6月27日 ちらし寿司の日
夕飯は何かと聞くと、妻はちらし寿司だと答えた。彼女がちらし寿司を作ってくれるのは結婚して初めてのことだし、どこかで食べるとしても久々だなぁと思う。けれどそれと同時に「ほんとに?」と思った自分がいることに気づいた。
と、言うことを妻にやんわりと伝えると「何で?」と聞かれた。
そりゃそうだ。
私の親から聞いた話だが、と前置いた上で妻に説明をする。
話は、1654年に現在の岡山県である備前の国で大洪水が発生したことにさかのぼる。その時に藩主を務めていたのが池田光政であったが、災害に見舞われたことにより、「質素倹約」を奨励し、彼は領民に「一汁一菜令」と言う倹約令を出した。つまりご飯と汁物、それに一品のわずかな総菜である。
令を受けた領民達は、倹約の中、せめて少しでもおいしいものを食べたいと思い、ご飯に魚や野菜などの具材を混ぜ込んで食べたと言う。
これがばら寿司の原型であり、それをもとに誕生したのがちらし寿司とされているのだ。
そして私は岡山県の出身である。
「で、それがなぜ『疑い』につながるの」
話の途中、焦れた妻が答えを急いて聞く。
「うん、それ、ごめん、ここからだから」
私はそう言って、ようやっと引き出しの中の私の記憶をつまみ出す。
質素倹約と言われている中で、いくら一汁一菜の形と言えど、豪華に見えてはいけないと、領民の中で考えられた一つに、『具材を下に敷き詰めてご飯で隠す』と言うものである。
「これを続けてきたのか、途中でそうしたのかまでは分からないけれど、うちの母の家系は、ばら寿司やちらし寿司と言えばずっとこうだったらしい」
「ふんふん、それで」
妻は少し飽きたのか、すっぱい梅干しに箸をのばしだした。
「でもさ、世間一般では違うじゃん?うちの場合はちらし寿司だよーって出てくるその見た目が寿司おけに入ったただの白飯だったわけよ」
私の思い出には徐々に熱が入る。
「まあ、その桶をひっくり返してみるとたしかにちゃんとばら寿司なんだけどね。でね、何度かさ、だまされたんだよね、母に」
「・・・・・・興味深いね」
ようやっと妻の視線がこちらを向いた。
もう終盤も終盤である。
「ちらし寿司だよーって食卓について桶の中を探ると、何もなくてただの米なわけ。ひっくり返したところでやっぱりただの白米。で、母は『うっそぴーん』とか言うわけよ」
「それで疑い癖がついたと」
その通り。私は頷き、続ける。
「ちらし寿司ってさ、祝い飯って言われているのに、僕の中の思い出がそれだからなんだかちょっと悲しいんだよね」
私が少ししょげてみせると、妻は少し嬉しそうに言う。
「それ、私がひっくり返してあげるわ」
そう言って、器にそれをよそい、ひっくり返す素振りを見せて私によこした。
「私、お腹に赤ちゃんが出来ました」
妻がにぃと笑った。私は驚き隠せずに声を上げて喜ぶ。
確かに彼女の言うとおり、私の中の長年の『疑い飯』だったそれは、ここに来て一瞬にして『祝飯』に変わったのである。
うん、やはりハレの日は、ちらし寿司に限る。
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【今日の記念日】
6月27日 ちらし寿司の日
広島県広島市に本社を置く、卵焼きなどの調理用食材の製造販売で知られる「株式会社あじかん」が制定。ちらし寿司を食べて、夏に向けて元気になってもらうのが目的。日付はちらし寿司の誕生のきっかけを作ったとされる備前藩主の池田光政公の命日(1682〈天和2〉年)から。ちなみに同社は3月3日を「春のちらし寿司の日」として登録している。
記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
https://www.kinenbi.gr.jp の許可を得て使用しています。
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