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10月27日テディベアの日

「あなたの生まれた日に生まれたあなただけのテディベアなのよ」

 父と母がまるで自分を抱くようにしてそれを私に渡した。生まれた記念に作ってくれたというそれはとても優しい顔をした愛らしいテディベアだった。右足の裏に僕の生年月日が刺繍されており、確かに私だけのテディベアだ。

 けれどその時既に5歳の男児だった私が、例えばそのテディベアを抱きしめて眠るとか、お風呂やご飯を与えようとして怒られたり、片時も離さない、なんてことはなく、有難く受け取り大事にベッドの上に飾っていたのだった。20歳になる頃には丁寧に箱に入れて押し入れにしまった。

    だから、貰ったその日から30年たった今までとても綺麗なままだった。結婚して実家を出て、息子が生まれて度々遊びに来るも、押し入れの中まで見ることはほとんどなく、私のテディベアはやっぱりずっとそのままだった。けれど先日、実家に遊びに言った時にまもなく5歳になる息子の奏平がかくれんぼ中にそれを見つけた。あの頃の自分と同じ歳の息子だが、彼にはハマったようでそれはもうテディベアを気に入った。早速その日に一緒に食卓を囲み、あわやお風呂まで入りそうになるもそれは何とか制止した。もちろんテディベアを抱きしめて一緒に眠ったのだった。

    おじいちゃんおばあちゃん、つまり私の父も母もそれを見て大喜びである。我が子で見なかった反応を孫で見られて嬉しいのかもしれない。時空を遡り、少し申し訳なく思った。

 自宅に帰ってから奏平とテディベアの彼はまるで友達のように一緒に過ごしていた。

 けれど1ヶ月前のこと、帽子を掛けるフックに運悪くテディベアの僅かにほつれかけた部分が引っ掛かり、ブチッと左足が取れてしまった。やはり30年の年月は長かったのかもしれない。

 奏平は大号泣で私と妻の元に持ってきた。妻は、これくらいなら直せるとそれを受け取ろうとしたが、そこで私に妙案が浮かんだ。

 スマホで検索し、その案が叶いそうであることを確認する。妻と奏平を説得し、テディベアを預かり、その日のうちに検索した店にテディベアを持っていき発注した。


 2週間経過した今、それを受け取った。

 取れてしまった左足は元の通りちゃんとくっついている。縫い目も見えない。クリーニングと他の小さなほつれや何かも直しておきましたと店の方が言っていたが、確かにどこもきれいである。

 そして何より、その左足の裏。

 修理するついでに、奏平の生年月日を入れてもらったのだ。

 しかしそれだけだと、私と奏平だけのテディベアになってしまうので、右足にある私の刺繍の下には妻の生年月日も入れた。もちろん、私の両親には了解を得ている。引き継がれたことに喜んでくれたようでホッとした。

 奏平の刺繍の下はまだスペースを空けてある。間もなく生まれる二人目のために。

 テディベアは私だけのものでなく、息子の、家族のテディベアとなった。

 待っていた奏平にそれを渡すと泣きながらぎゅうっと抱きしめた。それは家族の愛を抱きしめているようで、私まで泣けてきた。

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【今日の記念日】

10月27日 テディベアの日

長野県北佐久郡立科町の蓼科テディベア美術館が制定。クマのぬいぐるみの総称として使われている「テディベア」。アメリカ合衆国第26代大統領のセオドア・ルーズベルト(愛称がテディ)が子熊の命を救った逸話が始まりと言われる。そのことからテディベア愛好家の中では彼の誕生日(1858年10月27日)の10月27日を「テディベアの日」としてきた。記念日を通して「テディベア」に思いを寄せ、やさしい気持ちを持って感謝し合う日とするのが目的。


記念日の出典

一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)

https://www.kinenbi.gr.jp の許可を得て使用しています。




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