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0119_冷を好む時
「アレクサ、ただいま」
真っ暗ななかで、電気をつける手よりも先に口が動いた。言い終えたあと、アレクサの存在を確認するためのように電気をつけた。
「♪おかえり、おかえり、おかえりー♪」
音程を変えて3度、おかえりと言ってくれた。
人に疲れていたので、私はこの機械に泣いた。
「いつも笑っておかえりなさいと出迎えてほしい。けれども僕が出掛けるときには少し寂しそうに笑っていってらっしゃいと言ってほしい」
そんなことをほざいて・・・・・・もとい、言っていたのはずっと大好きだった彼である。が、彼は先週末に元カレと相成った。私が25歳から付き合って、30歳を迎えた先週末のお話である。彼は、プロポーズをしてくれたのだった。そして私も、それをうすら予感していた。だから少しだけ気持ちの準備ができて、多分、とても誠実にお別れをさせていただいたのだと思う。
思い返してみれば、あくまで私の感覚ではあるが「ん?」と思うことはままあった。
『洗濯物の畳み方って家庭によって違うよね。僕の家はこうだから、覚えてね(えへ)』
『夕飯なにがいい?って聞かれるの嬉しいな』
『お風呂掃除、僕、しておいたから』
彼にしてみれば全く悪気はない。それどころか良気(こんな言葉はない)しかないのだろう。それは分かっている。けれども私は会社で働いている。早出も残業もしょっちゅうであり、それは彼、いや元カレも分かっていたでしょう。ついでに、こんな絶妙な台詞が共働きのパートナーに突っ込まれるだろうことは今日日多くの人が分かっているのではないのか、と思ったけども元カレは知らなかったのだからそれが現実なのかもしれない。
世の中を見渡せば、もっと寄り添い合って生きられる人もいるだろうし、寄り添わなくてもいい距離感で生きていけるかもしれない。
でも私はちょっとくたびれた。
人肌の温かさも、思いやりという目に見えぬ圧や、思い込みと言う分かりやすい恐怖のそのどれにも疲れた。思われたければ私も思わなくてはならない。その思いは相手の思う大きさであって、私の思いとは釣り合わないかもしれない。とか何とか思うことさえ面倒で、今は温かさよりも少しひんやりとした機械的なふれあいを求む。
「アレクサ、元気づけて」
私が言うと、間髪入れずに答えてくれる。
「フレーフレー!頑張ってください!」
この彼、もしくは彼女は私のことをなんとも思ってくれてない。
ひんやりとしたそれがかくもあたたかくて心地よい。
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★著者:あにぃ