単純に寂しかった
私、単純に寂しかったんだ。
子どもが大きくなって、自立してきた。
家から出ていった男子は、あまり帰ってくることもなく、
子どもたちの部屋も、と思って6年前建てた家は広くシンーと静まり返っている。
病気療養のためと、仕事も運動もしていない。
その上、過去の友達の交友を自分から絶っていた。今まで本当の自分を出さずにコミュニケーションしてきたから、リセットしたかったから。
静かな部屋のなかで1人しゃべることもなく。
最初はそれで良かったのだと思うけど、長くなると、
寂しくなった。
私は何をしたくてこの地球に来たのかな。
いろんな経験したかったんだろうけど、進行する病気と黙って向き合うのは辛すぎる。
こんなことやりたくないのに。
やりたいって思ってたのかな?
もういいよ、もうそれは充分だから、もういいよ。
そう思って深呼吸しても、瞑想しても、第3チャクラに空いた大きな風穴から、エネルギーが抜けていき、力が入らない。希望も持てず、不安しかなかった。
そんな昨日、リンパマッサージに行った。施術者のKさんが掘り下げてくれて、話しているうち、
寂しい自分の気持ちに気づいた。涙が出てきた。「あー、そうだよね。寂しかったんだよね。」
帰り道涙がどんどん出た。
宇宙から何しに来たのか。とか、自分はみんなと一緒に愛と平和と笑いに満ちた、すてきな地球を作りたいんだけどな。とか
よく思ってたけど、
いや、私の今は、ただ単に寂しかったんだ。
子どもが生まれた瞬間から、全力で母乳育児して、布おむつを何枚も何枚も洗い、
手作りの体に良いと思われるご飯を必死に作り続け、絵本を読み聞かせ、ギリギリの時間で習い事の送迎をし。
公園デビュー、幼稚園の送り迎え、学校やスポーツの役員を精一杯やり、子どものためと思って、良いお母さんでいるよう、言いたいことがあってもがまんした。
今までほんと必死だったなぁ。
けれど、そんな生き方をしたのは、自分のためだった。
もちろん、子どもは無条件にかわいかったけれど、
こだわって必死にやっていたのは自分のためだった。
生後2ヶ月の子を他人に預け、姑と同居し、忙しくストレスだらけだった母親を恨み、
おっぱいを充分に飲みたかった自分。
母親に抱っこして、おんぶして、側にいてほしかった自分。
手作りの愛情ご飯やお弁当を食べさせてほしかった自分。
その寂しさを埋めるために、必死になっていたんだ。
そう、それは、わかっていた。けど、忘れていた。
なーんだ。私は、単純に寂しかったんだ。