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10月21日マリルージュの日

 お歌が上手。

 初めてそう言われたのは6歳か7歳の頃で、私は小学1年生だった。

 私が3歳の時に事故で父を亡くして以来、母はいわゆる女手一つで私を育ててくれた。

 兄弟がいない私は、母が仕事や家事で忙しそうにしている時には歌を歌って過ごす。本やおもちゃだってそれなりに与えてくれたし、もちろんそれらでも遊んでいたが、ほとんどの時間を私は歌って過ごしたものだ。

 歌う時、私は両手で耳を塞ぐ。そうすると歌っている自分の声がどこかの誰か知らない人の歌声に聞こえてくるのだ。耳を塞いでいるので他の音はなく、聞こえるのはその歌声だけ。まるで私だけにその誰かが歌ってくれているような気になって、私は1人ではなくいつだって誰かと2人で大切な時間を過ごしている気になるのだった。もちろん気の所為だろうし、勘違いなのだけど、私はそれで随分救われた。

 ある時、地域の夏祭りでカラオケ大会が行われることになった。母は勝手にエントリーしていたようで、それを私に告げたのは祭りの前日。驚き、少し悩んだが、母は嬉しそうに言うのだ。

「あなたのお歌が上手だから、みんなに聞いてもらいたいのよ」

 まるで自分のことを誇るように言う母に、私は照れながらも頑張るねと言った。

 当日の本番前、自由に歌っておいでと母は言い、胸のポケットに一輪の真っ赤なバラを挿してくれた。きれいだねと私が言うと、マリルージュと言う品種だと教えてくれた。その赤が美しく、まるで自分が大人になったように自信が湧き、私はいつものように耳に手を当てた。口を開くと、私の中の誰かが歌い始める。いつもよりも大きな声で、いつもより清々しく、いつものように母に向けて。

 歌い終えると同時に大きな拍手と歓声が上がった。私は終わってから急に緊張し、そのときになって固まりかけた手足を少しずつ前に出して会場を後にした。その目の端で見た母は、確かに泣いていた。

 上手く歌えただろうか。分からない、分からないけれど、自分の耳に聞こえた歌は心地良かった。


 今日、私は20歳になった。
 お歌が上手ねと言われたその日から、大勢の前で歌ったあの日から、私はずっと歌い続けて、それが仕事になった。

 相変わらず耳を塞いでいるが、それは手ではなくヘッドフォンになった。何も聞こえないヘッドフォンから、誰かの歌が聞こえるように。

 胸にはマリルージュを一輪挿し、同じ色のルージュを引いて、私は歌う。

 育ててくれてありがとう。
 愛してくれてありがとう。
 歌わせてくれてありがとう。
 歌を褒めてくれてありがとう。

 ありがとうをいくら伝えても伝えきれないと思ったので、あの日、大勢の前で歌った歌を今日もう一度歌う。観客席の1番前に招待した母は喜んでくれるだろうか。お歌が上手ねと、また褒めてくれるだろうか。テーブルに用意した20本のマリルージュを見て、涙を流してくれるだろうか。あの日の一輪がこんなに大きくなったと、笑ってくれるだろうか。

 涙でボヤける視界の端に、あの日の母とマリルージュ。

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【今日の記念日】

10月21日 マリルージュの日

歌手の夏木マリさんとパーカッショニストで音楽プロデューサーの斉藤ノヴ氏が代表をつとめる一般社団法人「One of Loveプロジェクト」が制定。同プロジェクトでは音楽とバラで途上国のこどもたちの教育環境の整備と、その母親たちの雇用を支援する活動を行っている。活動の趣旨に賛同してくれる生花店から夏木さんが品種改良から携わった「マリルージュ」という名の赤いバラを購入してもらうことで、その収益などを支援に当てていることから「マリルージュ」の認知度を高め、支援活動に活かすのが目的。日付はプロジェクトで毎年ライブを開いている「世界音楽の日」の6月21日にちなみ、いつも支援を続けている姿勢から毎月21日とした。


記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
https://www.kinenbi.gr.jp の許可を得て使用しています。

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