[前半]将来の道を狭めるとしても、私が院進する理由 #3
院進する大前提は、やりたいことがあるから
大学院に行くのは、学費も時間もかかる。
日本の大学院の場合、修士課程(博士前期課程)が2年、博士後期課程が3年かかかる。
生活費などをいろいろ考えて、1年に100万円かかるとしても、5年で500万円かかる。
博士後期課程を修了するとき、私はその博士号と博士論文の背後に、いろいろなものを得るだろうが、500万円と5年を費やしていることになる。
それに見合うだけのものというのは、そのことをもっと知りたいという情熱だ。
その情熱が、費用や時間といったマイナスの部分を埋めてくれる。
私も、大学院でやりたいことがあるから、大学院に行く。
これは「院進する理由」ではなく、「それ以外の道を選ばなかった理由」を考えていく記事です
それでも、そんな当たり前のこと以外を、今日は話してみよう。
私がなぜいまやりたいことを見つけ、それを研究したいのかということは、また書いていこうと思う。
「それ以外の道を、私が選ばなかった、あるいは選べなかった理由」について書いてみる。
「選ばなかった」と「選べなかった」はほぼ同義なのだが、それについても書いていく。
なお、この記事は長いので、前半と後半に分かれている。
院進は、少数派の選択肢を選ぶということ
私の学部は、9割以上の学生が就職し、そのまま社会人となり、大学院と無縁の生活を送る。
残りの1割は、海外留学に行ったり、ワーキングホリデーに行ったり、大学院に進学したり、就職浪人をしたり、フリーターなどで労働に縛られない生活を送ったりする。つまり、仮に90%が就職するとしても、残りの10%がそのまま大学院に行くわけではないのだ。
多くの学部は、大学院進学者が半数を超えるということはないのだろう。だから、院進は少数派が取る選択ということになる。
院進することで、進路が狭まる可能性もある
少なくとも理系の一部分野なら、大学院で学んだことがそのまま就職活動や企業での勤務に活かせるようなところであれば、院進することで進路選択の自由が広がることもあるかもしれない。
しかし、文系なら、大学院に行ったところで、就職先が増えるわけでもないという現実がある。文系でも理系でも、博士後期課程に行ってしまうと、アカデミア以外の場所での親和性が悪くなる場合がある。
以上を考えたうえでも、私はやはり大学院に行きたい。どこの国、どこの大学というのはまだ決めていないが、とにかく大学院に進学し、博士後期課程に行き、博士号を取りたい。
私には「普通の人生」が選べなかった
中学生くらいまでは、「普通の人生」というものをなんとなく思い描いていた。
それを自分がそのとおりにやるかやらないかは別にしても、「人生ってたいがいこういうものだよな」というのを思い描いていた。囲碁で言うところの定石みたいなもの。従っても従わなくてもいい。そういったものを、私はなんとなく思い描き、そしてなんとなく拒絶していた。
大学に入り、就活をして、卒論を書いて、大学を卒業して、一般企業に就職して、そこで彼氏を見つけて、結婚して、こどもを産まない選択をして、老後までなんらかの企業に入ってそこで(あるいは同業他社を転々として)正社員にはじまり正社員に終わる人生を送り、老後はゆったりとした暮らしをする。
私はこどもに興味がなかったし、それはキャリアを中断しかねないので、こどもはほしくないと思っていた。いまは、配偶者ができたらそのひとと相談して、最良の結果を掴み取りたいと思っている。
なんとなく「世間が言う普通の人生」に私なりの要素をちょっと加えたものを、頭の片隅に置きながら、それを拒絶していた。
それは私の好奇心を刺激しなかったからだ。
それは「普通の人生を選ばなかった」理由になるだろう。それは半ば「選べなかった」と言ってもいい。その理由は後述する。
農家と会社員にはなりたくないと、昔から思っていた
将来の道というのは、「これがやりたい」というもので選ぶだけではなく、「これはやりたくない」という方からも選ぶことができる。
今日は、アカデミアを目指す私が、アカデミア以外のいくつかの職業を選ばなかった理由というのを書いていく。
「一般企業には入れないな」と思ったことはなかったが、私が一般企業で働いている姿がまったく想像できない。昔から今まで、やりたい職業はころころ変わっても、「会社員と農家だけは嫌だ」という思いは変わっていない。
農家になるという選択肢が途絶えた瞬間
農家が嫌なのは、幼いころからニュースで「台風が来てハウスが大きな被害を受け、その年の収穫がゼロで、再起までに数年かかるという現状に打ちひしがれている農家の方」の映像を嫌と言うほど見てきたからだ。農家にはやりがいもあると思うし、大きくなったいまとしては、災害に遭ったとしても、自助・共助・公助でどうにかなる部分も(少なくとも一部は)あるということもわかっている。それでも、ニュースで繰り返し見た、「私はすべてを失った…」という打ちひしがれた感情が伝わってくるような、あの顔を見ると、ほんとうに気の毒でこっちまで胃が痛くなる。
会社員になるという未来が見えない理由
会社員になりたくない理由というのは、個人のやりたいことよりも、会社としての未来を考えなければいけないということが大きい。そして、私からすれば「意味のないこと」を会社(とくにJTC)ではやらされる、ということもある。
たとえば、ごく一部の企業では、毎朝従業員を集め、社訓を読ませるらしい。その時間があればPCの前に向かって業務をしたほうが効率的だろう。また、友人が勤めていた企業(JTC)では、はんこを忘れたために自宅まで帰らされて、取りに行かされたという話を聞いた。その時間にPCの前にいたら、まだ有意義な時間が過ごせただろう。また、ニュース番組で見たのだが、毎朝の朝礼と称して、「今日もお客様を笑顔で迎えましょう!」などと話をするような会社もある。そこはスーパーマーケットだが、客を笑顔で迎えることよりも、すこしでも安く質の良いものを仕入れたり、あるいは客が欲しいものをすぐ探せるようわかりやすい売り場にしたりするほうが、はるかに大切だと思うのだが。
私は実現できるかできないか、面白いかくだらないかは置いておいて、面白いアイデアを考えるのが好きだ。たとえば、こんな施設を作れたら、地域で孤立するひとの居場所になるだろうとかそういったものだ。そして、「これがこうなったらどうなるんだろう」と考えるのも好きだ。たとえば、育毛剤のCMを見て、「これを髪の毛がたくさんあるひとがつけたらどうなるんだろう」と想像していた、あるいは「もし100万円あったら、全部本代に使ってみたいな」と想像していた、そんなこども時代を過ごしてきた。
長くなるので、ここで前半を切ろうと思う。
後半の記事はこちら: