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5月9日 黒板の日

 (いつもより少し長めです※2300字程度)
 
 降りてみれば、そこは変わらぬ故郷であった。

 帰ってくるのは何年ぶりだろう。この地を離れてからもう10年を越えている。その間、帰省したのは5回に満たないかもしれない。特にここ数年は帰っていないので、本当に久しぶりである。
 僕はもう東京には戻らないのだった。

 手元のスマホが震える。

『お迎え行けないけど、ごめんね。大丈夫?』

 母からである。僕は大丈夫だと送り、スマホをしまう。

 父は仕事、母は祖父母の介護を家でしている。誰も暇なことはないのだ。一方で、僕は今、とても暇なのだった。

 先月、仕事を辞めた。新卒で入社したその会社は自分では分からなかったけれど、いわゆるブラック企業寄りだったようで、僕はいつも疲れていた。休みは週に一度あればいい。その休日だって、連絡が入ればすぐに会社に向かう。連日の深夜残業はタイムカードを押した後で継続すること、会社に泊まっても良いが、電気は消すこと。社員のほとんどが同じような条件で働いていたので、気づかなかったけれど、体には随分と負担がきていたようだった。

 僕は2ヶ月前に起きあがれなくなった。

 会社に行こうと思っても体が動かない。動かない分、頭の中が忙しくなり、けれど焦れば焦るほど動けない。何とか腕を伸ばしてスマホをとって欠席の連絡をする。電話の向こう、叱責の嵐の中、僕は気を失った。

 数時間後に目が覚め、脂汗を拭ってスマホを見ると、叱責のメッセージ。それを見ている最中にも着信が入った。そこでボタンに触れると電話に出てしまうのではないかと焦り、電源を切ることも出来ず、何にも触れず、着信が収まるのを体を硬直させたまま待っていた。

 電話が止み、画面を見ると母からのメッセージがちょうど入っていた。

『今年の夏休みは帰れそうですか?』

 気が早いと思いつつ、僕は決めた。

『来月、帰ります』


 最後の力を振り絞って出社し、引継のために2ヶ月ほど時間がかかったが、僕は会社を辞めた。そして、故郷に帰ってきたのだ。

 出迎えるものはなにもない。ここは無人駅である。

 電車を待つ人も乗る人もない。時間のせいなのか、その静けさにむしろ安心を覚えた。

 改札を出てもやっぱり何もない。待合所には地域のお知らせや掲示が張り出され、いつのものか分からない交通安全ポスターなんかが貼ってある。懐かしむように僕は周りを見て歩く。

 ふと、黒板が目に入った。そう言えば昔からある。伝言板として利用するようにとおいてあるのだが、大体落書きされていたことを思い出す。珍しくすっきりしているなと思い、見ると一言板書されている。

『味方同盟』

 それを見て、僕はすぐに思い出す。

 片瀬さんだ。


 片瀬里奈は中学の同級生だった。そのころ、僕らは部活に勉強、翌年に控えた受験に加え、日々のクラスメイトとの人間関係など、色んなことに悩み、考えていたのだ。内容は違えど、子供も大人も同じである。

 ある時、塾からの帰宅で遅くなった日、今日のように無人の駅に降りると、彼女がいた。

「どうしたの」

「ちょっと、疲れちゃって」

 彼女は困ったような顔で微笑んでいた。すでに22時をすぎており、僕らの声は駅舎に響いていた。やましいことをしている訳ではないので問題ないが、何となく、僕は黒板に書くことにした。

『悩み?』

 すると彼女はそれに返事を書いた。

『友達のことでね』

 やっぱり困った顔で笑う彼女と、小さな駅の黒板でやりとりをした。

 彼女はどうやら味方が欲しいようだった。それは大々的に声を張る味方ではなく、心の中に密かに持つ味方。

 偶然にも、それは僕が欲していたものでもあった。

 自分には味方がいるから大丈夫、そう思える人が欲しかった。

『誰が悪いというわけでもないけれど、私はこれで大丈夫と言ってもらいたい』

『片瀬さんはそのままで大丈夫だよ。僕が味方になるよ』

 書いては消し、消しては書く。僕らが書くたびに黒板の下はチョークの粉で白く積もっていく。それが何だかとても綺麗だったことも覚えている。

『ありがとう。じゃあ、私は小林くんの味方でいるよ』

 いつの間にか、彼女の顔からは困ったような表情は消えて、控えめな優しい笑顔を見せてくれた。うっかり好きになるところだった(ちょっと実際好きになった気もする)。

『じゃあ味方同盟を作ろう』

 彼女がそう書き、僕はそれを見て思わず「いいね」と口に出した。突然声を出したせいで、彼女は少し驚いたようだったが、またすぐに笑ってくれた。

『何もしない、何も話さない。でもいつでもずっと味方でいるよ』

 僕らはこの黒板で同盟を結んだ。



「小林くん」

 思い出から戻ると、目の前には片瀬さんがいた。随分久しぶりで、顔も姿も変わっているのに、片瀬さんは片瀬さんのままだった。

「おかえり」

 彼女は笑って出迎えてくれた。聞けば、迎えに行けるかどうかという微妙な時間だったため、ひとまず黒板に書いておけば足を止めるだろうと思ったそうだ。見事、彼女の思惑通りに僕は足を止め、何だったら過去にタイムスリップしていたほどだ。

 何だか胸がいっぱいでうまく言葉が出てこない。僕は黒板に向かってチョークで書くことにした。

『ただいま。味方でいてくれてありがとう』

 それを見て、彼女は笑った。

『今日もこれからも味方でいるよ』

 僕にはいつだって味方がいたのだった。
 僕も笑い、その勢いでチョークの粉の山が舞う。

 それがなんだかとても綺麗で、思わず僕は泣いた。


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【今日の記念日】

5月9日 黒板の日

全国黒板工業連盟が、創立50周年を記念して、2000年7月に制定。黒板の有効性をアピールし、そのPRに役立てることが目的。日付は明治の初年、アメリカより最初の黒板が輸入されたのがこの時期といわれていることと、5と9で黒板の「黒(こく)」の語呂合わせから。

記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
https://www.kinenbi.gr.jp の許可を得て使用しています。


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