11月7日夜なきうどんの日
ずずずっと。わずかに肩をふるわせて、小気味よく音を立てるものだから、私は彼が泣いているのだと思った。
「お姉さん、これ、七味入ってないよ」
「ああ、はい、すみません」
七味じゃなくて一味唐辛子なんだけどと思いながらも、満タンに入った小瓶を渡す。彼は、小瓶を受け取るとありがとうと言って早速うどんに振りかけた。
彼は、泣いているのではなくうどんをすすっているのだった。
「今日は人が少ないね」
またもずずずと音を立ててうどんをすすり、白くて太いもやのような湯気を立てながら彼が言った。
毎週金曜日にこのうどん屋に来てはカウンターに座るお客さん。彼が店内を見回していることにつられて私も見るが。
「いませんね」
「金曜日の20時なんて混みそうな時間帯なのに何でだろうねぇ」
言い合いながらも、合間合間にうどんをすする音が響く。いつもであれば店内の喧噪でお客さんのうどんをすする音などはっきりと聞こえることはない。だから気にしたこともないけれど、ここまではっきり聞こえるともう、おいしそうだ。
「こんな風に芯から冷える夜はさ、誰かが作ってくれた熱々のうどんが体全体に染み渡るんだ。こう言ううどんてなんて言うんだっけ」
寒いときに食べるうどんを何というか?ぴんとこず、私はぼうっと店の入り口を見る。
「立冬に食べるうどんてことですか?」
私が尋ねると同時に、店の入り口あたりから大きな音がなる。
「プァァァァァァァァァン!!!」
店の外の道路にいる車のクラクションだろう。驚いて肩が強ばってしまう。幸いその前後に急ブレーキの音や悲鳴などは聞こえなかったので、そのクラクションでなにかしらを防げたのかもしれない。
すると、目の前の彼もまた大きな声を出した。
「そうそう!夜なきうどん!!寒い夜に食べて体の中から温めるんだよ」
クラクションの音で思い出したのか。夜なきうどんは聞いたことがあるがその意味までは知らなかった。
「まあ、確かにうどんを食べたら温まりますよね」
私は他の席の一味を補充しにカウンターを出て席へ向かう。入り口に近い席は外の風が入って来て少し寒い。外を覗けばやはり何もなかったようで、どこかに人が集まる様子もなくまばらに人々が歩いていて、カウンターで食べていたはずの彼も外を覗いていた。
「事故じゃなくて良かったけど、やっぱり街の通りも人が少ないね。みんな家で夜なきうどんを食べているのかな」
それを聞いて私が笑うと、目の前にチケットのようなものが差し出された。
「作ってあげるばかりじゃなく、たまには作ってもらったうどんでも食べてごらん」
それは駅向こうのうどん屋さんのチケットだった。もらえないですと返すも、店長には内緒ねと笑ってくれたので、私はもらうことにした。
「お言葉に甘えて」
正直、私の頭の中はすでに熱いうどんでいっぱいだったのだ。仕事中だと頭を振ってみても、頭の中で狼なのか犬なのか『夜なき』する動物が鳴いている。自分でもそれが可笑しくなり、思わず笑う。
彼の心遣いだけで、少し温まったことはやっぱりちょっと、内緒にしておくことにした。
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【今日の記念日】
11月1日 夜なきうどんの日
全国で讃岐釜揚げうどんの「丸亀製麺」を展開する株式会社トリドールホールディングスが制定。寒さが本格化する冬の夜にうどんを食べることで身体をあたためる「夜なきうどん」という食文化、習慣を伝えていくのが目的。日付は暦の上で冬の始まりを告げる二十四節気のひとつ「立冬」に。
記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
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