時が解決しないこと。
世の中には時が解決しないこともあるんだなと思う今日この頃。
人付き合いの中で、うわーこの人のこういうところ苦手だなぁとか、こういうところとだけは我慢ならないなぁと思って距離を置くことってあると思いまして。
友人なり先輩なり恋人なり親族なり…。
なーんか苦手なんだよなぁと、疎遠になっている人っていませんか?
私はそれ自体が悪いことだとは全然思わなくて。
むしろ適切な距離を測ることが他人との関わり合いの上で1番大切なのではないかなと思っているくらいでして。
踏み込み過ぎないけれど、気にかけている、くらいが1番いい関係を築けている気がしています。
まぁそんな中で、どうも色々と知り過ぎて、うわーこいつこんなところあるよなぁ、どーも我慢ならないよなぁと思って一度距離をとって様子を見ていた相手がいるとするじゃないですか。
でもそれって、時がその難ありな性格を直してくれるとか、嫌だなと思うところに自分で気付いて改善してくれるとかっていう自分に都合のいいように変わってくれるわけではなくてですね。
時が解決してくれるのは多分記憶の方の"嫌だなーとか、無理だわー"っていう気持ちとかを少しぼやかしてくれてる感じでして。
相手の苦手な部分を直してくれるってわけではなくてですね。
それでも一緒に居たいなら、多分口酸っぱくその嫌だなと思うことを伝え続けるしかないし、それでもダメならあなたが我慢し続けるしかないし、それが無理だからきっと距離を置いていたし、多分その距離は適切で縮めるべきでない距離間なのかなと思うのです。
だから、時は距離を解決出来るわけではなくて、記憶をうまーくぼやかして、距離を置いてる人にも愛想良くお話が出来るための記憶操作?(笑)をしてくれているだけな気がしています。
そこを勘違いして、時間がある経ったしきっとあの人も理解して変わってくれてるはずだ!と期待して再会すると何も変わってなさ過ぎて距離がさらに離れる一方かもしれません。笑
必要なのはただ一つ。
どーしてもまた会いたいなら何も期待しないことです。笑
あーこういうやつだったなあ、そうそう、こーいうの我慢できなくて距離置いてたんだったわ、と色々思い出して、距離を置いていたのは正解だったんだ、これくらいの距離が私達には必要だったんだよねと確認をして、またねと手を振る。
きっとそれでいいんだと思うんです。
自分への戒めも込めてここに記しておきました。笑
今日はそんな、時は昔距離を置いていた相手の嫌なところを解決してることは滅多になくて、相手の嫌なところを直してくれるのはその張本人の相手だけなんだけど言わない限り気付かないし、言われても大体直らないことの方が絶対的に多いと思うので何も期待しない方がいいかもしれないお話でした。笑
それではまた来週。