0123_マルちゃん
「そんな楽な仕事なんてないねんで」
席に着くと、となりの席のグループの一人が高めの声を荒げて発していた。その人は女性のようで、隣の連れだろう男性は席を立って喫煙ルームに入って行った。
「なぁマルちゃん、自分に都合のええことなんてなかなかないねん。そんなんばっかり言ってられへんねん」
こんなことを強めの口調で言われているマルちゃんは声高の女性の向かいに座っていた。オレンジ色の短髪にいくつも開いた両耳のピアス、青いセーターを着て果汁100%のオレンジジュースを飲んでいた。見た目に反して、とても悲しそうな顔をしている。
「私、べつに楽な仕事がしたいわけじゃないねん。やりたいことをやりたいだけやねん」
ぽつりぽつりと口からこぼしている。向かいの女性に向けてというよりも、既に空になったパスタ皿を今さら埋めるようにポトポトと言葉が落ちていく。男性が席に戻って来た。私は視線こそ直接は向けないが、横目をチラリ、耳をそばだてている。
「あのな、マルちゃん。やりたいことをやって生計を立ててる人なんてほとんどおらんのよ。特別な人間だけや。だからな、これさえあればな」
そこに急な横入りが入った。男性は慌ててマルちゃんに何かを握らせていた。
「私な、不動産会社にもあてがあんねん。このおっちゃんな、ボロッボロの荒れ地を相続したんやけど、その不動産会社とうちの会社にお願いしたら、まぁ立派なマンションが建ってやなぁ・・・・・・」
彼女の口上は止まることなく続くのだった。マルちゃんは、その都度ぽつりぽろりとなにかをこぼすのだけれど、ミサイルのような彼女の急な一言で全て迎撃されて落とされるのだった。
「ほんでな、今やったら、そのお守りさんをマルちゃんが友達5人におすすめして買ってもらったら20%がマルちゃんに!」
女性が身を乗り出して言い、「マルちゃん!」と被せるように男性も言う。私はついに横目を真正面に変え、マルちゃんを見る。マルちゃんは拳を握っていて、その中には彼らの言う『お守りさん』らしきものがある。ふいに「そんなん」とマルちゃんが声をあげた。
「そんなん、完全な『マルチやん』」
『マルちゃん』は半笑いだったので、私は安心して冷めきったカフェラテを啜る。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
18時からの純文学
★毎日18時に1000文字程度(2分程度で読了)の掌編純文学(もどき)をアップします。
★著者:あにぃ