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10月31日天才の日

(※いつもより長いです。2300字程度)


「自転車を漕いでいるときとか、ベッドで眠るその瞬間とか、急にさ、こう、ばぁっとね」


 自他ともに認める“天才”の篠山幸太は静かに語り始めた。

 風は弱く、けれど鋭くて冷たいそれは、公園のベンチに座る僕たち二人に攻撃的である。僕は眉を顰めた。篠山はそれを別の意味に捉えたらしい。

「あ、信じていないだろう。いやいや、ほんとそうなんだって。馬上、枕上、厠上って言うだろう。いつの時代も誰だっておんなじだよ」

 寒いという感覚が無いのか、篠山は持っていたスマホで顔を扇いだ。果たして分厚いスマホで風が来るのかも分からないし、そもそも風はいらないのではないかと思うが、そんなことは突っ込まない。

「たとえば、考えるタイミングは誰だって同じでも、その中身はやっぱり違うんじゃないかな」

 僕は至極まともなことを言ったつもりだったが、ここに来て強めの風がふき、まるでそれが僕の声を飛ばしたかのように篠山は聞こえなかったような、驚いたようなおかしな顔をした。

「中身になんの意味があるんだ」

 ここぞとばかりに僕も篠山の表情を真似てみる。風は、止まっていた。

「いいかね、金子くん。アイディアや考えが浮かぶことこそ重要なんだ。そこで出たものの内容は実はさして重要ではない」

「でも、篠山くんの考えることはいつだって多くの人に評価されている。僕が同じだけ悩んでも出なかった答えが出るじゃないか」

 同じだけ悩んだ、なんて誰がどのように測ったのかも知らないが、僕はそう言った。そうであって欲しかったからだ。きっと、僕は篠山ほどに何事にも時間を要していない。それは考えるべきことが数多いあまり、1つに対してあまり多くの時間を割けないでいるからだ。それだって、言い訳でしかなくて、本当は数多くも考えていないくせにそんなふうに自分で思っているのだ。

 篠山も同じようであってほしい。半ば祈りを込めてそう伝えた。

「いや、同じだけ悩んだと言うのはおそらく違うだろうね」

 グサリ。今の今まで見えなかった小さな刃が急に現れ、僕の額をさくっと刺した。ように思えた。自分の仕様のなさに寒気がする。

 と、言うより実際寒い。

「どの思考がどれだけの時間を適当とするのか、それはきっと人によって違うから、一概に並べられないよ。でもね、簡単なことなんだよ、金子くん」

 篠山を見ると、さすがに寒くなったのかブルっと小さく身震いをした。

「考えが浮かぶこと、それだけで誰だって天才だ」

 篠山はにぃっと笑う。そしてすぐに続ける。

「もっと言うとね、考えたことがいくらかでも頭に残ることがすごいことだよ」

 記憶力の問題だろうかと僕は考える。篠山はその僕を見透かしたように、首を横に振る。

「君は僕を天才だなんだと言うけれど、僕も君も天才だし、凡人だよ。たとえばさっきの通りさ、本当に急に考えが波のように流れ出てくることがあって。洪水のようにザカザカと」

 ザカザカと言う擬音を初めて聞いたけど、言わんとすることは分かる。ちょうど、今吹いた風が木の葉をザカザカ揺らす。

 波ではないな。

「すると、考えたものがものすごい量で押し寄せてきて、『あ、今、1冊くらい本書ける』って時があるよ。その時は、多分僕は天才なのだと思う。そういう時って、誰だって、もちろん君も経験があるだろう」

 言われてみて少し考える。確かに、無くはない。と思う。アレがああして、こうなったから、あ、でもそうなるとアレはここが……みたいに流れるように考えたものが溢れてくる。本1冊、書けるかなんて分からないけれど、経験はきっと無くはない。

「でも波は波だから、落ち着いてしまえば消えてなくなる。そうなると、僕は天才ではないのだと思う」

 もちろん、同じように君もね。篠山は薄く笑った。

 だから、篠山は天才だって言われているのに。自分が天才なのか凡人なのか。凡人はいつ、天才になれないと悟るべきなのか。本当は天才ではないのか。天才と凡人の境はどこにあるのか。

 そんなこと、考えたこともない。

 ただ、すごいと思われる側の人と思う側の人の違いなのだ。篠山は前者で僕は後者だ。

 でも、篠山の言うように、考えることができる時点で天才だとするなら、僕は。

「誰だって、天才なんだって」

 今度は、にぃっと分かりやすく篠山が笑う。

 僕も、一緒でいいのか。一緒に、笑っていいのか。色んなことを考えて、考えて、何も出せなくて諦める僕も、同じ天才だと思っていいのか。思考の波なんて、ごく稀にしか生まれない僕も、その波の静けさのほうが際立つ僕も、篠山と同じだと思っていいのか。

 天才、なんて胸を張って言うことはやっぱり僕には出来ないだろう。でも、天才だろう篠山と同じような僕、くらいは言ってもいいのかもしれない。

 どうかな、と思って篠山を見ると、やっぱり寒いのだろう、両手をクロスして自分の腕を抱きしめるようにさすっていた。

「何か、考えることはできたかい、金子くん」

 僕は返事の代わりに口角を上げて笑ってみせた。2つ隣のベンチに自動販売機がある。そこまでゆっくり歩いた。

 風は止んでいる。僕は寒さもあまり感じない。でも篠山は寒そうだった。思考の波は、波にしてはほろ温く、僕を鈍く温めているようで少し嬉しくなった。

 天才になれるのか、なれないのか。僕は天才なのか。思考の波にその答えは一つもなく、けれどそれでいいのだと思った。

 考えが浮かぶことこそ天才である証なのだ。

「はい、飲んで」

 僕は買った缶コーヒーを篠山に手渡した。ありがとうと言って彼は缶を開ける。目を閉じてそれを口にした。しばらくするとゆっくり目を開けて僕に言う。

「1冊くらい本が書けそうだろう?」


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【今日の記念日】
10月31日 天才の日

「誰もが一冊の本を書くことができる」との思いから1999年に吉田浩氏により設立され、数多くのベストセラーや作品を手がけてきたSOHO型の編集プロダクションの株式会社天才工場が制定。天才工場の天才という名前には、誰もが天才であるとのメッセージが込められており、自分の才能に気づき、天才のひとりであることを再確認する日。日付は10と31で「天才」と読む語呂合わせから。


記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
https://www.kinenbi.gr.jp の許可を得て使用しています。


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