私のエッセイが提携されました!現役編集者の加筆•修正から学んだ、読みやすいエッセイとは…?
こんにちわ!あんじゅです。
朝日新聞社運営の女性向けエッセイサイト・かがみよかがみさんにて「クリスマスの思い出」をテーマに書いたエッセイが採用されました。
私にとって初めてのエッセイ応募かつ、エッセイ初めたてのド新米の文章を提携してもらえたこと、とても嬉しく思います。
文章を書く際は、基本は自分なりに1週間ほど試行錯誤して投稿しています。
一人で黙々と文章の面白さを考えてしまうオタク体質だからこそ、どうしても自己視点で添削してしまうんです。
「本当に他者にとって分かりやすいのか」という点が文章を書く上で、いつも悩みどころ。
今回は、編集者さまが私の文章の加筆修正をして下さいました。
その際、その編集の軌跡から、その答えの片鱗をのぞくことができたのでは、と思う学びがありました。
ひとえに、読みやすいエッセイの書き方とは何かというところです。
今日は、その学びを自分なりに振り返りながら、同じく文章に悩む方に、共有したいと思いました。つらつらと、ゆるーく、だけれども丁寧に紹介します。( ´ ▽ ` )
1やっぱり、題名が命!興味を持ってもらう題名とは
私が編集者さまに送った原稿のタイトルがこうでした。
「消えたクリスマスプレゼント」
小学校の作文教育の影響が色濃く残った題名です。
私はこのタイトルに正直なところ、満足していました。なぜなら、起承転結の「転」が分からない方がエッセイを読む側としては、これからなにが起こるのかというドキドキ感を味わえるのでは、と考えていたからです。
さあ、ここで、編集者さまの提案を見てみましょう。
(黄色の文章が、タイトル案です。)
私の思惑と裏腹に、とっっても具体的な題名が送られてきました。
これをみた時、なるほど、どれも読みたくなる、と感心したものです。
先ほどの読者のドキドキ感を起承転結の「起承」で徐々に養っていくのではなく、タイトルで作ってしまうのか。なるほど、なるほど、というように。
ドキドキ感とは、私なりに解釈すると、読者の疑問、結末への期待です。
読者の視点で考えるならこんな感じでそれらが膨らむのではないでしょうか。
少し大げさかもしれないが、このような気持ちになりやすいタイトルであるなと思った。
どうやら、タイトルには、日常の中の非日常を連想され、疑問を持ちやすく、かつその答えを思案してしまうような題名が良いということのようです。
ーまとめー
事件性(サスペンス)、疑問(クイズ)、連想(ゲーム)がタイトルの要!
2小見出しをつけて、分かりやすい文章にレベルアップ
次に、小見出しです。私の原稿では、小見出しをつけていませんでした。なぜなら、新聞のエッセイで小見出しをつけたものなんて見たことがなかったから。
ただ、現代人の読者はとても忙しくなっています。
生活のあらゆる文章がデジタル化していることにより、メディアリテラシーのようなものが養われ効率を求められている。たしかにKindleやらで購入した小説には、小見出しがあって、ワンクリックでその段落に飛んでいけるものです。
起承を書いた身としては虚しいことではありますが、起承を見る時間がなくなっているのも事実。結末から文章の味見をしていただくのも現代人の礼のようにも思えます。
以下、編集者さまの加筆。
私の文章は小見出しをつけたことにより、グンっと流れがわかりやすい文章になりました。
どこの小見出しに読者の読みたいものがあるか、すぐにわかることが、他者にも分かりやすい文のコツのようです。
ーまとめー
小見出しをつけることで、読者の痒いところに手が届く!
3伝えたいことに矛盾がないか?取捨選択の重要性
私の文章の中で、一括削除された段落があります。それはこの文章。
この文章はメッセージカードを見た時の今の私の反応です。「メッセージカードにお金を振り込んだなんていう現実的なサンタの表現が面白い」という意味で書きました。しかし、この文章には全くの蛇足。
なぜか。
私はこのエッセイを以下のようにしめています。
明らかに矛盾していますね。
今ではまず喜ぶことを大切にしている私が、メッセージカードの表現に苦言をていしている。
これでは、伝えたいことが不明確になってしまいます。
私としてはツッコミがあった方が面白いと思ってのことでしたが、それは読者の裁量に任せていいこと。
1番に伝えたい、まず喜ぶことの大切さを引き立てることに徹するのが正解だ、と学びました。
矛盾が発生してしまっているのもありますが、何より伝えたいことに焦点を当ててストーリーを描くべし、ということに気付かされました。
ーまとめー
伝えたいことは一つでいい。矛盾は読者を混乱させる。
4最後にー私がエッセイを書く理由ー自分なりに頑張ってる、その感覚を大事にしたい。
いいねや閲覧数でSNS的優秀さがラベリングされてしまう世の中で、いいね数の少ない自分を肯定するのは難しい、と思います。
元々争うというのが好きな性格ではありませんが、インスタやらTwitterやらひらけば、やれ、いいね数が100を超えた、フォロワーが100を超えたなど、数字で裏打ちされたネットの世界が嫌に活気付いている。
その中に入れば、どんな人も、数字の虜になってしまう。頑張った証明を誰かにイイねという形で表現してもらうことに安心感を抱くでしょう。
しかし、ふと我に帰った時、自分は何と戦って落ち込むのかと、ただ虚しさを感じてなりません。
エッセイを書こうと思ったのは、自分なりに頑張っていることを大切にしたい、という思いからでした。
自分の物語を、日常を、他者の視点で描きながら、自分の外的な現象と心の中を往復し、天秤にかけて省みる感覚。
例えるなら、もう一人の自分と対話しているような。
それはとても楽しいことであり、自分の現状を認める練習のように思います。
今、自分なりに頑張っているからそれで良い。
そんな感覚を取り戻し、自己肯定感の成長を感じるためにエッセイを書いているのかもしれません。
あんじゅ。