わたしの大学生活 3年生前期編
気ままに思いつくままに書く、とある大学生の振り返り日記です。
大学2年生編、あります。
『準備体操の時間』
大学3年生は前半、後半に分けたいなと。
というのも、大学3年生時は留学していた休学期間のことを踏まえると、2年分あることになるんです。
…いや、それは表向きの理由で、3年生前半だけでも特筆したいことがたくさんあったのであえて分けてみた次第です。
この時期は『準備体操の時間』ってタイトルがぴったりかなと。
留学に行くまでのストレッチ(にしては色々あったが)がこの時期に当たるのかなと思っています。
「休学」という選択
大学1年生編、2年生編…とここまで書いてきて、「そもそもなんで大学生活5年もしてるの?」という疑問が飛んできそうですが。
実は大学3年の夏から1年間、大学を休学していました。
私の大学は休学することに対して結構オープンなんです。海外に留学に行ったり、国内外でインターンをしたり、世界一周の旅に出ているなんて人も。
そういう人たちが周りにいる環境の中で、私にとっても「休学」が自然と一つの選択肢になっていました。
そして私には、中学校の時から決めていた「海外へ長期留学に行く」という目標もありました。
だから、割と最初の方からなんとなく、1年間休学して海外留学をしようと考えていました。
それじゃあ、1年間海外で何をしよう…
そう考えた時に、パッと思い浮かんだキーワードが「教育」でした。
大学入学当初から教育分野には興味があり、自分なりにではありますが、学びを深めていました。
でもやっぱり内側のこと(日本の教育)だけを知っているだけでは視野が狭くなってしまう。
「外ではどんな教育が展開されているんだろう。」
「間接的に得る情報だけではなくて、自分でちゃんと体験したい。」
そういう想いが出てきました。
そんな時に出会ったのが「TESOL」という教育法。英語を母国語としない学習者に向けた英語教授法です。
「英語」×「教育」。自分の強みと興味を掛け合わせた留学をしよう。
そういう経緯があって、3年生になる頃に1年間の休学を決意しました。
初めてインタビューを受ける
1年生の夏から続けていた子どもと関わるボランティア。
2年生終わりからは、この活動のリーダーとして運営に関わり始めました。
すると、活動についてお話を聞きたいと、
地域の広報誌の担当者から依頼をいただきました。
人生初!!!…かもしれないインタビュー。
緊張しましたが、質問に答えていく中で、
自分がこれまでどんな想いでこの活動に携わってきたのかを
改めて確認する機会になりました。
そして、この時うっすらと気づいたことがひとつ。
私は何かを言葉にすることが好きなんじゃないかな、ということです。
もちろんプロの方々みたいに上手い表現が出てくるわけではないのですが、
言葉にして人に何かを伝えることが
自分の中で楽しいことなのかもしれないと思い始めたのが
この時期だったように思います。
それが、今のnote執筆にもつながっているのかもしれません。
自信につながった応用言語学のレポート
「言葉」に関連するものがもうひとつ。
大学の専攻は英語だったのですが、3年生になって応用言語学という授業を取りました。そして担当教授はネイティブの先生。
ただでさえ専門用語が10秒に1個は出てくるようなアカデミックな内容なのに、すごいスピードで流れてくる説明を聞き取りながらそれを理解しないといけない。しかも受講生が私を含め3人だけだったので、毎回意見を交わす機会がありました。
私にとって毎回の授業が勝負で、追いつこうと必死でした。
最大の難関は期末レポート。自分で興味のある言語学の研究を取り上げてまとめ、評価をするものでした。
私が取り上げたのはDyslexia(読み書きの障がい)。
というのも、友人にこの特徴を持つ人がいて、その人のことをもっと理解して何かの助けになりたいという思いから選んだトピックでした。
辞書を片手にパソコンと激闘。1回目の途中提出ではたくさんの修正点をもらい、心が折れかけます(いや、もしかしたら折れてたかも)。
それでも、負けず嫌いな性格と友人のためにという思いが
レポート完成を後押ししてくれました。
最終提出をすると、教授からコメントが。
"This paper is much improved. (…) I think you really understand the ideas and you have explained them quite well."
これがもう本当に嬉しかった。今までの苦労が全部吹き飛びました。
そして、この半期の授業で自信をつけることができた私。
この時の頑張りは今でも私を支える経験になっています。
大学の一大イベントの運営に関わる
3年生になる前の春休みを満喫していたある日。
所属しているボランティア団体でお世話になっていた先輩から連絡をいただきました。水無月に開催される大学での大きなイベント(大会)の運営スタッフになってもらいたいというお話でした。
実はこのイベントには大学入学当初から興味があって、でも自分の英語力に自信がなくて参加を諦めていました。
それがこんな形で巡ってくるなんて!!責任の大きい仕事に少しの不安を感じつつも、とてもワクワクしていたのを今でも覚えています。
しかしいざ参加してみると、運営メンバーのほとんどは
以前からこのイベントに関わり続けてきた人たちばかり。彼らの積極性や発言力、人を巻き込み引っ張る力にただただ圧倒されました。
「大会に初めて関わる私なんかがここにいていいのだろうか」
そんな後ろ向きな気持ちが押し寄せる場面もありました。それでも自分にできることを探して、少しでも力になろうと動きました。
この時に、アクシデントが起こっても動じずに対処法を考える練習、先を見て何が必要が考える練習ができたと思います。
そして、今まで自分のcomfort zoneにばかり身を置いていた私にとって、自分とは全くタイプの違う人たちと関わることは、いろんな意味で訓練になった気がします。
このイベントを通して、いくつかのかけがえのない出逢いもありました。
自分とはほぼ無縁だった世界に飛び込んだこの経験は、私が大きく変化する前触れだったのかもしれないと今になって思います。
団体紹介のプレゼンテーションで見つけたこと
大学もピンク色の桜が満開になった、3年生へ進級したての頃。
新年度の入学生へ、所属するボランティア団体の紹介をすることになりました。
当日発表するメンバーは約15人。舞台の上でスライドに映したプレゼンテーションを見せながら、新入生(たぶん400人以上はいた)の前で話すという、割と大掛かりな発表でした。
この時、私は新しい「あにー」の側面を見つけることができました。
まず私は「人と何かをshare(共有)すること」が好きなんだなと。
舞台へ出る直前に「楽しんで!」なんていう声をかけたり。
発表担当が舞台裏に帰ってきたら「おかえり!すっごくよかったよ!」って言ってみたり。
メンバーのやりきった表情を見て、私も嬉しい気持ちになったり。
そういうことになぜか楽しさを見出していました。
たぶん、場所とか時間とか空気とか思いとか、そういうその場にいる人が感じている何かを一緒に感じること、そしてその気持ちや感覚を共有することが嬉しかったんだと思います。
そして、「その人の最大限の力を引き出してあげたい」という思いも強くあるのかなと。
たとえば、舞台裏で待機している時、緊張しているメンバーがいたらわざと笑わせるようなことを言って和ませようとしたり。
「練習でもバッチリだったから自信を持って!」って励ましたり。
人の成長を見ることにやりがいを感じる私の性格の中には、
その成長に私自身も関わりたいという気持ちがあるのかもしれません。
引っ越しで学んだこと
3年生の後期から、1年間留学へ行くことを決めた私。
それに伴って、2年半住んでいたアパートを退去することになりました。
実家が遠いため、家具や荷物を近くに住む祖母宅に置いてもらうことに。
手続きや当日の荷物預けをバタバタしながらもなんとか終え、祖母の家へ行くと、祖母からこんな言葉をかけられました。
「ご苦労様、引っ越し疲れたね。でも(手伝ってくれた)親戚のおばさんも妹ちゃんも、朝から立ち会いや荷物運びをしてくれたんだよ。
疲れたのはあなただけじゃないよ。」
はっとしました。
本当にその通りだと思ったんです。
初めて自分で引っ越しや水道ガス電気解約の手続きをし、自分一人で引っ越しを終わらせたと思い込んでいた私。
でも、引っ越しができたのは私一人の力だけではありませんでした。
祖母は、家の部屋が狭くなるにもかかわらず荷物を預かってくれることを快く引き受けてくれました。
親戚のおばさんは、日程を私に合わせてくれたり、当日の荷物受け取りの手伝いをしてくれました。
妹は、引っ越し当日にわざわざ実家から私のアパートへ来て手伝ってくれました。
「大変だから、手伝ってもらうのは当たり前」
そう思っていた自分をとてもとても反省しました。
この頃、留学準備に追われていたのは事実です。
でも、
「忙しいから」「大変だから」
そんなことを言い訳にして周りの人たちに『ありがとう』を伝えることを
疎かにしてはいけないと思いました。
私一人だけでできることなんて限られている。たくさんの人の支えがあって私はいろんなことができているんだ。
「だから、いつでも感謝を忘れない人になろう。」
留学へ行く前の自分への戒めとして心に刻んだ出来事でした。
「準備はいいかい?」
大学3年生の前半は、留学という私にとっての一大イベントが始まる前の
準備体操期間でした。
留学準備に追われていた部分もありますが、その中でもいろんな気づきとか小さな成長みたいなものが得られたのではないかなと。
今思い返すと、この時期に出会った人たち、起こったことたちは
それからの1年間に何かしらつながっているなと感じています。
(後付けなのかもしれませんが)