孤立しなかった私の母①
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さて、今回から2回ほどに分け、少し私の母の話をさせてください。
コロンビアで父と出会い結婚した母は約45年前に来日しました。
当時は外国人もまだまだ珍しく、目立つ存在だったという母。
テレビの料理番組やドラマをとにかく観て必死に日本語を勉強したそう。
数年後たまたま出会ったスペイン人とメキシコ人の2人と友達になり、3人で日本語教室に通っていたそうです。
来日から私を出産するまでかなりの年月があったのですが、子どもを産む前と後では生活も全く違ったそう。
それまでは父の友人など日本人の知り合いは少しいましたが、日本で子育てするからには私に友達ができるよう、日本人のママ友を作らないと!と思っていたそうです。
そこで近所の公園で出会ったのが、初めての日本人の友人Sさん。
彼女も私と同じ歳の子どもがいて、子どもが水遊びをして着替えがなく困っていたところに母が声をかけたそう。
それからはSさんがお友達を紹介してくれたり、当時住んでいたアパートの横の部屋の人と仲良くなったり、どんどんと日本人との繋がりが増えていったそうです。
そんな中、発生したのが阪神淡路大震災。
私が4歳になる年の出来事でした。
それまで大きな地震を経験したことがなかった母にとって、まさに地獄のような経験であったと語っています。
私もうっすらと当時の記憶が少しあり、電気が復旧しない中ロウソクに火を灯し、神様に祈りを捧げている母の様子を覚えています。
この地震が発生する少し前、偶然、母は知人からお米が送られてきたため、家には大量のお米があったそう。
何キロのお米があったのか定かではありませんが、震災後、母はすぐにそのお米を友人たちに分けて配りました。
当時の物資の状況など今となってはわからないことがたくさんあるのですが、母が緊急時にもかかわらず大切な物資を分けてくれ非常に助かったという話を、後々私が大人になってから初めて聞きました。
そして、この当時お米を分けた相手である日本人のFさんこそ、後に私たち親子が困った時に一番はじめに手を差し伸べてくれた張本人でした。
続く
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