造影剤の副作用?(頚椎腫瘍 5)
中井先生のお話があった次の日は土曜日で、私は1階のコインランドリーへ洗濯に行ったり、売店で手術に備えて買い物をしたり、元気よく過ごした。
ところが翌日は朝から何となく気分がすぐれず、同室のKさんと、数日前に手術を終えて回復室から戻ってきた国分寺のお姉様の話し声が、妙にカンにさわった。
国分寺のお姉様は60代で、腰の同じところを3回も手術していた。このときが3回目で、背骨を固定するのにチタンの板を6枚も入れたと言っていた。
手術が終わったばかりだというのに、大きな声でよく喋り、豪快に笑う。Kさんと漫才コンビよろしく、冗談を言い合っては笑っているのがうるさくてたまらなかった。病室なんだから、少しは安静にさせてくれ~。
検温に来た看護師さんに訴えたら、逆にたしなめられた。
「大部屋だからいろんな人がいるんですよ。いやなら個室に移るとかね」
なるほど、それも一理ある。
だったら私が避難するとしよう。隣のベッドのSさんを誘って、日当たりがいいという5階のロビーへ行ってみることにした。
5階のロビーにはビニール張りの長椅子が並び、南向きの窓から日光がさんさんと降り注いでいた。
Sさんと2人で椅子に座ってのんびりしようと思って行ったのだが、気分がますます悪くなってきた。
最前から頭痛もしているのが一向におさまらない。
そのうち吐き気がしてきたので近くの洗面所に向かい、流し台に着くなり吐いてしまった。
Sさんに連れられて病室に戻ると、ベッドに倒れ込んでうとうとした。
しばらく安静にしているうちに気分が落ち着いてきて、昼食はかなりしっかり食べることができた。
と、それも束の間、何分もたたないうちに、食べたものをすっかり戻してしまった。
ナースコールに呼ばれた看護師さんが嘔吐用のトレーを持ってくるのも間に合わない。着ていたカーディガンから、パジャマから、ベッドの上にまで大量にぶちまけてしまった。
看護師さんたちが着ている物を脱がせ、シーツやマットレスを取り替えて、新しいパジャマを着せてくれた。
汚れた衣類は病院の洗濯屋に出しましょうか、と言っているところへ、中井先生を紹介してくれた友人のYさんが現われた。
Yさんは3日前にお父様の外来受診に付き添って来た折、私の病室へも寄ってくれた。そのとき、術後の身の回りの世話(おもに洗濯)をしに来てくれると言っていたが、手術前に来てくれるとは思いも寄らなかった。天の助けと言うべきか。
Yさんはすぐに汚れた衣類を持ってコインランドリーへ行ってくれて、目を通しただけで放っておいた書類……手術の承諾書、麻酔の承諾書、輸血の同意書、血漿分画製剤使用の同意書……にも代筆でサインしてくれた。
私は頭痛と吐き気がおさまらず、発熱もあり、その後も数時間置きに吐いていた。
これは造影剤の影響だろうか? CTを撮るとき水平に寝たから脳に造影剤が行ってしまったとか? それとも、私の水の飲み方が足りなかったせい?
だいぶ後で知ったのだが、脊髄に造影剤を入れる針を刺したところから髄液が漏れると、中の圧力が変わって頭痛や吐き気がするという。
私も針を抜いた後で髄液が漏れていたのだろうか?
いずれにしても、木曜日に検査をして、金・土の2日間はなんともなかったわけだが、そんなに時間がたってから影響が出るものなのか。
看護師さんから知らせを受けてN先生が飛んできた。
「アンヌさん、中井先生に聞いて、明日は予定通り手術することにしていますから」
日曜日はお風呂がない日だが、翌日に手術を控えた患者は入浴できる。特に首の人は、髪を切ってバリカンで刈り上げにされるので、お風呂に入って頭を洗いたい。が、私はお風呂どころではなく、ベッドに寝たまま看護師さんたちに抱きかかえられて髪を刈られた。
夜になって熱は38度まで上がった。普通はそんな高熱だったら手術は延期するそうだが、私の足は手術を延期できないほど悪くなっていた。
休日に呼び出されたN先生は、ずっと病院に待機していたらしい。看護師さんから私の容態を聞きながら、中井先生に連絡をとってくれていたのだろう。
私は熱と疲労で朦朧としていたが、N先生が病室に来ては、「明日は手術しますから」と言うのでずいぶん励まされた。