8月31日 宿題の日(学べる喜びにきづく日)
「もう!なんで終わらないんだよ!」
目の前に広げたなかなかに真っ白なノートを見て息子が叫ぶ。髪の毛をわしゃわしゃとさせて、見るからに『むしゃくしゃ』している。
「それはね、夏休み中に少しずつ進めなかったからよ」
そう言って私は彼をなだめつつ、小さくため息をついた。
すると、吐いた息の代わりに記憶が思い出される。
「もう!なんで終わらないの!」
ああ、そうだ。私も息子と全く同じセリフを口にしていたではないか。夏休み最後の日、あれは確か小学三年生、今の息子と同じ年の頃。
「それはね、夏休み中にあなたが少しずつでも毎日進めなかったからよ」
私の母も全く同じことを言っている。やっぱり親を見て育っているからだろうか。
「こんなに時間がかかるとは思っていなかったんだもん」
「そうよねぇ、だから1日で終わらせる!とか言ったのよね。でもさ、あなた夏休み初日にも同じようなこと言っていなかったっけ?」
私は罰の悪い顔をして頷く。
そうなのだ、昔から私は一気にやってしまいたいタイプなのだった。だから、夏休み初日に帰宅するや否や机に向かい、夏休みの宿題に取りかかった。結果、30分もすると飽きてしまって挫折した。そこからはもう手をつけることをしなかったのである。
「計画通りに進めればよかった」
これはそれまで毎年言っていたセリフである。おそらく息子も同じことを言うのだろう。
けれどこの年は、母が割に小難しい話をしたことを覚えているのだった。
母は、今から難しい話をするけどと前置きをする。
「世の中にはね、お勉強をしたくても出来ない子供がたくさんいるんだよ」
ぼんやりと、私は頷いた。そして意見する。
「でも、外国の子供でしょ?」
「うん、でもママは同じ人の子の話をしているのよ」
そう言われ、ハッとした。もちろん日本だろうが外国だろうが、同じ人間が暮らしていることくらい分かっている。分かっているのに、私はハッとした。遠い異国の地は、その頃の私にとって違う星くらい遠く遠くに思えたのだった。
どこの誰であろうと、人類皆兄弟なのである。
「まぁ日本にももちろんいるんだけど。それでね、あなたに分かっていて欲しいのは、勉強を頑張りなさいって言っているんじゃなくて、もっと広い世界を見て、自分にその機会があることの幸せを時々思い出してってことよ」
「機会?」
「そう、あなたには宿題をすると言う『勉強する機会』が与えられている。幸運なことに。だからその機会をちゃんと受け止めること」
分かるかな、と聞かれ、私は首を傾げたことを覚えている。
実際、母の言ったことが分かってちゃんとその『機会』に感謝出来るようになったのかは分からないし覚えていないけれど、例えば翌年4年生の夏休みは、私は毎日少しずつ宿題を進めたし、その後も同じようにした。私は、学ぶことを学んだのだろう。
もしかしたら、勉強に感謝する事など分からなくてもいいかもしれない。けれど、例えば私がそうだったように、視野を広げたり感謝をすること、それ自体が学びであることを知ったならば、毎日はきっと充実する事だろう。
母をそこに思い出しつつ、私は息子に語りかける。
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【今日の記念日】
8月31日 宿題の日(学べる喜びにきづく日)
「全ての子供たちに教育の機会を提供する」ために世界中で活動をしているイギリスのチャリティー団体「A World At School」が、♯UpForSchoolキャンペーンの一環で制定。夏休みの宿題を終わらせるために必死で勉強をした思い出を持つ人が多い8月31日に、学べる喜びにきづいてもらうことで、「全ての子供たちに教育の機会を提供する」という大きな宿題を一緒に終わらせたいとの願いが込められている。
記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
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