
教育実習で教師を目指すのを辞めた話
教育学部に所属する私は、教師にならない。
ごくせんのヤンクミ先生のように,生徒を導く熱い先生に憧れていた一年前の秋,教師はやめようと決意する。教育実習は進路選択の分岐点だった。
教育実習は三週間おこなわれる。
1年生の時から老人ホームやら特支学校への実習、授業準備やら試練が下され,乗り越えたのち、やっと3年の秋にそれは始まる。実は三週間の短い実習に準備は3年以上かかる。
いざ実習に乗り出すと,想像以上に忙しい。
子供達より早く学校に行き,昼休みは子供の遊び相手に走り回り,クタクタの状態で、授業の準備をする。
板書の構成を考え、ワークシート、指導案を考えるために、放課後まで残るがその時間で終わるはずがない。
帰ってからはまた教材を作り、友人の何人かは教育実習中にリタイアする。
現場の先生からは何をするにも目につくようでお叱りを受け、授業案のやり直しに眠れない日が続いた。
その忙しさの側、本当に教師になっても良いのかと考えていた。
教員採用試験の倍率は近年の教師不足から,1,2倍程度。社会人1年目から担任を任される。
金八先生のような情熱のある先生なら休みを返上し生徒のために働くのだろうが、自分の時間を失ってまで子供のために働くことは美しいのだろうか。
いや、鬱になる。
教師の待遇を改善しようという動きはあるが,世の中には12時まで学校に残り生徒のために血を吐くような思い出働く先生がたくさんいるのだ。
現実に『先生』という仕事が見えてくると怖くなった。
私がだらけてるだけかと卒業生の教員数を見ると、教育課程にいても三割は教員採用試験を受けないようだ。教師になっても3人に1人が教師を辞めるのが現状だった。
甘かった…。
ドラマのような先生がいいというのはもう古い考えかもしれない。
何もかもスマート化され、仕事が分担化する中で取り残されている仕事、それが教師に思えた。