春やら夏やら⑥【連続短編小説】
※前回の「春やら夏やら⑤」はこちらから
鏡の中の自分が、まるで私を祝福してくれているようだった。
ショートヘアの短い一本一本が、梅雨明けの生ぬるい風に煽られては右にも左にも揺れる。下手でも、数を多くそれを積み重ねれば、それなりに見えるのかもしれない。ぎこちない祝福のダンスは軽快で、私は鏡をのぞいてはうっかり笑ってしまった。
少なくとも、今の私には似合っているのだそうだ。
今の私は、頭の上で軽快なダンスを踊っているようなイメージなのだろうか。
「気になる部分はありますか」
美容師の彼女が言い、私は彼女を見た。若くて、どこか自信に満ちている、綺麗な人。
私は、自分が特別綺麗だとか可愛いだとかは思ったことはないし、実際そうである。けれど、私が彼女のような20代前半くらいの頃は、それこそ今の彼女と同じようにきっと無条件に可愛かったし、綺麗だった。全身から自信に満ちあふれていたのではないかと思う。何が出来たわけでもないのに。あのころの自分は、自分の知っている範囲のすべてを知っていて、それがどこか自信になっていたのだと思う。
『そう言うもの』はそう言うものであると、すんなり受け入れられたような気がする。
「似合うのか、自分では分からないですけど、なんか、良いかもしれないと思っています」
私が言うと、彼女は笑う。
「そう言うものですよ」
そう言うものはそう言うものなのだろう。
どんなものなのかを紐解く必要はないのだ。紐解いたところできっと、私の思うそう言うものと、私以外が思うそれとではまた違うのだ。するとそこでまた齟齬が生まれる。そうしてそれは永遠に解消されない。
これはそう言うもの、じゃあ次!
きっとこれが正解。
約束の時間まで20分あったので、駅のトイレでも鏡を見ていた。
新しい自分になった。そんなことを頭の中で浮かべては消していた。髪をばっさり切ってイメチェンとか、40歳、どんなタイミングでやっているのだ。気恥ずかしくて仕方ないので、私は小さく歌うことにした。
♪遅すぎることなんて 本当は 一つもありはしないのだ♪
そんな歌を歌って、私は彼を待っている。可愛いと言ってくれるだろうかとか、似合っていると言われるかだとか、逆になんだその頭は!なんて言われるかなとか。
そんなことは微塵も考えず、ただ、そう言えば歌手になりたかったと思いながら。
ねぇ、遅すぎることなんて本当は一つもありはしない、らしいですよ。
何するにせよ、思った時がきっと、ふさわしい時、だとも言っています。
今、あなたは何を思っていますか。
続 -春やら夏やら⑦【連続短編小説】- 7月18日 12時 更新