「Watasiは変われましたか」第1話
あらすじ
人は気づいた瞬間に変わることができる。3歳で高熱により聴力を失った澄子は、戦後の厳しい時代を生き抜きながら、聴覚障害者としての苦悩に立ち向かってきた。娘の沙羅は夢を諦めながらも、前向きな姿勢で澄子を支え続けた。物語は、澄子が意識を失い、過去の出来事を振り返る中で展開する。聴覚障害者としての葛藤、コーダ(CODA)としての苦悩、そして孫との関係を深く考える過程が描かれる。コーダ、ヤングケアラー、親子関係、毒親、親ガチャといったテーマが見え隠れするこの物語は、真実のスパイスを混ぜた心に残るフィクションファンタジーである。この物語の登場人物は、もしかしたらあなた自身かもしれない。
第1話
いつもの朝
目が覚めると、まだ薄暗い様子が部屋に広がっている。
まずカーテンを開けて窓の外を見上げる。
空はまだ夜の名残を残し、深い青色から徐々に淡いオレンジ色へと変わりつつある。遠くの地平線がほんのりと明るくなり、ゆっくりと太陽が昇り始める。
朝の静寂の中で、光が少しずつ強くなり、柔らかな日差しが部屋の中に差し込んでくる。
日差しがカーテンを透かして微かに揺れる影を作り、その温かさが肌に伝わってくる。耳の聴こえない私にとって、この静かな朝の光景が一日の始まりを告げる瞬間だ。
部屋全体が明るくなり、光の粒が床に踊る様子を見ていると、まるで光が部屋全体を優しく包み込み、一日の新たな始まりを祝福しているかのようだ。ゆっくりと一日が動き出すのを感じるとともに、なんだか気持ちが明るくなる。
ベッドから起き上がり、パジャマのままスリッパを履いて庭に出る。
外の空気はまだひんやりとしており、息を吸うたびに新鮮な冷気が肺に染み渡る。朝露がまだ葉の上に残り、太陽の光でキラキラと輝いている。庭には、私が大切に育てている植物たちが並んでいる。
庭の中央には、秋の花であるキクが咲き誇っている。白や黄色、ピンクの花が美しく、秋の風情を感じさせる。隣には、ツワブキが黄色い花を咲かせており、その鮮やかな色が庭を明るくしている。
さらに奥には、ローズマリーやセージなどのハーブが整然と植えられており、冬でもその香りが楽しめる。クリスマスローズも咲き始め、その優雅な花姿が心を和ませてくれる。
庭の隅には、南天が赤い実をつけており、冬の訪れを告げているようだ。青々とした葉が風に揺れる動きを感じると、心が落ち着く。時折、南天の実を食べに鳥たちが飛んでくる様子を見ると、自然の循環を感じることができる。
静寂の中で、風が吹くたびに葉が揺れる姿を目で追う。植物たちの香りがふわりと漂い、目を閉じるとその香りと朝の冷たい空気が心地よく感じられる。水をやりながら、植物たちに「おはよう」「気持ちの良い朝だね」と心の中で語りかける。彼らが風に揺れる様子を見ていると、まるで応えてくれているかのように感じる。この瞬間に包まれ、一日が静かに始まる。
今年で71歳になり、母が亡くなった66歳を超えていることに時折感慨深くなる。
母の年齢を超えた自分が、どのように過ごしていくべきかを考えることが増えた。母は、私が聴力を失った後もずっと私を支えてくれた。
日々の暮らしの中で、ベンチに座って私に思い出話をしてくれた。母の声は聴こえなかったが、ゆっくりとした口の動きを読み取っていた。母は手話ができなかったが、ボディランゲージが得意で、その動きや顔の表情と口の動きから母の気持ちを感じ取ることができた。
私が3歳のとき、突然高熱が続いて聴力を失った。しかし、その代わりに不思議な力を手に入れたことに気づいた。それは、自然の精霊の姿が時々見える力だった。そのことを周りにいっても理解はしてくれなかったが、植物たちが微かに揺れるたびに、その姿が一瞬現れることがあり、風が吹くたびに葉っぱたちのささやきが感じられる。この力が生涯、私の孤独を癒し、自然との深い繋がりを感じさせてくれた。それで充分だった。
11月に入り、朝の空気が一段と冷たく感じるようになった。
3ヶ月前に亡くなった愛猫のまるを思い出し、胸が締め付けられる。まるは、私が看取った最後の猫だった。まるがいなくなってから、家の中がいっそう静かに感じる。
それまでは、モモやチャチャといった他の猫たちも看取ってきた。チャチャは癌で苦しみながらも最後まで頑張った。最後の時を看取るとき、その強さに感動した。モモは甘えん坊で、私の膝の上に乗ってゴロゴロと喉を鳴らし指先や手で伝わってくる感覚が好きだった。
いっときは10匹ほどの猫を飼っていたが、彼らが次々と旅立つ度に、心の中にぽっかりと穴が開いたような気がした。朝の庭で植物に水をやるたび、彼らが足元でじゃれついてくるのが当たり前だった。その当たり前が失われた寂しさを強く感じる。
50歳半ばで猫を飼わないと決めたのは、自分の責任の範囲を考え、これ以上は無理だと感じたからだ。彼らのいない生活に慣れるのには時間がかかったが、今でもふとした瞬間に彼らのことを思い出す。
庭の隅には、母が60歳の誕生日に設置した古い木製のベンチが置かれている。
母が亡くなる前日まで、雨の日以外はいつもこのベンチに座っていた。私も時々一緒に座り、母が物語を語ってくれる時間を楽しんだ。母が私を呼ぶときは、顔を見てゆっくりと口を動かし、「す・み・こ」と優しく声をかけてくれた。その温もりがまだ残っているように感じる。
母との思い出が蘇り、少し微笑む。
時々、娘の沙羅のところに遊びに行く。沙羅は忙しい仕事をしながらも、私に対してとても優しい。
先週も沙羅の家を訪れ、沙羅と一緒に料理をした。私の得意料理である煮物を教えてあげると、沙羅は一生懸命にメモを取りながら学んでいた。糠漬けも気に入ってくれている。これから寒くなると大根が安く手に入るので、大根をつけるつもりだ。美味しそうに食べている姿を見ていると、母としての喜びを感じる。沙羅は私の手料理が大好きで、特に冬の寒い日に食べるおでんが一番のお気に入りだ。
孫娘の杏奈も小学校6年生になり、ますます成長を感じる。杏奈は元気いっぱいで、私が訪れるといつも大歓迎してくれる。
先日は学校の運動会に招待され、杏奈の応援に駆けつけた。耳が聴こえない私でも、杏奈の一生懸命な姿を見るだけで微笑んでしまう。運動会の後、杏奈は私に自慢げにメダルを見せてくれ、その誇らしげな顔を見て私も嬉しくなった。
家に戻り、朝食の準備に取りかかる。トーストにバターをたっぷり塗り、別の器にはスクランブルエッグとハム、そして新鮮なサラダを用意する。スクランブルエッグのふわふわした食感とハムの塩気が絶妙にマッチし、サラダのシャキシャキとした食感が加わることで、朝食が一層楽しみになる。香り高いコーヒーを淹れると、その香りが部屋中に広がり、心が落ち着くひと時を楽しむ。コーヒーの温かさが手のひらに伝わり、体の芯から温まる感じがする。
朝食を終えた後、スマホをポケットに入れて家を出る。お気に入りの帽子をかぶり、小さめのリュックには水筒を入れた。
玄関の棚に目をやると、趣味のトールペイントの小物が並び、今年撮った沙羅と杏奈との写真が飾ってある。その写真を見ると、家族の温かさと支えを感じることができる。
散歩は、私にとって一日の冒険の始まりだ。耳が聴こえない分、周りの景色や匂い、風の感触をより強く感じる。この静かな時間が、私の心を豊かにしてくれる。
川辺に着くと、まずスマホを取り出して空の写真を撮るのが楽しみだ。
青空に浮かぶ白い雲や、川面に反射する光がとても美しい。空の色が刻一刻と変わる様子を見ていると、時間の流れを感じることができる。写真を撮りながら、風景と一緒に空気を感じる。その瞬間が、何よりも癒しの時間だ。
撮った写真は、娘の沙羅に送る。彼女も自然が大好きで、私が撮った写真を楽しみにしている。
耳が聴こえない私は、音のない世界で生きているけれど、この穏やかな景色を眺める時間が好きだ。
風が肌に触れる感覚や、太陽の暖かさを感じながら、木々が揺れる様子を目で追い、自然との対話を楽しむ。自然の声は、目や肌で感じ取るものだと実感する。風に揺れる葉の動きや、光の変化が私の心を楽しませてくれる。
母や猫たちとの思い出が心に浮かび、彼らとの時間が私の人生を豊かにしてくれたことを改めて感じる。彼らの存在は、今も私の心の中で生き続けている。
娘や孫と過ごす時間、そして自然の中での散歩が、私にとって最も楽しく癒しのひとときであることを感じる。これからも健康で元気に過ごそうと心の中でそっと呟いた。
第2話
第3話
第4話
第5話
第6話
第7話
第8話
第9話
第10話
第11話
第12話
第13話
第14話
第15話
第16話
第17話
最終話
#創作大賞2024 #エッセイ部門
「Watashiは変われましたか」を書き終えて
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?