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シナトラ研究-7: HBO 4時間ドキュメンタリーAll of Nothing at All (2015) PART One

フランクシナトラ の伝記で一番のおすすめは?との問い https://quora.com/What-is-the-best-Frank-Sinatra-biography
それに「4時間のHBO ドキュメンタリー All or Nothing at All (2015制作、監督:アレックス・ギブニー/Alex Gibney)は今まで読んだどの伝記よりもよかった」と答えている人がいたので、見ることにした。で、感想はというと、シナトラの音楽を知る上ですごく勉強になった。シナトラ自身の語りも多く含まれ、彼の人生の節々でかかる音楽に魅了される。ぜひ、日本語の字幕も付けて、スコセッシ監督のシナトラの伝記映画が公開される時を見計らって、配信してもらいたいものだ。このドキュメンタリーを音楽の視点で追ってみた。

https://www.amazon.com/Frank-Sinatra-All-Nothing-At/dp/B01CUVV10O


ヴォイスレッスンを受けていたシナトラ

シナトラは Harry Jamesに誘われる前に、MET歌手だったJohn Quinlanから一週間3ドル3レッスンでヴォイスレッスンを受けていた。いつも新しいことを教わるので楽しくて仕方がなかったと自ら語っていた。

シナトラの詳しい評伝  "Frank: The Voice" の著者であるJames Kaplan も声楽のレッスンについて語っている。

引用元:

https://magazine.blogs.wesleyan.edu/2012/01/15/capturing-the-genius-of-an-american-icon/
Capturing the Genius of an American Icon by David Low interviewing James Kaplan
●January 15, 2012

HBOドキュメンタリーではシナトラ自身の語りがたくさん聞ける

単語帳◉I have heard through the grapevine 「うわさで聞く」という表現

シナトラの人生は、当時、グレンミラー楽団と並ぶTommy Dorsey bandにいたヴォーカリスト、Jack Leonardが辞めていく前に、このシナトラの歌をTommyに勧めたことでさらに好転した。

All or Nothing At All

これを、Harry James バンドと一緒に録音していたのだった。これはドキュメンタリーのタイトルになっている。

"I joined Tommy with a lot of malevolence in the band."
単語帳◉悪意・敵意

"(Frank) was a very skinny unprepossesing looking man." 
~Jo Stuford、歌手、1939年にTommy Dorsey バンドに入団
単語帳◉(見た目が)パッとしない、魅力的でない

"Frank had a sexy style. Very warm. With those eyes and smile, he could pinpoint at one particular girl. The kids were just enamoured of him. ”;
~Tony Mottola, jazz guitarist
単語帳◉魅惑されて(British English)

ドーシーバンドと歌うクリップのシナトラはまさしくアイドル
一番美しい顔をしている 25歳から27歳

”若者たちはトミーを見るために来なくなった
フランクが目当てなのは明らかだった”
~Harry Schucheman, musician

バンド時代の終焉とソロシンガー時代の到来

ドーシーバンドで1年活動した後、ドーシーに1年後に辞めたいと話した
Anne: シントラは、常に先のことを考えている
4ヶ月後にも話すとドーシーは、"You fxxx ingrate"と
単語帳◉恩知らず

The Voice, as he was nicknamed was no "flash in the pain."
単語帳◉一時的な=a flash in the pain

ドーシー後、ソロ活動を始めたシナトラ
8:45分にパラマウントでコンサートを終え
9時に始まる10ブロック先のラジオ生収録のため、救急車に乗り、車でミルクとサンドイッチを頬張った

I'll Never Smile Again

シナトラがソロ活動を始めて第二次世界大戦が始まったときに、流れていた↓
The million selling single version was recorded by Tommy Dorsey band, with vocals provided by Frank Sinatra and The Pied Pipers.

Ruth Lowe, Canadian, her husband, Canadian flyer got killed right at the beginning of the war. She wrote that song brought it down personally to New York."~Sinatra
"That song followed my dan his whole life.⋯ So many people identified with it in the first place." ~Nancy Jr.

HBO All or Nothing at All

シナトラが兵役を免除された理由

このドキュメンタリーでもSinatraは生まれた時に鼓膜が破れていたからと徴兵されなかったと話したが、シナトラの伝記で知られるJames Kaplanはシナトラは幼児の父だったので、1943年まで免れ、1943年に徴兵された時は、心身症の診断を受けて免れたと。新説
このドキュメンタリーでは、シナトラ自身の言葉で、1943年に4-Fと指定されていたが、"non essential" (深刻でない?)とされ、また呼ばれて鼓膜の検査を受け(27歳時)精神科の医者に会ったと語り、鼓膜の穴はライフルの発砲音を聞いただけでも聴力の喪失につながることがあるので、再度兵役を免除すると言われたと。

それを聞いてNYに向かうフェリーで雪に輝くNYを見ながら涙がこみあげてきたと。そこで流れたのが↓

Time After Time●1947、シナトラ32歳

作曲:Jule Styne
作詞:Sammy Cahn
編曲: Axel Stordahl
For Frank Sinatra to introduce in the 1947 MGM film, It Happened in Brooklyn

次にMGM (Metro-Goldwyn-Mayer)のMr. Meyerに会うところで、 この美しいクリップが流れる
白と黒の衣装がとっても効果的
こんな芸術的なシーン、なかなかない↓

"As Long As There’s Music” reprise/the end of “Step Lively”●1944

この映画は全て
作曲:Jule Styne / 作詞: Sammy Cahn

次はMGMのジーン・ケリーと組んだAnchors Aweigh↓

"I Fall In Love Too Easily"  from Anchors Aweigh●1945

映画には4つの曲があったが、作詞をサミーカーン、そしてアレンジャーをアクセル・ストーダールと自ら指定。ストーダールはドーシーバンドに留まっていたが、一曲について$1250と提示したところ、そんな金額見たことがないと語った

I fall in love too easily は Chet Bakerの歌が有名。とても渋い。1954年のChet Baker Singsアルバムに収録。でも元は、Anchors Aweighのために作られた曲だったんだ!😲

作曲:Jule Styne / 作詞: Sammy Cahn
Time after Timeと同じコンビ

"Hollywood was Dad's oyster. " ~Nancy Jr.
単語帳◉ハリウッドは父のものだった。何でも父が思うがままだった。 sweater girl Lana Turner
starlet (新進女優)Marilyn Maxwell
ここで流れたのがゆったりとしたバージョンのこれ↓

Night & Day (映画Reveille With Beverly 1943)

1946 年の大晦日のパーティで、シナトラ夫人が夫の車にあったブレスレットを新進女優のMarilyn Maxwellがしているのを聞いて問いただす。 そこで流れていたのがこの曲 (同映像)↓

Try A Little Tenderness

1932 song
作者:Jimmy Campbell, Reg Connelly, and Harry M. Woods
シナトラの1946年デビューアルバムThe Voice of Frank Sinatraに収録

1947年シナトラに悪意ある記事を書き続けたLee Mortimerをペギー・リーのショーの後殴る。その時、流れたのが↓

You Do Something To Me

作曲・作詞:Cole Porter
For musical Fifty Million Frenchmen (1929)
1993年に発売されたThe Columbia Years (1943-1952): The Complete Recordings: Volume 11に収録
編曲:George Siravo

シナトラが忙しくなって家に帰るのがままならなくなった頃に、エヴァガードナーに出会う。 そこで流れていたのが、この渋い曲↓

One for My Baby

作曲:Harold Arlen
作詞:Johnny Mercer
For 映画・The Sky's the Limit (1943) フレッドアステア主演

そしてさらにエヴァガードナーとの恋が進んでいくところではこの曲↓

Bewitched (Bothered and Bewildered)

作曲:Richard Rodgers
作詞:Lorenz Hart
For 1940 musical Pal Joey

シナトラの人気も陰りコロムビアレコードのMitch Miller は奇抜な歌を歌わせようとしたが、売れなかったので、契約は解除。だが、そんな中でも、見るひとは見ていた
"Singing is so virile (雄々しい) and sensational. "
~Jonathan Schwartz、radio personality
そして紹介されたのがこの曲↓

The Birth of the Blues●1952

作曲: Ray Henderson
作詞:Buddy DeSylva and Lew Brown
For Broadway revue George White's Scandals、1926
編曲:Heinie Beau

人生のどん底にあった
その時期に1950年 10月から1952年4月まで放送されていたフランク・シナトラ・ショー
HBOのドキュメンタリーでもこのクリップが登場↓
収録のためにLAからNYに金曜と土曜は出向く。

Come Rain or Come Shine●1950、35歳

For ミュージカルSt. Louis Woman, 1946

日夜 身を粉にして働く日々
そのシーンで出てきたのがこの曲 これはシナトラのお気に入りらしく複数のアルバムに収録されているようなのだが、HBOドキュメンタリーでかかっていたのはこのバージョン↓

Where or When♡シナトラのお気に入り

For 1937 Rodgers & Hart musical Babes in Arms

声が出なくなってしまった日
誰も経済的な援助をしてくれなかった
作曲家のJimmy Van Heusenを除いては、と
エヴァガードナーもフランクはどん底にいた。 私はピークにあったと
流れていたのは↓

Angel Eyes♡シナトラのお気に入り

1946 popular song
作曲:Matt Dennis
作詞:Earl K.

歌詞解釈が難しいが、この貞吉なおこさんの邦訳がこなれている。

下のどのバージョンも粋!

横道に逸れたが、HBO All or Nothing at All のドキュメンタリーに戻ると

単語帳◉セクション
She began to take flack for keeping Romeo and Juliet apart.
彼女はロミオとジュリエットを引き離したことで非難され始めた。
He met his match with her.
彼は彼女と出会って互角の相手を見つけた。
I was bombed all the time.
私はいつも泥酔していました。
The booze really hit me.
酒が本当に効いてきた。
The man is an incorrigible optimist.
その男はどうしようもない楽天家です。
Monty Clift was a wonderful dissector of script
Monty Cliftは”From Here to Eternity”でロバート・E・リー・プルーイットを演じた
The director would brush me off about the whole thing.
彼はそのこと全体について私を軽くあしらった

シナトラはどん底にいたが、家をきれいにし、会計士も変えて、お酒も止めた。そしてCapitol Recordsと1953年と契約。流れたのは↓

I've Got The World On A String●1953

1932 popular jazz song
作曲:Harold Arlen
作詞:Ted Koehler
編曲:Nelson Riddle

Nelson Riddle: A lot of things that we laid out together were done with his suggestive phrases. Frank had enough background in classical music to be able to describe what he wanted. 多くが彼の提案するフレーズで進められた。彼はクラシック音楽に関する十分な知識があり説明できた。

Songs for Young Lovers アルバム

指揮:Nelson Riddle
編曲:George Siravo ("Like Someone in Love"はRiddle)
My Funny Valentineが入っている。やはりうまい!どの歌を歌わせてもスタイリスティック。

1953年のFrom Here to Eternity でアカデミー助演男優賞を受賞、Nancy Jr と Frank Jr を連れて行った
”He was jubilant.” ~Nancy Sr.
歓喜に満ちていた
「皆に感謝を述べるのと長くなるからやめておくよ。 この授賞式でたくさん歌を聞いた、誰も僕に歌ってくれって尋ねてこなかった」と
授賞式のシーンで流れていたのが↓

Young at Heart●1953

作曲:Johnny Richards
作詞: Carolyn Leigh
ヒットしたので、1955年に同名の映画も作られ、シナトラはドリスデーと共演した

授賞式の後は、パーティもせずに家に戻り、車を留めひたすら歩いたとか
次のシーンは1971年の引退のコンサートに変わる
11の歌を選んで、自らの人生を物語ったという。

ここだが、2021年のシナトラの親友で側近だったTony O 氏によると、ナンシーの家に立ち寄ったとある。子供達を返すために立ち寄ったのかな。

ここでパート1が終わっている
つまり、スターダムに登りつめ、どん底に落ちて、さらにそこから這い上がるまでがパート1。続きは↓

シナトラ研究 (8) HBO ドキュメンタリー PART Two 

シナトラ研究 資料


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