米1粒
実家から新米が届きました。
うちの実家は(一応)米農家なので、米はいつも送ってもらっています。
ニュースで米不足が叫ばれているこのご時世で、食に事足りていることは本当にありがたいことです。
私は祖母から「ご飯は、米粒ひとつも残してはいけない」と言われて育ってきました。食事は自分が食べ切れるだけの量にしなさい、ということです。
幼い頃はあまり理解できなかったけれど、今はわかります。
米作りは時間と手間がかかる、本当に大変なものだからです。
昔は、米作りはみんなで助け合ってするものでした。
私も小さい頃から、田植えや稲刈りの際に昼食や飲み物の準備をしたり、中学時代には作業の手伝いもしたことがあります。
田んぼの大部分は大きな機械で作業できますが、狭い場所はやはり人の手でしなければなりません。また、人と機械を併用した方が効率が良い場合もあります。
ゴールデンウイーク明けの良く晴れた日に、田んぼのぬかるみに足をとられながら、やっとの思いで田植えをしました。
育てている間も、大人たちは天気に応じて田んぼに流れる水量を調節したり、害虫予防をしたり、毎日管理をしていました。
秋には、良く晴れた空を一切見ず、ひたすらしゃがんで稲を刈ります。
田植えと稲刈りは親戚総出で、2~3日くらいやる作業なので、終わったときには妙な団結感と達成感がありました。
私は何より、田んぼの様子の変化を観察するのが好きでした。
田植えを終えたばかりで、ただ青々とした草原のように見えていた田んぼが、青い穂をつけ、やがて秋には金色の穂になっていきます。
植えたばかりの頃には青くまっすぐ伸びていた苗が、いつの間にか金色に変わって頭を垂れていく。
学校の帰り道や暇なときに、「いつご飯になるかな」と考えながら眺めていました。
辺り一面に広がる田園風景と、米を育てる大変さに思いを馳せながら、今日もまたご飯を食べます。
家にはまだ少し古米があるので、新米を食べるのは少し先になりそうです。