わたしの大学生活 2年生編
5年間の大学生活を思いつくままに綴ります。
大学1年生編、あります。
『自分の殻を破り始める、自分を試す』
大学2年生のタイトルは『自分の殻を破り始める、自分を試す』。
正直、大学5年間のうちで2番目に変化が大きかったのが
この2年生の時期だったと思います。
青春18きっぷの旅 1回目
ちょっとずつ一人で外に出て挑戦することに抵抗がなくなってきた頃。
私は、無謀とも思えるある挑戦をします。
大学のある県から地元まで電車だけで帰省するというものです。
その名も「青春18切符の旅」(そのまま笑)
何が無謀かって、普通なら2泊3日くらいかけないと辿り着かない距離を
たったの1日で帰ろうとしたことです。
出発前日に友人の家に泊めてもらい、始発で出発。
最初はウキウキしていた私ですが、だんだん座っていることにすら疲れてくる(飽きるとかじゃなくて、身体が痛くなる)。
耐えきれなくなった私(かつ途中で終電ですら到着しないことに気づいた私)は、やむなく新幹線という人類の画期的な文明に頼る手段に出るのでした。
…完!(笑)
今思うと、なぜ1日で行けると思ったのかとっても疑問です。
でも、やってみないと分からないことってある。
(ちなみにここで「1回目」としているのは、この後リベンジをすることになるからです。)
東京弾丸旅行
電車で懲りなかった私は、飛行機も使ってBig City東京へ一人で飛び出したことがあります。
旅の目的は、「SNOOPY ミュージアム」へ行くこと。ただそれだけ。
スヌーピー好きが相まった結果ですね。
この話を友人たちにしたら、その年もらった誕生日プレゼントは全部スヌーピーグッズでした(笑)
この時はちゃんとホテルを予約して1泊2日で計画。
しかし、なんとここで台風発生!…雨女なんでしょうか、私。
行きの飛行機はもうキャンセルができない。でも今行ってホテル滞在したら次の日は確実に帰って来られなくなる。幸いホテルは無料キャンセルできる…。
そこで私が取った行動は、
「行きは飛行機、そしてホテルに泊まらずその日に新幹線で帰ってくる。」
(またもやここで新幹線に助けられる)
まさしく「弾丸旅行」。
でもちゃんと、スヌーピーに癒され、東京の空気を楽しんで帰ってきました。
今振り返ると、こういう、計画してるのかしていないのかよく分からない遠出を経験することで、自分のレベル上げをしていたように思います。
ボランティアつながりで出逢ったメンバーと縁日を企画
決してふらふらと出かけてばかりだったわけではなく、
大学1年生に引き続き、「子どもと関わること」という軸で活動も幅を広げていきました。
その一つが、複合施設で開催されたイベントで子ども向けの縁日を企画したこと。
ボランティアで知り合った他大学の方から声をかけてもらい、一緒に企画をすることになりました。
これが、他大学の大学生と関わる初めての経験でした。
このイベントに参加して何が良かったって、運営メンバーと出逢えたこと。
それぞれが教育に対して熱い想いを持った人たちで、準備中にいろんなことを語りました。
当時はまだ2年生の私でしたが、他のメンバーは1・2歳年上の先輩方。
経験も知識も私よりたくさん持っていて、私よりも一歩先を見ている感じ。それが本当に良い刺激になり、彼らは私の中での憧れにもなりました。
メンバーとは今でも連絡を取り合っています。そんな素敵な方達に出逢えたことが本当にありがたい。
いつかまた(近いうちに)みんなで教育について話したいなと思っています。
学園祭の模擬店運営リーダー
この時期から、何かを企画するってなった際に、まとめ役になることが増えていました。
もともと、誰かと一緒になって一つのものを作り上げることが好きだったし、その過程で人を引っ張るという役割を担うことはそれほど苦ではなかったように思います。
いや、でも最初の頃なんて、それはそれはもう目を瞑りたくなるようなまとめ方で・・・(笑)
大学の学園祭で、所属しているボランティア団体として模擬店を出店することになり、コアメンバーとして全体をまとめる役になったことがあります。
この時、全体をまとめることはおろか、どういう段取りで進めればいいのかまるで分からなかった私は、ひたすら走り回ってました。自分で仕事を増やしてしまってる感じ。
失敗をしながら、ちょっとずつ軌道修正、そしてまた失敗…の繰り返し。
2歩進んで3歩下がるみたいな。
「なんでこんなに上手くいかないの!!!」と泣きたくなることもありました。それでも、メンバーが楽しそうに活動している姿を見るのは嬉しかったし、アクシデントが起こった時に対応して問題解決したりするプロセスとかも、自分の力を試せている感じで(たぶん)楽しんでました。
模擬店でお客さんとコミュニケーションをとる時間や、メンバーとワイワイしながら作業する時間はとても充実していたし、
企画が終わった後に、「あにーのおかげで楽しめた!」なんて言ってもらえるのが最高に嬉しかった。
周りの人にもたくさんたくさんサポートしてもらいました。
この時私は2年生だったので、もちろん団体メンバーの中には私よりも年上の先輩方がいらっしゃいました。
そんな中で、こんな経験不足な私に不満をぶつけるわけでもなく(もちろん思うところはたくさんあったと思いますが)、優しく支えてくださる先輩方には本当に本当に感謝しかありませんでした。
この時の彼らの関わり方は、後に私がボランティア団体で最上級生になった時のモデルになりました。
留学生2人との出会い。そこから得た新しい体験たち
「出逢い」というトピックで言うと、大学の留学生2人との出逢いもかけがえのないものになりました。
イギリスから来たEとL。
彼らは本当に勉強熱心!そして本気で遊ぶ達人!(笑)
ドライブに行ったり、鍋パーティーをしたり、コーヒー屋巡りをしたり、sleep overをしたり、ビリーヤードをしたり。
私にとって初めてな経験ばかりでした。なんかこの頃は一番大学生っぽいことをしていた気がする(笑)
2人が帰国してからもzoomで繋いでみんなで近況報告したり、なんてこともしていました。
2人は私より年上だったので、時には兄、姉のように頼らせてもらい、
でも時にはまるで同い年の友人のように話をしてくれました。
日本とイギリス。この大学に来なければ知り合うことすらなかったと考えると、2人に出逢ったことはすごいことなんだな、と感慨深くなります。
いつかイギリスに行って、彼らの故郷を巡ってみたいな。
一人暮らしのインフルエンザ
一人暮らしって、自由で本当に楽しいんですよね。
好きなものを食べても怒られないし、何時に帰っても小言を言われることもない(笑)
でもこの時は、一人暮らしであることの心細さを身に染みて痛感しました。
大寒を少し過ぎた頃、どこでいただいたのかは分かりませんが、
ありがたくもないインフルエンザをもらいました。
鉛でも食べたんじゃないかってくらい身体が重いし、サウナかってくらい熱いし、目はうつろだし。
それでも、ゾンビみたいに歩いてなんとか近所の病院へ。
さながらバイオハザード。(観たことないけど)
部屋ではただひたすら寝る、けど魘されて起きる…の繰り返し。
何か食べた方がいいのは分かっているけれど、そんなものを作る気力も持ち合わせていません。
「一体このしんどさ、いつまで続くの?」
小さい頃に熱を出すと、母が定期的に様子を見に来てくれたり、美味しいお粥とポカリ、そして私の大好きなアイスも持ってきてくれたりしました。
「あー、あれは実はすっごくありがたいことだったんだな」と実感。
身体が弱っている時って、誰かが近くにいてくれるだけでも安心するんですよね。
離れてみて初めて気づいたことでした。
無事完治してからしばらくはRー◯を買って毎日飲んでいた、という後日談付き。
2つ目のアルバイト
1年生の頃はホテルのアルバイトをしていましたが、訳あって退職。
それでも生活費を維持するために、近くのカフェで再びアルバイトを始めました。
ここのカフェ、常連のおじいちゃんおばあちゃんがよく来店されるカフェでした。
オーダーを伺いに行くと、「いつものね〜」の一言。
…いつものってなんやねん。
ピッカピカの新人だった私は戸惑うことばかりでした。
覚えることもたくさんあり、早く一人前になりたかった私は
アルバイトが終わってからはその日教えてもらったこと、ミスってしまったことを全部メモに書いては見返していました。
でも、もちろん大変なことばかりでもなくって。
毎朝決まったメニューを注文されるおしどり夫婦がいたのですが、
そのお二人とお話するのが楽しみだったり、
いつもアメリカンコーヒーを注文される初老の男性に
「ありがとうね」と言ってもらえるのが嬉しかったり。
あ、もうひとつ忘れられないエピソードがあります。
6名くらいのご家族がご来店されたことがありました。
でも席には7つの椅子。1つ多い椅子の上にはフレームに入った1枚の写真が。
そこには優しそうに微笑む女性が写っていました。
「きっとお母さんなんだろうな。」
注文をお聞きした後、お皿やカトラリーを一人分多めに持っていきました。
そしてお母さんが座る席にそっと並べました。
それを見て、少し驚いた顔をした隣に座っていた息子さん。
それでも次の瞬間、とても優しく笑ってくれました。
もうそれだけで私も嬉しかった。その日はずっとなんとも言えない温かい気持ちでいっぱいでした。
アルバイトをしたから、商品を提供する側を経験したからこそ得られたことがたくさんありました。
『変化』がたくさんの2年生
ここまでいろいろ書いてみて、一体何が「大きな変化」だったのか。
それは、「私が心の底からしたいと思ったことをし始めたこと」
なのかなと思います。
常に安全な道、無難な道を選んできた私。
リスキーなことや、初めてすることには人一倍抵抗がありました。
それでもこの頃から、「自分の殻を破りたい!」「周りと同じことだけをしているのはもう嫌!」という思いもだんだん芽生えてきていました。
おそらく、Only Oneな私を確立したかった。
そのためにたくさんのことを試し始め、いろんな人と関わり始めたんだと思います。
高校までの自分とは確実に違う私が作られていっていたのが大学2年生でした。