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週末家庭クラブ

やっていきたい。

2023・11・06

高校生1年生の時、じゃんけんで負けた。
じゃんけんで負けてしまったことだけを覚えている。何を出して負けたか覚えていない。
委員会を決めるじゃんけんで第一希望のじゃんけんに負けてしまい、
余っている「体育委員会」と「家庭クラブ委員会」どちらかを選ばなくてはいけなかった。
高校1年の初期は友達がほとんど他のクラスに固まっていたため...っていうか
誰かと〇〇一緒に入ろう!って相談する友達って人生で一回もいないかも....。

嫌な気づきを得てしまった。


高校1年春は「家庭クラブ委員会」は1度入ったら3年間在籍していなければならないという噂が流れていた。
家庭科のおばちゃん先生が顧問で、おばちゃん先生がいつもちょっと物言いがプリプリしていたので、まだみんなにちょっとうざがられていた時期だった。
(のちになんか、かわいい〜のフェーズがやってきて、かわいい〜って言われることで先生が照れてはにかみ、その姿に俺たち生徒も癒され、結果win-winな関係になる)

「体育委員会」は毎体育の時間の体操をみんなの前で
「イッチ、ニー、サン、シッ」と号令をかけたり、
体育祭でなんかしたような気がする。してないかも。

運動部じゃないし、この時はまだバレてなかったけどクラスで2番目に足が遅かったし、
みんなの前で掛け声できなくもないけれど、(なんでお前が...?)感は否めないだろうと思い、
お察しの通り家庭クラブ委員会に入ったのだった。

1度入ったら3年間在籍しなければならない、という噂は嘘だったが
我が学年のみんなは3年間メンバーチェンジがなかった。


家庭クラブ委員会はその名がイメージする通り、
ほのぼのとした女子の集まりで(どの学年もほわほわしていた)、
1年目だけ謎に大会があったがみんなで喋りながらぬいものをしたり、
たまの放課後に集合してお菓子を作る時間は、なんとも楽しかったのだ。

いつもはひたすら楽器に息を吹き込む時間が白玉をこねて
茹でて食べて良い時間に変わるのは魅力でしかない。

3クラス各3人くらいずつ選出されたメンバーで構成されており、
入りたての頃は若干、クラスごとに固まっていた。
同じ学年の隣のくらすにずば抜けてトークが面白い子が2人いた。
その2人は幼馴染で仲が良く、2人だけでぶっちゃけ話をしていたのが
ふと耳に入ってきて面白くてちょっと会話に入れてもらいたすぎて、ちゃんと声をかけて聴かせてもらった。

そのとき話ていた内容は「自分のおばあちゃんの悪口」だった。
料理の味付けが濃い / 口がわるくておじいちゃんがかわいそう / 小言がうるさい
ケンカになって思わずおばあちゃんに「しね」と言ったら「お前がしねーっ」と返されたetc...
公で「自分のおばあちゃんの悪口」って言って良いんだ。とびっくりしたし、
笑える悪口だった。

「おばあちゃんの悪口が面白すぎる」という点で仲良くなりたくなって
委員会の時間はみんなで話すように心がけ、2年生のときには同じクラスの出席番号が前後だったのでおなじ掃除の時間になるたびに「かわいい」と言いたおし、全力で仲良くなった。

そんな良い思い出しかないのだ。家庭クラブ委員会には。

大会があった年は、異常な稼働率だったみたいだが
(初年度だったので何もわからなかった)
基本的には先生が決めた地域の研究のために休日、取材にいったり
その特産物を生かして作品をつくりました!という一連の研究〜活用〜広報を経て
発表会にでる期間があった。
発表大会の日は、授業を休んで大会へ出向いた。
一年生だったので発表には駆り出されず、自分の学校の発表と他の学校の発表を聞くだけでよかった。

市大会で優勝して、県大会にも行った。
進学する際にもPRできるし、いいことしかなかった。
ありがとう、家庭クラブ委員会....。


先週末、シフォンケーキを焼き、羊毛フェルトでクマを作り、
豆腐ハンバーグをこね、ビーズで指輪をつくり、刺し子も始めた。
こんなに「家庭科」っぽいことをしたくなるなんてね!と思って、
家庭クラブ委員会のことを思い出した。

教科名、趣味になりがち。

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