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シナトラ研究のきっかけ:大関敏夫さんの愛溢れるブログ「フランク・シナトラの生涯」

私のシナトラ研究の一番の目的は、彼の音楽を知ることだが、不死鳥のように何度も蘇ったフランク・シナトラの人生を知っていくのも面白い。


はじめに

シナトラは人生で1300曲以上を歌い、多くの録音や映像が残され、評伝やドキュメンタリーも含め、シナトラ研究の資料には事欠かない。いかに無名時代からスターダムに登り詰めたかを知るのは、とてもワクワクするし、彼がいかに真剣に音楽に取り組んだか、彼の複雑な人生がどう音楽に影響したかを、彼自身そして彼の音楽への造形が深かった人から聞くのは、とても面白い。そして新しい曲を発見していくのが楽しい。

シナトラ研究のきっかけ。シナトラの曲は数年前から聞いていたが、2024年の春にジョニーハートマンを薦める人に出会い、調べて行くとシナトラにたどり着いた。シナトラのブームは、もちろん福岡ドームで人生最後のコンサートを終えた1994年までの生前、他界した1998年、そして生誕100年の2015年に来ていた。近年のシナトラの記事は少ない。日本には、シナトラの世界的な研究者、三具保夫さんという方がいて、彼が1981年に他のシナトラファンと立ち上げたシナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパンというファンクラブがあったが、そのサイトはもうない。三具さんはどうされているのだろう。次にブームが来るとしたら、ディカプリオをシナトラにしたスコセッシ監督の映画が実現するとして、その公開時なのだろうか。

2024年にシナトラについて、#シナトラ研究 のスレを立ち上げ、Xで200以上投稿した内容をここにも転写することに。

2024年の4月、シナトラをもっと知りたいと思ったきっかけになった読み物がこれ!

静岡を拠点にしたジャズピアニスト・大関敏夫さんのブログで読める「フランク・シナトラの生涯」。2007年12月に5つ投稿されている。上記の三具保夫さんは2007年8月にシナトラ [Frank Sinatra:My Way of Life]を出版されているので、大関さんもこの本を参考にされていたのかもしれないが、何よりも無料で読め、シナトラをあまり知らない人にとって、面白く、すごくためになる入門書だと思う。

【誕生~トミー・ドーシー楽団時代】1915年~1942年

シナトラの生涯 (1) by 大関敏夫

1940年 トミー・ドーシー楽団に
1941年5月 男性バンドシンガー部門でNo 1
1942年9月 編曲のアクセル・ストーダルを連れて退団

【コロムビア・レコード時代】 1943年~1952年

シナトラの生涯 (2)  by 大関敏夫 https://plaza.rakuten.co.jp/xxjazz/diary/200712110000/

プレスリーやビートルズよりも10年も20年も前に起きたシナトラ・フィーヴァーは世間を驚愕
1950年5月1日咽頭炎で安静
1952年コロムビアレコード契約解除  >> 人生のどん底


【キャピトル・レコード時代】 1953年~1962年

シナトラの生涯(3) by 大関敏夫

1954年3月25日イタリア系2等兵演じてアカデミー最優秀助演男優賞
1953年からヒット・チャートに返り咲く
1957年映画『抱擁』All the way

いかにどん底にあったシナトラが、アカデミー助演男優賞に輝いた"From Here to Eternity"の役を引き寄せたか
望み、行動し、自分のものにしようとする力」がすごい!

ここ目を引く
映画 "From Here to Eternity" でコロムビア映画は、シナトラを週給1000ドルという考えられないほどの安いギャラで契約

さらにここ!!

1952年にコロムビアレコードから契約解除されたシナトラは
”同映画の撮影に入る前、1953年4月に シナトラは彼にとって俳優業よりはるかに重要な、 歌手としてのキャリアを立て直そうとし⋯いくつかのレコード会社をあたりましたが感触は悪く、最終的に、ハリウッドの振興レコード会社のキャピトル・レコードと契約。アドヴァンス(契約金)なし、編曲料やミュージシャン料はシナトラ持ち、契約期間は7年、ただしレコード会社側に契約解除の権利がある、という、シナトラにとっては大変きびしい条件でした。
1940年代初めのコロムビア・レコード時代前半のスイートに恋の喜びを歌い上げたアイドル歌手、フランク・シナトラは、1940年代後半から1950年代初頭にかけての苦悩の時期を過ごしたことで、 歌の内面にいっそう踏み込んだ深みと美しさを表現する大人の歌手へ

https://plaza.rakuten.co.jp/xxjazz/diary/200712160000

【リプリーズ・レコード時代】 1960年~1988年

シナトラの生涯(4) by 大関敏夫 https://plaza.rakuten.co.jp/xxjazz/diary/200712170000/

キャピトルからリプリーズへ
1950年代の終わり 自らの考える音楽を作ろうとするシナトラと、売れるレコードを主張するキャピトルとの間に意見の対立
1960年 シナトラは契約解除を申し入れるが拒否される
1961年1月リプリーズ・レコードを設立
シナトラ45歳 ポリシー「アーティスト中心主義」 録音の機会と場所を提供、レコードの製造、宣伝、販売 レコーディングの企画と実施はアーティストに任せ、音源の権利はアーティストに属する
プロデューサーとして、大物アーティストとの共演実現

1966年『Sinatra at the Sands』
カウント・ベイシー楽団 編曲指揮:クインシー・ジョーンズ

Sinatra at the Sands Sinatra's first live album was recorded during January and February 1966 at the Sands Hotel and Casino in Las Vegas.
Backed by the Count Basie Orchestra, with Quincy Jones conducting.


【 引退~再カムバック~終焉(しゅうえん)】 1964年~1998年

フランク・シナトラの生涯 (5) by 大関敏夫 https://plaza.rakuten.co.jp/xxjazz/diary/200712180000/

1964年ごろヤング・マーケットを意識
1966年Strangers in the night グラミー賞
1968年 My Way
1971年引退
1973年復帰 Ol' Blue Eyes Is Back
1993-94年アルバムDuets/Duets II
1994年12月福岡ドームのコンサートがシナトラの人生の最後の公演
1998年逝去

シナトラ研究 資料






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