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娘4歳。ミュージカルで初舞台を踏んだ話

私は元々「子供と2人きりの生活」をとにかく満喫したい!わずかな時間でも一緒にいたい!というタイプの人間なので、
子供の習い事は極力その必要性を感じない以上は
させずにいた。

ただ娘が生まれ、夫と教育に関して諸々話し合いをした際に
「4歳から演技をさせる」
と決めていたこともあり、計画通り娘が3歳10ヶ月の時にオーディションを受けさせ、3歳11ヶ月で劇団ひまわりに入団した。

娘は現在も、劇団ひまわり幼稚部に所属する、団員のはしくれだ。

入団が昨年10月のことなので、実はまだ団員になって一年も経っていない。

今年の定期公演ミュージカルのオーディションがあったのは今年の冬2月末のことだった。
歌とダンス、演技のオーディションが行われた。

歌とダンスは好きなものを、とのことで
歌は手嶋葵さんの「さよならの夏」、ダンスはYOASOBI with ミドリーズの「ツバメ」を約1ヶ月家で練習し、披露した。
(演技は演技課題をその場で指示され披露する、という内容だった)

約半年の壮絶な稽古の日々を乗り越え、先日ようやく二日間の公演が終わった。
とにかく刺激と学びが多い半年間だったので、娘の初舞台までの記録を一部、ここに残しておこうと思う。

入団式の後の娘。3歳11ヶ月。

1.「稽古場に住みたいくらい楽しい」初期

娘は何でも「新しいこと・環境」を大変好む。
親に似て、ハマり性だが飽き性でもある。
そんな娘なので、大人から子供まで40人ほどの劇団員と一つのミュージカルを作る、というこの環境は大変刺激的で興味深かった様だった。

初めてのダンス、初めての歌、初めての演技。
何もかもが目新しく楽しく、目をキラキラさせて稽古場に通う日々だった。

この時の「楽しい」は、この新しい環境に身を置けたことに関する感情だったと思う。
キャストもまだメイン以外は決まっておらず、各々公演の楽曲の歌を聴いたり、ダンスの振りを覚えたり、という個人プレーが多かった。
娘も歌は聞いていたが、ダンスはほぼ手付かずだった。

親も子も初めてのミュージカル。
正直、最年少の4歳が何か台詞をもらえるとは思っておらず、ダンスも最後列で目立たない扱いだろうとたかを括っていた。

雰囲気を知れればいい。
どんなものかちょっと見れたらいい。

今考えれば、大変甘っちょろい心構えだったと思うが、当時は引っ越しがあったり、娘の園の転園があったり、プライベートの方もバタバタしていたので、家での取り組みは難しかった。

全く別の視点ではあるが、
入団時、娘にはこの「劇団ひまわり」で出会う年上の人は、基本的にお友達と思うな、と言い含めていた。

「〜です、ます」を使って話すこと。
きちんと受け答えをすること。
お礼や挨拶は必ず言葉に出して伝えること。
話す時はまっすぐ相手の顔を見て話すこと。

などなど「子どもの無邪気さをコミュニケーションスキルとして換算しないコミュニケーション手段」を入団時に教えていた。

子供の無邪気さや無知さが通用するのも、
せいぜい小学校低学年くらいまでだ。
それ以上になれば、過剰なスキンシップも可愛いタメ語も、警戒心のない人懐っこさも、
パーソナルスペースを侵す失礼な迷惑行為になりゆく。

私たちは親として「単なる習い事の場」ではなく「コミュニケーションスキル向上の場」としても、この劇団での活動を利活用しようと考えていた。

娘は私たち親が話したこれらのスキルをきちんと行使していた。

誰に対しても丁寧語を使い、自分本位な会話は避け、相手の話を傾聴する。
挨拶はしっかり行い、タメ語は使わない。

しかしこの公演稽古が始まってしばらくの間、
このキチンとしすぎた4歳は集団の中で浮いてしまっていた。
完全に周りは「なんかお利口さんキャラがやってきたよ〜」と、ドン引きしていたのだと思う。

他の幼児は、娘よりもっと気ままで天真爛漫としており、初対面の人にも甘えにいく。
思ったことを何でも口にするが、それが「小さい子らしさ」で許される「子どもによる子どもらしい子供のコミュニケーション術」である。

当たり前だが、この手のコミュニケーションは相手の気持ちへの配慮は一切なく、無尽蔵に人と人との壁を壊しにくる。

子供が持つ「愛らしさ可愛らしさ、図々しさ」は無敵だ。
他の子が演者のお兄ちゃんお姉ちゃんと距離をごりごりと詰める一方で、娘はどこかぽつんとしていた。

娘はその時一心不乱に他の子の行動を観察していたようだ。

この細かな観察が長い半年もの稽古期間中のコミュニケーション上、後々功を奏すことになる。

2.涙にぬれた地獄絵図、中期

ある程度稽古を重ねると「小学生のお兄ちゃんお姉ちゃんと自分の出来の差」を娘は認識し出した。

稽古を頑張って先生に教えてもらう通りにやるのに、何故お兄ちゃんお姉ちゃんはすぐに振りを覚えられて自分は覚えられないのか。

なんで自分の手足は言うことを聞かないのか。

同じ歌を歌うのに何故自分は長いこと息を吐けないのか。
なんで自分は下手なのか。

身体的な発達の程度が全ての原因なのだが、そこが本人としては焦ったく悔しい。

「他の人よりいっぱい頑張ってるのに出来るようにならない」

そう言って連日咽び泣いていた。

そうは言ったって仕方ないじゃないか、まだ4歳半にも満たないんだから。
スキップすら出来ないのよあなた。
とは思うものの、足を止めて仕舞えば、その苦労が成就する光は見えてこない。

「人が1日でできることを1週間かけないとできる様にならないなら、黙って1週間やり続けるまで」

と、毎日降園後2時間、一緒にダンスを踊った。
公園に遊びに行く暇はなかった。
滑り台を滑ったり、ブランコに乗る暇はない。
一心不乱に帰宅後はダンスである。

振り返れば、覚えたダンスの曲数は約10曲。
娘は、ひとつひとつ亀の歩みを重ねた。

一緒にダンスを覚える私とて、全く冷静さは保てなかった。

「他の子はダンスの動画を見て、楽しく勝手に覚えられるのに、何故私は自分自身がダンスを覚えて、それを一から教える作業を、この子の為にしなくてはならないのか」

という苛立ちは常にあったし、
昨日行ったことを今日もできず、今日やったことを明日もできない、
というこの気の遠くなる作業に付き合わされ、
正直心底うんざりしていた。

こんなに踊れないのは才能がないからではないか。
こんなに歌も音を外すのはそもそもの素質がないのだ。
こんなに報われないことを、一生懸命やる必要がどこにあるんだろう。
他に好きなことや楽しいことがあるのに、それをやらずに毎日泣かせて、私は何をさせているのか。
時間が惜しい。
この時間の使い道を間違っていやしないか。

常にこの思いが付き纏った。
いつやめさせよう、いつやめさせよう。
やめさせるなら一刻も早い方が良い。
そう思いながら、劇団側に言い出すタイミングが見つからず、時は過ぎていった。

「やめてもいいよ」
という問いかけに、娘は泣きながら
「やめない!」
と叫んだ。
「こんなに上手くならないなんて、向いてないんだよ。時間の無駄だしやめてもいいと思う」
と言うと
「やめない!!」
と大泣きしながら娘は叫んだ。

まるで地獄絵図さながらだった。

娘の「やめない!」という叫びを無視できず、
結局我々はひたむきに歯を食いしばり連日泣きながら、それでも2人で練習を重ねた。

ダンスの自主練でスタジオが開放された日には、夜の8時までお姉ちゃんたちに混じって踊った。

「私は下手くそだから、自主練やる」

と本人が言うので私も夜のスタジオに入り、一緒に踊った。
40歳手前のおばさんが4歳と一緒に踊る、そんな恥はかき捨てである。
娘の下手くそダンスを、少しは見栄えするものにしないことには、お金を出して見に来てくれる人に申し訳なさすぎる。
というか、そもそもこのままでは、ステージに出してすらもらえない。

親も子も必死である。

下手くそだけどひたむきに頑張る4歳の姿は、他の人に驚きを持って迎え入れられ、
ふと気づくと娘の周りにはダンスを教えてくれるお姉ちゃんが集まってくれていた。

お姉ちゃんたちが、娘を気にかけてくれるようになったのは、振り返ればこの頃からだったように思う。
そして、娘の中でも単なる「一緒に公演に出るお姉ちゃんたち」が「自分を助けてくれて優しくしてくれるお姉ちゃんたち」になっていったのも。

じわじわと、誰にも負けない辛抱強さとひたむきさが、彼女の下手くそだけど必死なダンスを通じて周囲に認知され始めたように感じられた。

セリフのある部分の台本、ダンスの際の立ち位置
歌の歌詞をひらがなで書いて歌う箇所をカラーリングしたもの
ダンス練習トラッカー、スケジュールなどをまとめた
娘専用のノートを作った。
立ち位置と着替えのタイミングを暗記するためのカードは
自作してラミネートをかけ、いつも持ち歩いた。


この頃ようやくキャストが決まった。
娘は最年少ということもあり、セリフはあるものの脇役も脇役、超脇役をあてがわれた。

子どもが大勢いる病児施設、その中にいる女の子、病児りんちゃん。
そしてその、りんちゃんが劇中で行う朗読劇の犬役、である。

娘は実はこの時「設定されてる年齢が近いから練習してください」と、主人公みずきの幼少期役を練習していた。
その役はソロの歌もあり、そこそこ良い役だったのだけれど、蓋を開けたら年上のお姉さんが2人、ダブルキャストでキャスティングされていた。

娘は良い役を逃していたのだ。

「え…そこそこ歌の練習したのに…?」

と思う親の心子知らずで

「他の子がやりたいって言ってたから、その子がやれてよかったよ。私は演出の人から言われた役をやるだけ」

と意にも介さないでダンスの練習を淡々と進める姿に、こちらは力が抜けるようだった。

しかしこの時、演出の方にこう言われた。

「ばっばちゃん。幼少みずき、リベンジしてください。ばっばちゃんにその気があれば、アンダーとしてこれからも幼少みずきを練習してもらいます」

なんだと…!?アンダー?

そもそも「その気」があるとかないとか以前のお話だ。
主役・脇役の概念がない娘に、
まずは演劇の中における主役と脇役の違いを説明する作業が必要だった。

脚本を読めば話は早いのだが、娘はその当時、まだ文字が読めなかった。
ひらがなすら、まだ完璧に読めないのだ。

…仕方がない。

私は脚本を頭から最後まで読み、
このミュージカルの大まかなストーリーと
それぞれの役がどういう人物でどういう気持ちを抱えて生きているのか、劇中でどんな役割を担っているのかを、
イラストを描いて紙芝居形式にして娘に教えた。

その上で、主人公の幼少期と、病児のりんちゃんの違いを理解させた。

それらを踏まえて
「幼少みずきも練習するか…」
と娘は決めた。
結局最後まで、病児りんちゃんと犬、そして日の目を見ない幼少みずきのダンスと歌も練習することになった。

日の目を見ない役の練習をやることに何の意味があるのか、私には分からなかったし、
公演が終わった今も、あれに意味があったのかはよく分からない。

決められたダンスの振りを覚えるだけでこの苦行である。
更に覚えるダンスの曲数を増やすのはキツかったし、
下手くそさが露呈するソロ歌の練習を継続することも、親としては心底気が進まなかった。

子供が勝手にやれるような年齢ならばさせれば良い。
しかし娘は4歳だ。
楽譜も読めない、音楽の習い事はしていないので音階の概念もない。

家にあるおもちゃのピアノをチンチン言わせながら、いつまともに音が取れて歌えるようになるか分からない歌を、毎日毎日練習させるのは親なのだ。

しかし「幼少みずきもやる」という娘の言葉を、この時も無視できなかった。

あまりにキツくて、演出の方に

「そもそも幼少みずきはダブルキャストなのに、日の目見ないアンダーの練習、やる意味ありますかね…」

と遠回しに仄めかす内容で相談してしまうくらいに追い詰められていたが、

「積み重ねたものは、今でなくても、来年、再来年、もしくは今は見えない未来の糧に絶対になります。ばっばちゃんが頑張りたいと言うのならば、どうか支えて応援してあげてください」

と言われた。

辛い辛いと言いながら、おもちゃのピアノをチンチン鳴らし

「音がズレてる、下手くそ。
音が取れてない歌なんて聞き苦しくて聞いてられない。
もう5回は音とったよね?
いい加減にしてくんない?
ぼーっと聴いてたんでしょ。
私の時間も貴重なんだから無駄なことに時間かけたくないんだよね。
やめるなら今からでもひまわりに電話して、さっさとやめるって言った方が良いと思うわ。
やめる気ないなら、今から同じところを10回歌って、少しはマシに歌えるようになってね。
ママは夕飯の準備するから、やり直し10回、終わったら呼んで」

と娘を泣かせる日々を、苛立ち交じりに続けた。

(私自身、実は絶対音感の持ち主で、チューニングレベルで小さな音の違いも分かってしまう耳を持っている。
そばで聴く夫は、何がズレてるのか分からないと言っていた。
今思えば娘には可哀想だったが、できているように思えないものを褒めても仕方がない)

きつかったなあ。やめたかった。
下手くそで下手くそで下手くそで。
何をやっても下手くそだった。

それでも娘は「やめない!」と言って頑張った。
1日たりとも、サボった日はなかった。

日の目を見ない役の練習をしながら、私と夫はこう話していた。

「脇役の脇役でも、病児のりんちゃんをしっかり頑張らせよう。それが例えお客さんの目に留まらなくても、一緒に舞台に立った団員の人が、ばっばのりんちゃん良かったよ、セリフちゃんと言えて頑張ったねって褒めてくれたらそれで十分、合格だよ」

と。

稽古と自主練、プリスクールの日々。
常に疲れており、隙間時間はいつも寝ていた。
プリへの行き帰りの車内でも
ずっとダンスの動画を見て歌を歌っていた。

3.「楽しい」を見出した後期

公演1ヶ月前。

娘のダンス、歌、演技は完成した。
そりゃあセンスはないけれど、全てのダンスの振りを覚え、全ての歌を音を外すことなく歌えるようになり、病児りんちゃんのセリフも、日の目を見ない幼少みずきのセリフもダンスも歌も全て出来るようになった。

彼女の努力が身をむすんだ、と言えば聞こえが良いが、おそらく彼女の身体的な発達が関係していると思う。
5ヶ月という時間が経つ中で、その時間が解決したものは大きい。
この半年の中で、娘はスキップができるようになり、スキップができるようになってからはダンスも少しずつ上手くなった。
あれ程音程が取れていなかった歌も、1ヶ月前には「完璧です」と言われる程になった。

結局、体が大きくなりさえすれば、解決することだったのかもしれない。

でも、その間にこの努力がなければここまで形にならなかったことかもしれない。
それは今となっては分からないことだが、
兎にも角にも、娘は公演1ヶ月前に、全ての歌とダンスをマスターした。

あとは歌い慣れ、踊り慣れることだけが必要だったが、それは公演が近づくにつれハードになる稽古の中で、自然と培われていった。

私が家で怒ることはなくなり、娘が家で泣くことは無くなった。

気づけば、無意識に足がダンスのステップを踏み、口が歌を口ずさみ、手がひらひらとダンスの振りをする。

ダンス中、あんなにかたかった表情が柔らかくなり、笑いながら踊れるようになった。
身体が振りを覚え、考える間もなく踊り出せるようになり、やっと娘は「楽しそうに歌い踊る」ようになった。

練習中の様子

この頃になると、公演稽古の中でも娘の立ち位置は定まっていた。

「一心不乱に努力を重ねる健気な4歳」は、
ありがたいことにお姉ちゃんたちに可愛がられる中で、
初期に観察して習得した「子供っぽいコミュニケーション術」を巧みに小出しにするようになっていた。

「私は1番歳が小さいから、お姉ちゃんたちのおもちゃになるのがいいと思う」

と娘は言った。

お姉ちゃんたちが真剣な時や他のことをしている時は邪魔をせず1人で過ごし、

お姉ちゃんたちが「ばっばちゃーん!」と笑って話しかけてきてくれた時は自分の作業をやめて、お姉ちゃんに抱きつく。

自分が家から持ってきたお菓子は
「〇〇さん、はい、どうぞ」
と、まず周りの人に配ってまわり、残ったものを食べる。
もらった時は
「ありがとうございます」
と受け取りお礼を言う。

そうすると自然と
「一生懸命で礼儀正しくて空気を読む可愛いお利口さん4歳」
という立ち位置が出来上がり、存分に可愛がられ、困った時は助けてもらえる、という娘には好都合な関係性が確立したのである。

また実はこの半年間に、
他の女の子から、結構陰湿な嫌がらせをされるという経験をした娘だったのだが
(いつかもう少し文章化できるようになったら書きたい。とても学びが多かったのだが、いざ出力しようとすると未だイライラしてしまう)
この時も

「ばっばちゃんは全然悪くないんです。周りをよく見て行動しているし、人の話もしっかり聞いてる。いつだってきちんと大人しくしていて、何でも頑張ってます」

とお姉ちゃんたちに庇ってもらえた。

「そんなふうに娘を見てくれて、娘に優しくしてくれて、そしてそれを私に教えてくれて、ありがとう」

と私が声をかけると

「ばっばちゃんがいつも色んな人に優しくしているから、私もばっばちゃんに優しくありたいと思うんです」

と尊い言葉をもらい、その言葉が胸に沁み涙を堪えた。

まさかこの最年少が、正攻法でここまで色んな人を味方につけ、人間関係を構築するとは思っていなかった。

私が見ていない長い稽古中に、娘は娘なりにあれこれ考え、立ち回っていたのだろう。

タメ口はきかない、丁寧な受け答えをする、挨拶はきちんと、相手の話をちゃんと聞く。

そんな基本姿勢は変えず、娘なりの観察力と分析力、コミュニケーション力と自己開示で、最後は皆に受け入れられ可愛がられていた。

親としては、何が起こったのか分からない気持ちだった。
「他の幼稚部さんは手がかかるけど、ばっばちゃんは本当にすごい」
とお姉ちゃんたちに言われるにつけ、
「悪いことしてたらちゃんと怒ってあげてね」
と声をかけると、
「そんなこと全然ないよ、ね!」
と娘はお姉ちゃんたちに抱きしめられていた。

そんな頃、演出の方から演者全員に課題が出された。
「役作りシート」の提出である。

各々の役の、本名や身長体重、その他もろもろの細かい設定を紙に書いて提出してください、というものだった。

娘は早速、病児りんちゃん、アンダーの幼少みずき、そして朗読劇中の犬、3役の役作りシートを作成した。

ひらがなの読みはできるようになっていたが、書くのに時間がかかるので、娘が考えた設定を私が紙に書いた。

この作業が、娘は心底楽しかったらしい。
そして、この自分で決めた細かな設定を、今度は自分の演技の中にどう組み込むか、を考えることが楽しかった。

セリフの中でどう表現するかだけでなく
視線や仕草、歌い方や歌っている時の表情、歩き方や癖、ダンスする時の表情。
役作りシートを細かく演技に落とし込み、家で練習を重ねた。

歌やダンスと違い、とにかくこの作業は楽しく取り組めた。
「演技が好き。楽しい。でも、セリフが少ないな…もっとセリフがあればいいのに」
そう娘はぼやいた。

4.そして本番

8月7日、公演1日目。
翌日8日、2回目の公演。
娘は初舞台を無事に迎えた。

バックダンサーだと思って軽々しく公演参加を決めたものだったが、
身長が1番小さいので、ほとんどのダンスをその最前列で踊った。
泣きながら体に染み込ませたダンスはひとつのミスなく、練習通りにきちんと踊れた。

役作りシートを地盤に、身につける病児の小道具も自作。
「これで病児のりんちゃんになれた」
と鼻下にチューブを装着して挑んだ病児役、朗読劇の犬役も皆様に好評だったとかで、2日目は演出の方に個別に演技指導をいただけた。

ダンスの時の振りや表情にもこだわって練習を重ねたため、それを見たお客さんが娘を指差し「あの子すごい、あんなに小さいのに」と囁くのを私はそばで見れた。
ありがとうございます、という気持ちと共に、
娘の試行錯誤が観客に届く形になって表現できたということが嬉しかった。

娘、良かったね。
全然知らない人が貴女を見てくれてるよ。
そんな気持ち。

おかげさまで最年少の旨みを存分に頂き、
色んな人に褒めてもらえる初舞台になった。
劇団員の方だけでなく、
お客さんにも先生方にも。
本当にありがたいことである。

幕が開いた時の、娘の光り輝くような嬉しそうな顔を私は忘れないと思う。
「これが舞台かあ」
そんな感動がその表情から見て取れた。
心底楽しそうだった。

あまりにハードな連日の稽古と、初日のスケジュール(9:00集合、18:00〜公演、21:30解散)の疲れがきて、2日目の一幕は覇気がなかった。

「ねえ、あなたの本番はそれでいいの?
この5ヶ月間沢山泣いたよね。きつかったこと沢山あったよね。
それをあんなに頑張って乗り越えた。
いつやめるかと思って見てたけど、やめるって言わなかった。
ママは本当に貴女のことを誇りに思う。
でも、それって今日の日のためじゃなかったの?
あの時わんわん泣いて頑張ったあなたが、今のあなたを見たら悔しがるんじゃない?」

そう言うと、眼に光が灯ったようだった。
二幕は持ち直し、親目にみても素晴らしい出来だったと思う。

ビンッビンに張り詰めていたものがぷつりと途切れ
公演翌日は40度の熱を出した。

4歳には酷な公演を強いてしまったと思う。
しかし楽しい面白い発表会の延長ではなく、初舞台にして本物に近い質の舞台経験をさせてあげられたのではないかと思う。
娘の耐性あってのことだったな。
本当によく頑張った。

公演が終わった今、娘は溌剌とした顔でこう言う。

「次の舞台はいつ?はやくまた舞台に立ちたい。できるだけ大きな、そして次はもっとセリフがある役で」

次なる目標を「3年以内に博多座の舞台に立つ」と定め、9月から日本舞踊を始めることになった。
実は少し前、娘の様子を見た日本舞踊の先生に、お誘いいただいていた。
本格的に弟子入りし、マンツーマンで日舞を仕込んでいただく。

他、ダンスはまず体の可動域を広げ、自分の体を動かすその術の基本を学ぶため、バレエを始めることを検討している。
教室を決めるまでの毎日が勿体なく、寸暇を惜しんでYouTubeの動画を再生しながら、バレエの柔軟やストレッチに取り組み始めている。

あれほど勝手に踊っていたダンスはぱたりとしなくなった。
代わりにバレエの柔軟をやり、アマプラの劇シネをテレビで見て、演技で参考にしたいところをノートに書くことを始めた。
まずはとにかく日舞を頑張らなくてはと、気合も十分だ。

娘は振り返ることなく、その目はまっすぐに次の舞台を見つめている。

日舞に向かう後ろ姿

公演後、大人の団員の方にこっそり教えていただいたことがある。

「今回の公演の流行語大賞は、ありがとう、なんです。
人から何かしてもらって、ありがとうと言う時、
みーんな、ばっばちゃんのセリフの声音を真似て、
あーりーがーとう!って言うのが、すごい流行ってて。
みんなそうして、ばっばちゃんの真似して言うたび、笑ってほっこりしてました。
ばっばちゃんの犬役、ハマり役でしたね。
稽古のたびに演技に深みが出てて、みんな大好きなシーンでした。
すっごく可愛かったです」

娘よ。やったじゃないの。
最高点をもらったよ。よく頑張った。

これからも、あなたの目指す方向へ、どこまでも一緒に歩いていけたら。
沢山一緒に泣いて、沢山一緒に笑おう。

ご褒美は欲しがっていた
ネイルセットとメイクアップセット。
じいじばあばからも
プレゼントをたくさん貰いました
大好きなお姉ちゃんと。
「じゃ、行ってきます‼️」と舞台袖へ向かう。
素敵な機会と出会に感謝

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