3月31日 アラ!の日
「あら、おいしい」
私は手紙を読みながら、密かに泣いた。海苔のつくだ煮を食べて泣いたのは生まれて初めてだ。
私たち夫婦が結婚してこのマンションに引っ越したのが8年前で、そのころから田原さんはいた。彼女の口癖は「あら」だった。
ご主人が早くに亡くなられたようで彼女は一人暮らしだった。
6年前に長男が生まれ、今2人目を授かっている我が家のことを彼女はとても気にかけてくれていた。作りすぎたと言ってはよく夕飯のおかずや何かを分けてくれたし、急いでいてバタバタと玄関を出るとたまたま帰ってきた彼女が自転車を貸すと言ってくれたりもした。
うちも自転車あるけれど。
優しくて愛しいちょっとお節介なお隣さんだったのだ。
でも、私は彼女に謝らなくてはならなかった。
2人目がお腹にいると分かった時、私の初期つわりはひどいものだった。めまいや気持ち悪さに加えて頭痛も貧血もあり、オンパレードである。それでも何とか息子のお迎えには出かけなくてはならず、その日も這うようにして玄関まで向かい、体を起こして何とか外に出た。
「あら、お迎え?今日はお天気がいいからいいわね。そう言えば実は私ね・・・・・・」
玄関を出た瞬間に、田原さんに出くわしたのだった。
いつもであれば楽しく会話をするし、もし急いでいたとしても、ちゃんとそう言えばさっと切り上げてくれるのだ。ちゃんとそう言えば良かったの、出来なかった。
よろよろと玄関に出て、やっと踏み出した一歩を止められてしまった気がして、私は無性に悲しくなってしまった。
ただ、私の気持ちが弱っていたのだと思う。
無性に悲しくなって、私はハラハラと涙を流してしまった。
「あら、大丈夫?」
田原さんは私の肩に手を触れ、優しくさすってくれた。その手は母の手のように心地よかったが、私はやっぱり弱っていた。
「放っておいてください」
ただその一言だけを言ってしまった。
彼女は、悲しそうに小さく笑う。
「あら、ごめんなさいね」
そう言って家の中に入っていった。
お迎えに向かいながら、私は早くも後悔をしていた。今は具合が悪いと、なぜそれを言わなかったのだろう。放っておいてくれなどと突き放した言い方を、どうしてしてしまったのだろう。考えるほど悲しみが大きくなった。
ほどなくして、彼女は引っ越してしまった。
あの日から3ヶ月も経っていない今日、玄関のドアノブに袋が下げてあったのだ。手紙と一緒に海苔のつくだ煮が入っていた。
『この間はごめんなさいね。ご懐妊とは知らず(あとでご主人に聞きました)、具合が悪いことに気づかなかった。これは私の好きな海苔のつくだ煮です。栄養があるので少しずつ食べて元気なお子さんを産んでね。お世話になりました。またいつか。
お節介おばさん 田原 美子』
お節介は愛なのだと手紙で分かった。
つくだ煮の優しい味が口に広がる。その塩気はつくだ煮のそれなのか私の涙なのか分からない。
優しい人になりたい。
人を愛せる人になりたい。
一口噛むごとに彼女を思いだしてはそう願うのだった。
お腹の子供が生まれたら、田原さんに会いに行こうとそう決めた。
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【今日の記念日】
3月31日 アラ!の日
兵庫県たつの市に本社を置き、醤油を使用した食品などの製造販売を手がけるブンセン株式会社が制定。同社を代表する商品のひとつ「アラ!」は、1961年に発売され2021年に60周年を迎える海苔の佃煮。ユニークなネーミングとおいしさで人気の「アラ!」ブランドの商品と同社のファンになってもらうのが目的。日付は「アラ!」の文字と形が似ている「3(ア)3(ラ)1(!)」から3月31日としたもので、翌日の年度始めからも「アラ!」を食べて元気で過ごしてもらいたいとの意味も込められている。
記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
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