
【随想的感想帳】女性は賢くありたいと思った映画
かつて、森元首相が「女性がたくさんいる会議は時間がかかる」と発言して問題になったが、女性の私は当時、「その通り!」と思わず膝を打ってしまった。これも不適切だろうか。
会社勤めで会議を仕切る役回りの際よく感じていたが、得てして女性は自分の感情を織り交ぜた物言いをしてしまい、意見集約に時間がかかってしまう。つい想いの強さが先に出て、何か指摘されると今度はムッとしてしまう。これは自身も含めて痛感していたので、森さんの発言には、女性の特性を理解したフェミニストではないかと感じたほどだ。さらに再燃に油…というやつだろうか。
とはいえ、女性の感受性の強さや感性は必須不可欠。組織の中で意見を発揮するには、常に自分の後ろに自分を置き、感情をうまく味方につけて軽やかに立ち回れるよう賢くありたいと、いつも自戒していた。
ここで思う賢さとは、頭の良さや知識の多さではない。社会で生きていくための知恵や聡明さを積みたいという事だ。裏返せば自分の短絡さや浅はかさが尽きない。そんな女性の浅はかさを思う存分見せつけられ、「あちゃー」と昭和的表現で感じてしまった映画がある。ご時世的に性別で誇張したくないが、女の私は特に「あちゃー」とイタかったのである。
『シック・オブ・マイセルフ』
承認欲求と自己顕示欲の塊として究極的な映画表現なのだろうが、「もっと、私を見て」と主人公がエスカレートしていく様が痛々しい。承認欲求が高じて手を出してしまった薬物の影響で壊れていく外見を逆手に、SNSで人々の耳目を浴びようとするが、思いのほか注目は集まらない。その焦り具合がチクチク、ジワジワと痛いのだ。
少なからず、私もSNSを続け、こうしてnoteも始めてさりげなさを装いながらも「私を見て」と小声ながら発している。承認欲求が皆無なら、私的な発信などしていないだろう。主人公シグネの自身の言動を顧みない浅はかさは確かに「あちゃー」なのだが、酷くモンスター化していく外見の一部に、どこか私自身の承認欲求の片鱗も見える気がして、それこそがホラーだった。
この映画をみた時を同じくして、兵庫県知事選で関与が疑われたPR会社への強制捜査のニュースが飛び込んできた。「私が頑張りました」と言わんばかりにSNSで想いの強さを自己主張してしまった女性社長の言動が思い出され、皮肉にも映画とリンクしてしまった。主人公と女性社長には、僅かながらシンパシーを感じつつ、改めて女は賢く聡明でありたいと、自身を戒めた一件だった。
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0CGZL5JQR/ref=atv_hm_mys_c_cm9Ytn_1_11