかく、わたしたちはVRChatのなかでエスペラントコミュニティ……らしきものを育んできました。エスペラント講座ももう百数十回行っています(100回超えたあたりから数えるのをやめました)。このまま広がっていくかは、まだわかりません。なぜなら、VRでのエスペラントにはまだいろいろな障壁があるからです。

VRだろうが言語を広めるのは難しい


月に1回行われているエスペラント国際集会(国際、とはいってもまだ参加者の半分は日本人だ)

最大の問題の一つは、エスペラント話者がまだそれほど多くないこと、そして、言語の学習と習熟には時間と努力が必要であることです。のんびりとやればいいわけですが、VRの流行の移りかわりはとても速く、それと比べるとわたしたちの活動はきわめてゆっくりです。

また、世界中のさまざまなタイムゾーンで活動しているユーザーとの間でコミュニケーションを取るには、時差の問題を考えなければなりません。日本時間で行われているイベントは、ヨーロッパの人々にとっては仕事をしている時間です。月に1回国際集会をしていますが、VRChatにいるエスペラント話者に認知されているとは言えません。

しかし、これらのハードルを乗り越えることができれば、エスペラントは世界中のVRユーザーを結びつける強力なツールとなりえるかもしれません。国際集会や会話イベントを通じて、すこしずつでも輪が広がってくれることを願うばかりです。

結び: VRの現実とエスペラントの将来

2023年9月に行われたエスペラント・トキポナ合同初心者講座「#VRCサンバイ」

最近(といっても5月の話ですが)、日本エスペラント大会のプレ企画として、エスペラントとバーチャルとの関係を論じるイベントがあったようです(残念ながらわたしは参加できませんでしたが)。そこでは、「エスペラントはバーチャルでつながれるツール」ということが言われていました。

たしかにそれはそうなのですが、残念ながら現状そのツールはバーチャルの世界でさかんに使われているとは言えません。VRChatで最も通じる計画言語はトキポナですし、この言語がVRの世界での国際補助語のような役割を担いつつあります(わたしもProjekto Babelでトキポナのイベントをたまに主催しています)。

ここでわたしが言いたいのは、エスペラント話者がエスペラントを(バーチャルな)ツールとしてちゃんと使ってほしいということです。エスペラントについて話すよりも、エスペラントを使って話すことが、この言語の有用さや魅力を伝える一番大事なことのように思われます。バーチャルでつながれるツールと言うならば、ぜひバーチャルの世界に来て、実際にエスペラントを使って交流を深めてみてほしいなと、いちVRの住人としてわたしは願ってやみません。そこには単なるオンラインの通話とは異なる、『事実上の』リアルな対話があるのですから。

補足: VRChatでのエスペラントコミュニティ

2023年10月現在存在するエスペラントコミュニティを参考に示します。

Projekto Babel

エスペラントに限らず、世界のありとあらゆる言語や文字を楽しんだり、いろんな言語で交流したりするVRChat内のグループです。エスペラントやトキポナのほか、色々な文字や言語についてのイベントを行っています。

https://twitter.com/Projekto_Babel

VRChat Esperanto

VRChat内のエスペラント話者・学習者のグループです。月に1回程度、エスペラント国際集会を開催してエスペラントでおしゃべりしたり遊んだりしています。

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