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挫折、そしてそれから学んだこと

どうも、後藤大樹です。

今回は『人生で一番大きな挫折体験、その時に学んだ教訓』について書いていきます。

結論から言うと、

僕の1番の挫折体験は小学6年生の野球大会で僕のエラーで試合に負けてしまったことです。

振り返ると僕の野球人生は挫折だらけの人生でした。


インドアだった僕が野球を始めたキッカケは小学3年生の時に幼稚園からの友達がこぞって野球部に入部したからです。

始めたての野球はボールは取れない、思ったところにボールを投げられない、バットにボールは当たらずで何が楽しいのか全く分かりませんでした。
ただ、ボールを投げる楽しさを最初に感じたのを覚えています。
そこからピッチャーにすごく憧れを持つようになりました。

時は流れ1つ上の先輩が引退し最高学年になった時にポジションを決めることになりました。
僕は小学生の頃は身長が高く160cmありました。
小学生にしては大きい身長だったので、ピッチャー候補になりました。
とても嬉しかったことを覚えています。

そして、僕の登板の時が来ました。
僕のチームは市内では強い方で負けることが少ないチームでした。
そのためその時の試合は5回表に登板することになるのですが、18-0で圧勝していました。
いざ投げると全く制球が定まらずフォアボールばかり出してしまったんです。
気付けば18-8で試合は終わっていました。
全部僕の押し出しでの点数でした。
もちろんここでピッチャーの道は無惨にも断たれるのでした。

その後も僕はいろんなポジションをたらい回しになることになります。
肩が強いことを監督に買われていたので次はキャッチャーをさせられることになるのですが、バッターがバットを振る状況でボールが怖くて取れずクビになり、外野なら肩を活かせるとなったんですが足が遅いためクビ。
ファーストはショートバウンドの対処が下手くそでボールを後ろに逸らしすぎるためクビ、セカンド、ショートのような俊敏な動きもできないためクビ。
残されたポジションがサードでした。
そして僕はチームの中でノーバウンドで速く1塁に投げれると言うことでサードをすることになりました。

そこから地獄の始まりでした。


みなさんは想像しているプロ野球や高校野球のサードは3塁ベースより後方で守備をしていると思います。
ですが、僕は監督に3塁ベースとホームベースのちょうど中間くらいで守備するように言われずっとその位置で守っていました。
1番ボールが飛んでくるポジションだったため毎回怖くて仕方ありませんでした。

さらに僕はそんなに守備がうまい訳ではないので強いチームと対戦する時は相手チームの監督に「サード狙え!!」と言われる始末でした。

ヒット打った快感や球を投げてアウトにすることはとても楽しかったのですが、守備がずっと嫌でした。


そして悲劇は起きるのでした…

6年生の春、市民大会があり僕たちのチームは順当に勝ち進んでいました。
そして準決勝。
隣の地区でいつも負けたことがないチームとの対戦でした。
その試合も順調に点を取り、後攻で5回の表で4-1で勝っていたんです。
そして最初の打者が打ったボールはフライで高く飛びサードの僕のところに来ました。その日はとても天気が良く日差しの影響もありボールが見えにくい状態でした。


まずは1アウトと誰もが思ったボールを僕は地面に落としてしまうのです。

そして流れが変わってしまいました。
次の打者から連続でヒットを打たれ逆転されてしまったんです。
その流れを変えることができずに5回の裏に1点も取れず準決勝で敗退してしまいました。

これは僕にとってすごくショックでした。
勝てる試合をこんな明確に自分のミスのせいで負けたことがなかったからです。

試合が終わるや否やチームのキャプテンに

「お前のせいで負けた」

とずっと言われ続けたんです。

この言葉に僕はとても傷ついてしまい、大会から帰ってから1時間以上落ち込んで浴槽から出られなかったことを覚えています。

それから僕や守備がとても嫌いになってしまいました。
守備の時のボールに対する恐怖感がより一層増してしまったんです。

僕はこの経験で、
ミスをしてしまった人は思っている以上に罪悪感を感じている。
その人を責める必要なんてないと感じたんです。

それ以降野球を心から楽しめなくなった僕は中学は惰性で野球部に入っていましたが、高校でも野球をしたいと思えなかったんです。

その時に出会ったスポーツがハンドボールでした。
野球以外にあんなに気持ちよくボールを投げることができるスポーツがあるんだと感動したことを覚えています。

また、恵まれたことに高校のハンドボール部は前年度の代にインターハイ出場していて常勝軍団として勢いのある部でした。

そんな中僕がするべきだと思ったことは声を出すことでした。
みんなを鼓舞することが僕の役目だと思ったんです。

好きなことを熱中している時に、その人の心を折るような言葉を吐くのではなく、人一倍大きい声の僕にできることはチームの雰囲気をよくするために鼓舞することだと強く思ったんです。

小学生の時に味わった苦しみを誰かが味わう必要はない。
そんな言葉でチームが1つになることはできないと思ったんです。

僕はハンドボールで、キレの良いフェイントなんてできないですし、相手のシュートを止められるだけの身長もなければ、相手を置き去りにする脚も持っていませんでした。

そんな僕が2年の時からレギュラーを勝ち取り、在学3年連続でインターハイに出場できたのはチームを盛り上げ、勝つための希望を絶やさなかったからだと思っています。

また、学生時代に意識して仲間を鼓舞していたことは社会人になった今でも活かされています。

職場での暗い雰囲気をなくすための声かけや、働きやすい職場の雰囲気を作れていると感じますし、笑顔が多い職場にすることができています。
そして、プライベートで社会人が集まるスポーツイベントなどを開催しているのですが、その時に参加者が一体となって盛り上げることができるのも過去の経験があったからだと思っています。

過去のマイナスがあったから今の僕のプラスの部分、強みが形成されたんだと思っています。

あの時はとても辛い過去でしたが、今思うとあの経験をしてよかったなと心から思っています。

過去は変えられなくても、その経験から今を、これからを変えていくことはできるはずです。

これからも腐らずに前進していきます。

ありがとうございました。






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