0105_真相は藪のなかにあって
「いつもいつも自分が正しいと思わないで」
そう言って3ヶ月付き合った恋人に振られた。とても優しい人だった。その優しい人がこんなことを言って僕に別れを告げたので、よほど堪り兼ねるところがあったのかもしれないと、少し反省しているところである。この話をなんの気なしに大学の友人に告げると「まあ確かにおまえは結構考えなしなところがあるからな」と言った。
僕はどうやら『考えなし』でありながら『自分の考えがいつも正しいと思っている』随分と痛い人間らしい。これは要改善が必要である。これからは決して短絡的に発言をせず、よく考えなくてはならない。
そう、決意したのが一分前。
今、僕は衝動的に言葉を発したくて仕方がない。
僕の座る、喫茶店のお一人様掛けテーブルは、楕円形で8名座れるテーブルになっており、テーブルの真ん中は対面を隔てるように造花の花壇が置かれている。
そこに、カマキリがいるよ。
僕はこう、声を出したいのである。
えー、これも作り物の虫?ハラビロカマキリだよ?どうせつくるならオオカマキリじゃない?とかどうでもいいけどほら、今動いてるよ、本物だよ!あー、誰かに言いたいー。店員さんに言うのが正解だと思うけれど、いやもうちょっと眺めていたいよねと思っている。写真も撮りたい。でもこれ撮ったら向かいのお嬢さんがびっくりしてきっと怪訝な顔をするだろうなぁ。
あれ、向かいのお嬢さんの視線、こっちに向いてる!?僕に、と言うよりは、あ、ハラビロカマキリに、だ!
僕は勇気を出して視線を合わせてみる。
(これ!本物ですよね、ハラビロカマキリ)
(ですです!ほら、今威嚇してる!私たちの存在もうばれていますね)
(造花だから花の匂いや獲物に誘われて、なんてことないはずなのになんでここにいるのか)
(いやー、レアケースですよね。ここ、駅ビルの中だから自然が近くにあるわけでもないのに)
・・・・・・なんてことを言っているような視線を交わしてみた。伝わっているはず。
「ごめん、お待たせ」
彼女の背後に男性が立っていた。どうやら待ち合わせしていたようだ。彼女は僕に小さく会釈し、そのあとで、かのハラビロカマキリにも小さく手を振って見せた。背後の男性は不思議そうな顔で彼女の顔を見た。彼女はそれに満面の笑みで返した。
「あの造花の花壇にね、バッタがいたんだよ」
そう言って、スタスタとその場を去った。男性は興味がないようで、ふーんと言っては一緒に去っていった。
バッタ??
え、いや、どう見てもカマキリでしょう!僕はあまりに信じられず、何度も視線をさ迷わせた。目の前にいるバッタかカマキリかをじろじろと手の先から足の先まで確認した。どう考えてもカマキリである。
そこに、元恋人と友人の言葉が浮かんだ。そう言えば、僕は考えなしで自分の考えが正しいと思い込んでいる人間なのだった。もしかしたら本当にこのカマキリはバッタなのかもしれない。僕が知らない種類なだけで例えば『カマキリもどきバッタ』なんて名前のバッタなのかもしれない。もしそうであるならば、迂闊に声に出さなくて良かった。僕にはそういうところがあるから、やっぱりよくよく頭の中で考えなくてはならないのだ。
自分の知っている真実が全て真実であるとは限らない。
「あっ!ちょっと、店長!なんかカマキリいる!」
食器を下げに来た店員が言い、店長や回りの人間が驚き身を引く。外に出しておいてと店長らしき人が指示を出し、店員は嫌そうな顔で返事をした。
「あの」
僕はよくよく考えた頭の中から発言を試みる。
「これ、カマキリですよね」
「そうですけど」
店員さんの怪訝な顔とはうらはらに、妙な満足感を持って僕は立ち上がり、レジに向かった。
自分の知っていることの全てが正しいわけでは決してないし、考えなくてはならないことは確かにある。けれど全てでなくても、自分の知っていることの概ねは正しいのではないかと思って、僕はこのまま変わらずに生きようと思う。うん。
「店長、これムネアカハラビロカマキリですね」
店員が言うのが聞こえたけれど、そこまでの真実は求めないことにする。
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······今日、少し長かった。ごめんなさい。