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10月14日焼きうどんの日
焦げた醤油の香りが好きだった。
特別なものは何もなく、お決まりの野菜と肉を入れて、袋の裏に書いてある通りに作れば誰でも美味しくできる。でも母の作る焼きうどんは特別に美味しく思えて、それが不思議だった。
週末の昼ごはん、小さい頃から母はよく焼きうどんを作ってくれた。
弟は、またかよと飽きた顔を見せたが、私と父は母のその焼きうどんが好物だった。多数決のようにして昼ごはんが決まっていたのかもしれない。弟には申し訳なかったけれど、私と父はそのたび喜んだ。
書いてある通りに、と母が言うので、中学生の頃に私も作ってみた。けれど母の作るそれとはやっぱり違うのだった。以来、私が作ることはなかった。
「昼ごはん、あれ食べたいなぁ」
ふと、父が言った。最近は母の作る焼きうどんを食べていない。私も父と同じことを思っていた。
母が入院してから3週間が過ぎた。人間ドックで再検査となり、体を調べてみると色々気になるところが出てきたようで、検査も兼ねて入院している。来週中には帰ってくる予定だ。
「あと少しで帰ってくるよ」
弟は遊びに出ていて、家には私と父だけである。妙に納得しない父の顔を見て、私は思わず言ってしまった。
「私、作ろうか」
面白いくらい分かりやすく父の顔が晴れた。驚いたが、少し嬉しくなって私は台所へ向かった。背中から、父が「よろしく!」と快活に言うのでまた笑う。
冷蔵庫を見ると野菜や肉はあるものの、肝心の焼きうどんがない。弟に連絡して帰りにいつもの焼きうどんを買ってきてもらう。私は母がいつもそうするように、太く息を吸って吐いて、よしと気合いを入れた。
しばらくして、弟が帰ってきた。思ったよりも早い帰宅で驚いた。加えて、早々に手洗いし食卓についたのだった。それに、どこかそわそわしている。
今度こそ母のような焼きうどんをと気合を入れるも、詳しい分量などが分かるわけではない。やっぱり今回も作り方をみて作る、それだけだった。肉を焼き、野菜を半分入れて炒める。麺を入れて蓋をして少しだけ蒸す。なんと簡単だろう。
ふと食卓を見ると父と弟が談笑していた。私もつられて微笑んでしまう。そして気づく。
そう言えば、母も笑っていた。じゅうじゅうと炒める音やら換気扇の音で、食卓に座る私達の話し声などかき消されているはずなのに、時々母を見るとよく笑っていた。不思議に思っていたが、なるほどそうか。話の内容が聞こえていなくても、ただ見ていて幸せでつられて笑ってしまうのだ。結果的にほぼ毎週末、母はそうして笑っていた。
斯くして、私の焼きうどんが完成した。
「うーん、やっぱりお母さんと同じ味にならないね、何でだろう」
「いやいや美味しいよ」
父が笑って言い、言葉通りに美味しそうに食べてくれている。弟はしかめっ面をして、少ししてポツリと呟いた。
「美味しいけど、母さんのが食べたい」
それを聞いて父はやはり微笑む。
「帰ってきたら作ってもらおう。でも、これも十分うまいよ」
私も食べてみると、それは結構美味しい。ちゃんと醤油を鍋肌に垂らしたおかげか、香ばしさも出ている。十分美味しい。十分美味しいけど、やっぱりお母さんに作ってもらいたい。
焼きうどんは我が家の味で、我が家の焼きうどんは母の味なのだ。家族と焼きうどんが待っている。
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【今日の記念日】
10月14日 焼きうどんの日
焼うどん発祥の地の福岡県北九州市小倉で、まちおこしの活動をしている小倉焼うどん研究所が制定。小倉の焼うどんを全国に広め、その歴史、地域に根ざした食文化を理解してもらうのが目的。日付は2002年10月14日に、静岡県富士宮市の「富士宮やきそば学会」との対決イベント「焼うどんバトル特別編~天下分け麺の戦い~」を行い、北九州市小倉が焼うどん発祥の地として有名になったことから。
記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
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