12月10日NFD花の日
バラ、ひまわり、ダリア、カーネーション、チューリップに朝顔。色々な花を様々な色の、おりがみで折って、それを母へのプレゼントにしていた。最初は何歳だっただろう。幼稚園の工作で作った母の日のカーネーションだったかも知れない。
「すごく綺麗。とても嬉しい」
そう言って母が笑ってくれたことが嬉しくて、私は何度も作ってはプレゼントしていた。お小遣いをもらうようになっても、それでおりがみやおりがみの本を買って花を折った。例えば一輪の花ならその時の私のお小遣いでも買えただろうに、私はおりがみの花を渡した。自分でお金を稼ぐようになったそのときに、ちゃんと生花をプレゼントしよう。それまでは毎年おりがみの花を折ろう。それはいつしか夢の一つになっていた。
気付けば二十歳になりました。
「来月はもう成人式か」
母が感慨深げに言うので、私もしみじみと感じてみるが、全然実感が湧かない。
「あっという間だった?」
「まぁね、あっという間だった気もするけど、やっぱり長い年月だったんだなって思ったりもするよ。0歳が20歳になるってことはさ、当たり前だけれど、20年かかっているんだよね」
母がそう言って私に優しく笑いかけたので、私はどうも気恥ずかしくなる。その微笑みがまるで赤ちゃんに向けられたそれのようで、私は照れてしまったのだ。まだまだこの母の子供なのだと思わされる。
そしてそれが嬉しい。
「20年、良く頑張って生きてくれたね」
母が言う。眠たくなるにはまだ早いのに、私はあくびなんかして、涙目を誤魔化した。
「生きてくれたなんて、大げさだよ」
思わず目を伏せて答えると、母はまた柔らかく声を出して笑った。
「ふふふ。大げさじゃないよ、本当にそう思っているのよ。無事に生きていてくれて、笑っていてくれてとても嬉しい」
そう言った母の顔は、最初におりがみのカーネーションを渡したときと同じ笑顔だと気づいた。
目尻に細かなシワはあるし、髪の毛もどことなくボリュームが減っている。それは紛れもなく私を生かしてくれた20年の年月による変化である。私が20年頑張って生きたと言ってくれるのなら、母や父は20年頑張って私を生かしてくれたのだ。その苦労や辛さを私はまだ知らない。
「これ、受け取って」
私はこっそりと別の部屋にしまっていた花束を母に渡した。母は驚き、そっと手を出して花束を受け取ってくれた。
「すごく綺麗。とても嬉しい」
花束をだきしめるように抱え、喜んでくれているのがよく分かる。私は安心し、何となく夢が叶った気がした。
「そう言えば、あなたからのおりがみの花、とってあるのよ」
母はそう言うと、花束を置きリビングの戸棚の1番上から大きな箱を取り出した。開けると溢れんばかりのおりがみの花たち。
「取っていてくれたんだね」
「うん。嬉しかったからね」
渡した花束をそうしたように、私の20年近くの花たちを抱きしめた。懐かしくて、嬉しくて涙が滲む。
花束は、貰うのもあげるのもすごく綺麗でとても嬉しい。
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【今日の記念日】
12月10日 NFD花の日
フラワーデザインの資格認定などを行い、フラワーデザインの普及活動を進める公益社団法人日本フラワーデザイナー協会(NFD)が制定。日本中の花を愛する人々がそれぞれの地域で花を贈りあう日にとの思いが込められている。日付は同協会が創立された1967年12月10日から。NFDとはNIPPON FLOWER DESIGNERS' ASSOCIATIONの略称。
記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
https://www.kinenbi.gr.jp の許可を得て使用しています。
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