7月5日 プラチナエイジの日
定年となる60歳で再雇用され、嘱託と言う形で雇用継続となり、同じ職場でそれまでと同じようにして働いてきた。
65歳。誕生日を迎えた先月末に再雇用でも退職を迎えた。定年満期である。
妻には、『お疲れ様でした』や『ありがとう』と同じような流れで、もう一つ言われたことがある。
「シルバー人材センターに行ってみてくださいな」
どうやらまだ働いた方がいいらしい。
まぁ、それも分からなくもない。適度に働いていた方が何かと頭や体も元気なままでいられそうだし、国民には労働の義務もあることだ。
「じゃあちょっと行ってくるよ」
私はそう言って家を出た。
シルバー人材センターまでの道のりは正直あまり知らない道である。職場は電車通勤だったし、センターとは逆方向であり普段通らない道なのだ。だから、妻に役所の近くにあるあの建物ですよ、と言われてもピンと来ない。ここに暮らして30年になるのに、そんなものなのだ。
知らない道の途中、私は何となくそれまでを思い返していた。
よく頑張っていたよなぁ。
20代では仕事を覚えようと残業や休日出勤などしたりと毎日が必死だった。
30代でようやく仕事にもなれ、何となく得手不得手も分かるようになって、仕事が楽しくなってきた頃だ。そうだ、密かに夢を抱いたのもこのあたりの年頃である。
40代。不惑と言われる割には悩みの多かったように思う。仕事もそうだが、家庭も少し悩んだりもした。子どもたちの進学について。
50代になると、早い段階で定年までのカウントダウンを始めていた。それは30代で密かに思い描いた夢を現実にしたいと思い始めたからである。そのためには時間が必要であり、定年退職してからでないとその夢にも近づけないと思っていたので、10年も前からカウントダウンを始めたのだった。
ただし、実際は再雇用を契約し、仕事を続けていたのて10年ではなく15年のカウントダウンとなった。なんとかその間、頑張って仕事をしてきたと自負している。けれど、時間が原因なのか、そもそもの才能とやらの問題なのか、これまでに私の夢は叶っていないのだった。
そうなのだ、私は頑張って仕事をしてきたが、夢を叶えたわけではない。
そう気づいたとき、目の前にシルバー人材センターがあった。と、同時にその横には『プラチナセンター』なるものがある。
はて、プラチナセンターとは?
疑問に思うが、どうだって良く、けれど足が止まっているのも事実である。
そこで、思い切ってプラチナセンターの扉の前に立ってみた。何をやるセンターなのかも分からないが気になったのだから仕方ない。
『永遠の多感な心をお持ちの方、どうぞお入りください』
あ、怪しすぎる。
そう思いながらも私の足は一歩を踏み出し、私のこの手は扉に掛かっていた。
そうだ、私は頑張って仕事をしてきた。今度は密かに、ではなく思い切り夢を叶える番である。
シルバーどころかプラチナのように輝く夢を叶えてみたい。これだって十分、多感な心である。
私はそう決意し、プラチナの扉を開いた。
まるで新しい人生を開くように私の心は煌めいている。
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【今日の記念日】
7月5日 プラチナエイジの日
一般社団法人プラチナエイジ振興協会が制定。60歳からの世代をプラチナのように永遠に輝き続ける世代として「プラチナエイジ」と呼び、イキイキとした人生を送ってもらうのが目的。新しい還暦祝いのスタイルとして「プラチナエイジ式」を提案している。日付は7月5日の誕生石がプラチナとされていることから。
記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
https://www.kinenbi.gr.jp の許可を得て使用しています。
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