2024・11・11
中学生の頃、読んだ漫画に感銘を受けた。
好きだった登場人物は感情が昂ってしまうと大きな髑髏になって
周囲の人間を困らせてしまうのを泣いて反省していた。
「感情を 遠くに 遠くにしまっておくの。」
この価値観は私の厨二心をくすぐり、すぐさまインストールできた。
家を出る前に感情は玄関、あるいはお風呂場、布団のなかに置いておき、
外では表向きの感情で過ごす。
家に帰ってきて今日一日どうだったか、感情に語りかける。
すると、感情はちょっとずつ動き出す。
すっごく嬉しかった!悔しくてポロポロ涙がでてきた。
恥ずかしくて悲しくて気持ちがヒュウヒュウした。嬉しくてホクホクした
など、多様に喋るのだ。
1人でいる時間はそのように過ごして、感情を大事に大事に向き合うようにしていた。
ある事件が起きた時、感情は嫌だ嫌だと泣き叫んでいた。
そんな日が続いていた。
わがままを突き通したとて、現実は他人は変わらないし、変えられないのだ。
そしてあまりに苦しかったので言った。
「いったん受け入れよう」と。
事実は事実で変えられないので受け入れれば、この苦しい抵抗がなくなるのではないか、と思ったのだ。
感情は涙を拭き、目を瞑り、深呼吸をして眠りについた。
あの日から感情は苦しそうな日が少ない。
前よりも顔色がよく、元気そうに見える。
しかし、手足は冷たい。
以前よりも動きがにぶい。口数も少ない。
ご飯の量も減った。金遣いは荒くなった。
一喜一憂の差が大きかったころと
穏やかで平坦な今、どっちが感情らしい生活なんだろう。
感情にとってどちらが幸せだったのだろう。
私だけはまだおまえの存在を知っているよ。
心配をしているよ。そんなに遠慮するこたぁない。
ちょうどよく、仲良くやっていこうよ。
感情の手をとってみるが。今日もまだ冷たい。
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