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シナトラ研究-19: ”完全に歌う気分に浸っている"スタジオ版より乗っているシナトラのコンサート●Live Sydney Stadium 1961 ● ツアーを実現したLee Gordon氏について

このオーストラリアでのコンサートはTV放送されており、その録画をオーストラリアでフランク・ベネット (https://en.wikipedia.org/wiki/Frank_Bennett_(singer))としてシナトラやトニーベネットの曲を歌って活動しているDave Wray氏がYouTubeに上げている。



シナトラの1965年ごろのコンサートを見て脂が乗ってるなと思ったけど、この1961年のコンサートもそう。シナトラ46歳。クラッシック畑もそうだけど、歌手のピークは40代だという思いを新たにした。

YouTubeの自動再生で流れてきた動画。オーストラリアのSydney Stadiumで1961年12月にあったコンサート。南半球だから夏。いい歌ばかり。コンサートに選ぶということは、リリースアルバム絡みもあるかもだけど、シナトラが好きな曲なんだと思う。シナトラの曲を多く編曲したネルソン・リドルがシナトラのアルバムは9割がたシナトラのプロデュースによるもの、つまり、シナトラはいつも、どういうアルバムにしたいか明確にアイデアがあったと語っていた。きっとコンサートも彼がプロデュースしたのだろう。

1961年のコンサートについて  ファンサイト:https://www.thefranksinatra.com/ からの抜粋 

フランク・シナトラのコンサートは数百回もありますが、その中でも特別なものがあります。それは、歴史的な日に行われた、非常に重要な人々が出席した、重要な場所で行われた、あるいはただ素晴らしい内容だったからかもしれません。この1961年のフランク・シナトラのシドニーコンサートは特別で、さまざまな点で壮大で素晴らしく、見事です。さらに何が特別かと言えば、その映像が残っていることです。

シナトラがオーケストラが「Ring a Ding Ding」の音楽を演奏する中、ステージに登場し、ショーが始まります。このコンサートでは、彼は完全に歌う気分に浸っており、彼の歌い方によって、スタジオ版よりも素晴らしくなる曲もあります。観ていると、スウィング感や彼のエネルギーを感じることができます。
この投稿を書いた時点では、YouTubeにこのコンサートの映像がたくさんありましたが、今ではほとんどすべて削除されています。特に「I’ll Be Seeing You」のパフォーマンスに触れたいのですが、私の意見では、これは最高のバージョンです。ただし、テンポが速いと感じる人もいるかもしれません。シナトラはこの曲をライブで歌ったのは数回しかないため、とても貴重です。下記は、フランク・シナトラの「Without A Song」のパフォーマンスです。
このフランク・シナトラのシドニーコンサートが、より良い品質で正式に公開されていないのは本当に残念です。公式にリリースされている平均的なコンサートはたくさんありますが、この素晴らしいコンサートは、アップロード者のおかげでYouTubeでしか観ることができません。⋯私たちが知らないだけで、このシドニー公演と同じくらい素晴らしいコンサートがどれだけあるのか、誰にも分かりません。

https://www.thefranksinatra.com/articles/frank-sinatra-2-december-1961-sydney-concert

ここ https://www.setlist.fm/setlist/frank-sinatra/1961/sydney-stadium-sydney-australia-3bd2ec58.html に12月2日のコンサートのセットリストが上がっていた。すごいなぁ

余談だけど、動画の最初に1961年12月1日のチケットが表示されるが、これはセットリストが上がっていた1961 年12月2日の放送なのか。

コンサートの構成

スローな曲をアップテンポの曲2、3曲で挟んでいる。一曲が2分から3分。4分を超える曲はなさそう。

1:25 - #1 ●I've Got the World on a String ●アップテンポ
(Harold Arlen cover)

3:28 - #2●Concentrate on You ●アップテンポ
(Cole Porter cover)
❤️不思議な曲調。アップテンポ。結構味がある。よくありそうな曲じゃない。

5:25 - #3●Night and Day ●アップテンポ
(Cole Porter cover)

8:00 - #4●Moonlight in Vermont ● スロー
(Billy Butterfield and His Orchestra cover)
本当にいい歌

11:42 - #5●In the Still of the Night ●アップテンポ
(Cole Porter cover)
💙軽妙なスイング曲

15:10 - #6●I'll Be Seeing You ●アップテンポ
(Sammy Fain cover)
💙軽妙なフレンドリーな心持ちを上げてくれそうな曲調

17:20 - #7●Day In, Day Out  ●アップテンポ
(Bob Crosby and His Orchestra cover)
💙乗れるスイング曲

19:45 - #8●The Moon Was Yellow (and the Night Was Young) ●スロー
(Bing Crosby cover)
💙いい歌 ラテン調、しっとりしたバラード 

22: 25 - #9●You're Nobody Till Somebody Loves You ●アップテンポ
(Russ Morgan and His Orchestra cover)

25:59 - #10●Come Fly With Me ●アップテンポ
(Sammy Cahn cover)

28:25 - #11●April in Paris ●スロー
(Vernon Duke cover)
❤️いい歌、極上の歌だなと

30:50 - #12●A Foggy Day●アップテンポ
(George Gershwin cover)

Without a Song
(Vincent Youmans cover)

32:48 - #14●Imagination●アップテンポ
(Jan Savitt & His Orchestra cover)
よく知らない歌、よくありそうなフレンドリーな曲調

35:31 - #15●The Second Time Around ●スロー
(Bing Crosby cover)
よく知らない曲。しっとりした曲

38:00 - #16●Young at Heart●スロー
(Johnny Richards cover)
❤️いい歌。バイオリン伴奏が癒し

39:48 - #17●Witchcraft●アップテンポ
(Cy Coleman cover)
❤️いい歌。よくありそうな曲じゃなくて乗れる

動画はここで終わっている

#18●Embraceable You
(George Gershwin cover)

#19●The One I Love Belongs to Somebody Else
(Isham Jones Orchestra cover)

#20●My Funny Valentine
(Rodgers & Hart cover)

#21●My Blue Heaven
(Paul Whiteman and His Orchestra cover)

#22●One for My Baby (And One More for the Road)
(Johnny Mercer cover)

#23●The Lady Is a Tramp
(Rodgers & Hart cover)

ツアーを実現したLee Gordon氏について

ところでこの動画の最後にLee Gordon Presents Sinatraというプログラムの表紙らしきものが表示されるが、リー・ゴードン氏のウィキがあった。40歳で早世している。プロモーターとはストレスのかかる仕事なのかもしれないとそんなことを思った。

リー・ゴードン(1923年 - 1963年)は、アメリカの実業家であり、1950年代後半から1960年代初頭にかけてオーストラリアで活躍したロックンロールのプロモーター。

Gordonが実現した1955年1月にあった最初のシナトラのオーストラリアツアー

Gordon scored one of the biggest coups of his career with the first Australian tour by superstar singer Frank Sinatra, who was supported by vocalist Ann McCormack, actress/dancer Lois Raye and comedian Frank D'Amor.
ゴードンは、スーパースター歌手フランク・シナトラによる初のオーストラリアツアーを成功させ、キャリアの中でも大きな功績を収めました。このツアーには、ボーカリストのアン・マコーマック、女優兼ダンサーのロイス・レイ、コメディアンのフランク・ダモールが同行しました。

The tour came at a pivotal time in Sinatra's life. He had suffered a disastrous career slump in the late 1940s and early 1950s, compounded by controversy over his alleged connections to the American Mafia, the death of his longtime publicist, his tempestuous affair with Ava Gardner and subsequent bitter divorce from his first wife Nancy, and the successive cancellation of his recording contract by both Columbia Records and MCA Records. But following his signing to Capitol Records and his teaming with arranger Nelson Riddle in early 1953, Sinatra had found renewed form and a deeper artistry. By the time he arrived in Australia in January 1955 he was on the brink of the peak phase of his 'new' career, and within months he would record and release of two of his greatest albums, In The Wee Small Hours (his first 12" LP), and Songs For Swinging Lovers. Sinatra's first Australian tour was a huge success for Gordon
このツアーはシナトラの人生において重要な時期に行われました。彼は1940年代後半から1950年代初頭にかけてキャリアが大きく低迷し、アメリカのマフィアとの関係が疑われたことや、長年の広報担当者の死、アヴァ・ガードナーとの激しい恋愛とその後の最初の妻ナンシーとの苦しい離婚、さらにはコロムビア・レコードとMCAレコードの双方からの契約解除などが重なり、状況は悪化していました。しかし、1953年初めにキャピトル・レコードと契約し、編曲者ネルソン・リドルと組んだことで、シナトラは新たな創造性を見いだし、再び復活を果たしました。1955年1月にオーストラリアに到着した頃、彼は新しいキャリアの頂点に差し掛かっており、その数ヶ月後には彼の名作アルバム『In The Wee Small Hours』(最初の12インチLP)と『Songs For Swinging Lovers』を録音しリリースすることになります。シナトラの初のオーストラリアツアーはゴードンにとって大成功でした。

On this tour Sinatra was backed by the local Dennis Collinson Orchestra, augmented by his regular American sidemen Bud Shank (saxophone), Max Albright (drums), Nick Bonny (guitar) and Bill Miller (piano and conductor), and the setlist featured recently recorded Capitol songs, including the title song of his new movie "Young at Heart" (1955), as well as some songs from his earlier Columbia catalogue. Sinatra played four nights and six shows in Melbourne, then travelled to Sydney for two nights at the Sydney Stadium, then back to Melbourne for an additional five shows, closing on January 25, although the final concerts had to be held at the Melbourne Town Hall, because the old Melbourne Stadium was destroyed by fire in the early hours of January 24, making Sinatra the last person to perform there. (The venue was subsequently rebuilt as Melbourne Festival Hall). This Australian tour was also significant in Sinatra's own concert history, because it marked the last time he would perform his old Columbia favourite "The Music Stopped" on stage.[27]
このツアーでは、地元のデニス・コリンソン・オーケストラがシナトラのバックを務め、アメリカからは彼の常連のメンバーであるバド・シャンク(サックス)、マックス・オルブライト(ドラム)、ニック・ボニー(ギター)、ビル・ミラー(ピアノ兼指揮者)も参加しました。セットリストには、彼の新作映画「ヤング・アット・ハート」(1955年)の主題歌をはじめ、最近録音したキャピトルの曲や、以前コロンビアで録音した曲も含まれていました。シナトラはメルボルンで4日間6公演を行い、その後シドニーに移動してシドニースタジアムで2公演を行い、再びメルボルンに戻って5公演を追加しました。ツアーの最終公演は1月25日に終了しましたが、1月24日の早朝に旧メルボルン・スタジアムが火災で焼失したため、最後のコンサートはメルボルン市庁舎で行われました(その後、この会場はメルボルン・フェスティバル・ホールとして再建されました)。また、このオーストラリアツアーはシナトラのコンサート史においても重要な意味を持ち、彼がコロンビア時代の名曲「The Music Stopped」を最後にステージで演奏したツアーとなりました。

https://en.wikipedia.org/wiki/Lee_Gordon_(promoter)

このウィキによると、1957年にシナトラはGordonと契約したオーストラリアでのコンサートをキャンセルして賠償金を請求されたとあるが、そのあと、リーゴードンと2回、オーストラリアでツアーをしている。

第2回オーストラリアツアー (31 March – 4 April 1959)
Frank Sinatra (2nd Australian tour) with Stan Freberg, Red Norvo Quintet with the Tune Twisters, Eddie Baker and Diana Trask with the Tommy Tycho Orchestra

第3回オーストラリアツアー(29 November – 2 December 1961, Sydney only)
Frank Sinatra with Timi Yuro
本投稿の動画のツアー

コンサートがあったSydney Stadium

https://en.wikipedia.org/wiki/Sydney_Stadium) は1970年に取り壊されたとか。

シナトラ研究 資料


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