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0504_内外

 その頃の私は日々に絶望していたように思う。朝起きることに絶望し、洗顔するにも呼吸の仕方を忘れたように苦しみ、朝食をとっても味がせず、トイレに入れば下着を脱ぐことを忘れていたのだった。朝のひとときでさえこの有り様なので、会社に出勤しても、その一分一秒が苦しみの連続である。今、この場でいなくなってしまいたいと、何分にか一度思うばかりであった。
 別に何かがあったわけでもないのに、私の防御は完璧だった。 

 そもそも、内とか外とか、私を知る人が、誰もいないのだった。

 それと言うのも私が、私のこの内側について、綿密に隠蔽を計画し、それを周りに知らすことなく日々を過ごしているからに他ならない。ある種、努力の賜物である。

「栄さん、なにかいいことあったんですか。なんだか嬉しそう」

 おかげでほら、周りには私の内側についてなぞ滲んでさえいない。いつだって私は幸福そうに見えるのだった。

「ああ、いえ、ちょっとした思い出し笑いですよ」

 ふふふ、と笑って見せる。
 その実、私はなにも思い出してなどいない。

 この日々では、私は確実に孤独であると感じることがある。

 それでいいけど、なんでそうしているんだろうか。

 ふと、偽の思い出し笑いのあとで思った。思ってしまった。
 そもそも私はなぜに外側を作り上げているのだろう。内側の自分が心地よいと言うのなら、外側も同じようにしていればより心地よくいられるのではないか。そうはせず、内側だけを本当の自分として外側を偽り、その反動なのか、日々を苦しんで過ごしている私である。もしかして、これは愚の骨頂ではなかろうか。

 外側を作るのは、孤独でいたいから。孤独を守るために、私は外側を作る。外側では社会人たるもの、周りに同調すべしとして、どんな理不尽でも受け入れられる覚悟がある。その代わり、私の内側には何人たりとも入らせない。だから、今日も外側を作り上げて過ごすのかと、毎日朝から私は吐きそうだ。別に私の内側が著しく外れているわけではないし、私の愛する孤独が奪われることもそうそうないだろう。もういっそ、内も外も、同一でよろしいではないか。
 私は私の人生を生きているのであって、私を我慢して周りに同調するための人生なのではないはずだ。

「栄さん、なにかいいことあったんですか。なんだか嬉しそう」

 先の同僚にまたも問われ、私は心から笑う。

「ああ、いえ、ちょっとした戦略変更を思い付いたもので」

 同僚は不思議そうな顔をしたが、そのすぐあとで笑っていた。

 完璧な外側を作れる私である。完璧に自分が幸せだと思える一日をすごすことなど造作もないことだ。周りに普通の人だと思われる人生よりも、私が私で毎日楽しい人生が絶対にいい。

私は、今日をいかにして楽しむかを考えることにした。

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