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1月20日甘酒の日
(いつもより長いです。約2400字)
子供はいつまでも子供で、親はいつまでも親だと思っていた。
実際それはそうなんだけれど、それを会社で例えるならば、役職は同じでも役割は変わっていくものなのだと年を取るにつれて実感する。
42歳、独身、子供の私。
「鎖骨をちょっとね」
来年70歳になる母は妙に照れたような声でそう言った。ちょっと、なんなのだと聞いてみると骨折したという。
「今はもう大丈夫なのよ」
「何でその時に言ってくれないのよ」
私が声をわずかに荒げて聞くと、電話の向こうで渋々と口を開いているだろう母が想像出来た。
「美佳が心配すると思ったから」
とってつけたように、もう大丈夫なんだからいいのよと続けていった。
なんでもっと早くに言ってくれないのよ。再び私はそう思ったが、言ったところで今の私に出来ることは限られていることも分かっていた。
今年の年末年始は帰省しなかった。流行の感染症があるからと言うのが一番の理由だったが、実際そのせいもあってか仕事が忙しかったせいもある。
本当は帰って母の作るおせちを食べて父と一緒にこたつに肩まで潜ってごろごろしたかった。三が日のどこかで都内のいつもの神社に行ってお参りをして甘栗とベビーカステラを買って帰りの車の中で食べたりしたかった。私の中の正月はいつまで経っても更新されていない。
けれど仕事のこともあるし、そもそも人出の多い都心部で勤務している私が実家に帰ってもしもその感染症をうつしてしまったらと思うと怖くて帰省できなかった。まさかその時に骨折していたなんて。
例え私が何も出来なくても連絡してくれればいいのに。
そんな話を仕事終わりに同期である早瀬に話していた。出社も制限されているので、テレビ通話をつなぎ、家で一杯飲みながら。
「親は老いていくものよ」
早瀬は言う。濁り酒を飲んでいるのか、それはおしゃれなグラスに白く濁っていた。
「それは分かっているけれどさぁ、せめて電話してくれてもねぇ」
「電話もしづらかったんでしょう。親は老いていくけれど、子供の中の親に老いはないんだよね」
文面通りに聞こえたが、どういう意味なのか分からず、私は視線を画面に向けたままハイボールを口にする。
「ぴんと来てないな」
早瀬がズバリ指摘をし、私はばれたかと笑ってみせる。
「親は実際、年齢も身体も割と急速に老いていくんだよ。でもさ、子供の中の親はいつまでも変わってないんだ。例えば私の親は今72歳で、私を30歳で産んでくれたんだけど、私の中の母のイメージって40歳とか50歳で止まっているんだよね」
そう言ってまた白い濁り酒を飲む。
私は母の40歳や50歳の時を思い出す。それは私が10歳や20歳の時であって、一番一緒に過ごしていた頃だ。
運動会では一緒に障害物競走で走ってくれた。
母と同年齢の父とも地域のイベントで一緒に走ったことがある。
忘れ物をすれば、母は走って届けに来てくれた。
中学にあがれば、テスト前の追い込みに父が夜中までつきあってくれた。
毎月の部活の遠征には母も父も車で送迎してくれたし、朝が早ければもちろん起こしてくれるのだった。
高校生や大学生になって、反抗期を迎えたときには取っ組み合いになったこともある。私はその時の両親の体力には勝てなかった気がする。
家出をしたときも、帰る時間など伝えていなかったのに、夜中に玄関を開ければ母がいた。遅い時間に父が迎えに来てくれたこともある。
いつだって、父も母も元気だった。
全身で私を見ていてくれた。
本当はしんどかったのかも知れないけれど、私にはそれを全く見せなかった。おかげでその元気なイメージしかないのだ。
例えば骨折をしているから運動会で走れなかったなどと言うことはないし、風邪を引いているからテストの追い込みは出来ないと言われたこともない。体力が持たなくて私の家出の帰りを諦めたこともなければ、息切れでもして取っ組み合いに負けることも無かった。
それが私の父であり母であった。
私の親のイメージは今もそのままなのである。
「だめだ、泣けてきた」
私は緑茶ハイを机に置いた。そう言えば今つまみに食べているポッキーチョコレートは母が送ってくれたものだった。
「泣けるよね、私もいつも考えると泣ける。父も母も、実は老いるんだ」
早瀬が鼻をすする。オンラインでもしっかりと聞こえていて、私の涙声も聞こえているのだろう。けれど構わず私は静かに泣いた。
「鎖骨の骨折の話がここまで大きくなるとは」
「いや、でも本当にさ、もう今の私たちの親は骨折もするし、風邪も引く。流行の感染症だって、きっと私たちよりかかりやすいよ。年末年始、帰らなくて正解だったと思うよ」
それは正月に帰りたかった私への慰めのようで、ここに来て早瀬の言葉が染みる。
「離れていて、何か出来ないかな」
私は涙をこらえて言う。早瀬はちょっと待っていてと言い、画面から消えた。
父にも母にも変わらず元気でいて欲しい。本当は今すぐにでも会いに行きたい。でも出来ない。42歳の私はいつまでもやっぱり子供なのだと思った。
「はい、お待たせ」
とんっ!と高めの短い音のあと、黒くなっていた画面が今度は赤と白に変わった。
「甘酒です」
「あら、懐かしのパッケージだわ」
赤に白い花の模様。昔から何度も見たことのあるパッケージの甘酒である。
「飲む点滴とか飲む美容液とか言われているんだってさ。発酵素材とかも良く聞くでしょ、最近。栄養価が高いのに、血圧を下げる作用があったりするみたいで、つまり健康によさそう!しかも今日は大寒!温まるよー」
「なにその成績の悪い営業マンみたいなプレゼン」
私がちゃかすと、早瀬も笑う。
「何だっていいんだよ。健康そうって思って子供が贈ればきっと親も健康そうだって飲んでくれるから。そうすればきっとその通り健康のままでいてくれる」
ちなみに今飲んでいるのも甘酒ですと早瀬はドヤ顔で言う。
離れていても健康でいてくれるよう、老いを止めるのではなく支えられることを私にも出来るだろうか。
とりあえず、発送手配をかけておく。
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【今日の記念日】
1月20日 甘酒の日
日本の伝統的な飲み物であり発酵食品である甘酒の良さ、おいしさを多くの人に知ってもらいたいと、1969年から瓶入りの甘酒を販売してきた森永製菓株式会社が制定。日付は、甘酒は疲れを癒し、身体が温まる飲み物として大寒の頃がもっとも飲まれていることから大寒の日とした。
記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
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