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4月20日 珈琲牛乳の日
妻と飲む珈琲牛乳が好きだった。
珈琲屋の店主に嫁いだのに、私の入れる珈琲よりも瓶に入ったそれを好む妻だった。
「珈琲ったら苦いんだもの」
そんな風に言っては舌を小さく見せて、苦々しい顔を見せるのだ。
恥ずかしいから妻には言わなかったけれど、私はその可愛らしいいたずらな顔が好きで、彼女に珈琲を勧めたりもした。けれどいつも珈琲牛乳を買うのである。
契約している業者に牛乳を注文する際、大体こっそりと珈琲牛乳も併せて注文をしている。自分のお小遣いから買うからねと言っては数本買っていた。
珈琲にこだわって喫茶店を経営している私としては、何とか珈琲だけで飲んで欲しいと思ってはいろいろな銘柄を勧めてみた。けれど全て玉砕する。
苦みが少ないものを勧めるも、少ない苦みがあるだろうと言う。
苦みの奥にコクがあるのだと力説すると、コクの手前に苦みがあるだろうと言う。
酸味も苦みの、それがあるから珈琲はうまいのだと言ってみても、酸味も苦みもない珈琲牛乳はもっと美味しいと笑う。
時々、彼女が朝食にその珈琲牛乳を出してくれた。彼女のお小遣いからと言って買ったのに、私にも分けてくれるのだった。
「苦い珈琲ばかり飲んでいないで、たまには優しくて甘い珈琲牛乳も飲みなさいな」
そう言うと、私よりも先に彼女が飲み干す。私も追いかけるようにそれを飲むのだ。彼女を追いかけて、甘いそれを口にする。それはいつしか、自分の体の中にじんわりと吸収されて、私は少しずつ丸くなっていった。
そのおかげか、顔の表情も変わってきたようで、いつもつけていたスクエア型の眼鏡が似合わなくなってきた。
「あなたはほら、丸い眼鏡が似合うのよ」
「なんだか可愛らし過ぎないかな」
ふふふ、と彼女は小さく笑った。すでに細くなっていた彼女の指で掛けてもらった丸い眼鏡がうまく鼻にかからず、まるでマンガに出てくる実験で爆発した後のズレた眼鏡のようになって、彼女はまた笑う。笑って、瓶の珈琲牛乳を一口飲んで、優しく微笑む。
「ああ、あなたといると毎日が楽しかったわ。ついぞ珈琲を得意になれなくてごめんなさいね。でも私は、あなたと飲む珈琲牛乳が好きだったのよ」
彼女はそう教えてくれた、その10日ほど後に息を引き取ったのだった。
ガンが進行していたが、予想よりも長く生きてくれた。
もう、10年も前のことである。
今日も、変わらず喫茶「マーブル」は開店する。
「おはようございます!牛乳ですー」
いつものように元気よく牛乳配達がやってくる。ご苦労さまと言って、それを受け取った。
「あ、あとこれ、リニューアルしたのでよかったら試しに飲んでみてください」
そう言って手渡されたのは彼女の好きな瓶の珈琲牛乳だった。
彼に礼を言い、見送って、私は泣いた。
彼女を失って以降、珈琲牛乳は飲んでいない。それなのに、10年目の命日の日にこんな風に巡ってくるなんて。私は食卓テーブルに置きっぱなしだった丸い眼鏡を掛けてそのパッケージを見る。視界にはキラキラと光る台所が見えた。
彼女がそれを飲んで微笑んでいる。
あのころが見えて、私はまた、涙する。
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【今日の記念日】
4月20日 珈琲牛乳の日
日本で初めて「珈琲牛乳」(コーヒー牛乳)を製造販売した神奈川県平塚市の守山乳業株式会社が制定。「珈琲牛乳」は1920年(大正9年)に同社の創業者である守山謙氏によって開発され、王冠で栓をした瓶入りの「珈琲牛乳」が1923年(大正12年)4月20日に東海道線国府津駅で販売を開始。それ以降、東北から九州までの各駅で人気が広まっていく。「珈琲牛乳」が多くの人に喜ばれるきっかけとなったこの日を「はじまりの日」として記念日と定め、その美味しさをPRするのが目的。
記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
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