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きっかけ

今回は自己紹介を兼ねて、何故私が犬猫の殺処分や動物愛護について興味を持つようになったのかをお話しします^ ^

私は、幼い頃から犬猫だけではなく爬虫類や昆虫も大好きな子どもでした。よく祖父と近くの公園へ行ってはたくさんの生きものと触れ合って楽しんだりしていました。

動物愛護について興味を持った初めのきっかけは、5.6歳のころだったと思います。
よく見ていた子ども向けの海外ドラマで「犬が飼いたい」という男の子がいたのですが、その両親が男の子を連れて向かったのは日本で見るペットショップなどではなく保健所のようなシェルターでした。そしてその家族は”子犬”ではなく”成犬”を迎えて帰っていきました。

「生き物を”買う”にはペットショップ」という概念を誰に教えられた訳でもなく持っていた幼い頃の私には、たくさんの疑問が芽生え、あれはどういう場所なのか?どうして子犬じゃないのか?と両親に全てをぶつけていました。
そこで両親が教えてくれたのは、「殺処分」される命があるということでした。その頃私の家にも初代のわんちゃんがいて琉球犬が混ざったような雑種の男の子でした。その子(コロ)も、ペットショップから迎えたんじゃないよ、と。

その時の私は、ペットショップを否定する考えは全くなく、ただ収容されて殺処分を待つしかない命があるのであればそこから家族として迎える方がいいじゃないか、と思っていました。

もう少し大きくなり父とこのような話しをしているときに、父に「どうして殺処分が必要だと思う?」と質問されました。
生き物を殺したい人がいて、好きで殺しているのか…。いや、それは理解できない。ならばどうしてだろう?…と、父は私に根本を考えるきっかけをくれました。

そうして「ペット産業」という言葉を見つけ、命を命として扱わない悲惨な状況があることを知りました。

幼い頃から生き物が大好きだった私は、将来は獣医師になろうか、ペットショップ店員がいいかな、動物園や水族館の飼育員もいいな…と考えていたものです。動物と関わる仕事をしている人は皆、動物が好きでその職を選んでいるものだと思っていました。

しかし実際見えてきたものは、生き物を”お金(を稼ぐ道具)”として扱う人がいるということ。同じ人間がやっていると思うととても恐ろしいことです。

その後大学生となった私は、地元の愛護団体へお手伝いに行くようになりました。そこで知ったことは「ペット産業」(供給側)の問題だけでなく飼い主(需要、消費者)のモラルの低さも関わっているということです。
人間の暮らしと深く関わる犬猫ですらこの悲惨な状況です。エキゾチックアニマルや魚類、鳥類などはさらに酷い扱いを受けていると聞きます。

私がこのような話しを積極的に発信するようになって「知らなかった」「ショックを受けた」と反応してくれる方がたくさんいます。”この現状を知る人”が増えるだけでこれらの状況は変わっていくのではと、未来は明るいと思っています。「命を粗末にしていい」なんて誰も思っていないはずだから。
知る人を増やしていくことが私のすべきことだと気づき、今までは個人のSNSなどで行なっていた内容をブログという形で発信し、残していこうと思いました。

犬猫の保護についてを主に発信するつもりですが、畜産や屠殺の話し、環境についての話し、貧困の話なども少しずつ触れていけたらと思っています。
それはペット産業を含むこれらの問題は全て、私たちの選択一つ一つと直結しているからです。
地球の裏側で起きていること、大きすぎて私たちにはどうにもできないだろうと思う問題も、実は私たちの生活に強く紐づいているのです。この繋がりがよく分かる面白いお話もしていきます。

繋がっているということは、私たちが選択一つ一つを意識するだけで世界を変えていけるということ。

全ての生き物が少しでも生きやすい世界になるよう、ハッピーな世界になるよう、考えをよんなーよんなーですが綴っていくので覗いて頂けると嬉しいです。


ある日家の庭に捨てられていたダックス3頭
記事トップの写真は2代目ワンコのまろです。

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