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死んだ祖母を目の前に生きるについて考える


生きるって、死ぬってなんだろうか。
今さっき生き絶えた祖母を目の前に考える。
95歳、大往生、幸せな人生。
周りの人はきっとそういうだろう。
大往生とは?幸せな人生とは?果たしてなんだろうか。

もう何度も聞いた「おばあちゃんそろそろかもしれん」
その度に慌てて駆けつけ、涙を流し、一週間近く側にいては次第に復活を遂げる祖母に(旅行キャンセルしたのに!バイト休んだのに!)と、何度心の中で悪態をついただろうか。
昨晩もうそろそろだからと集められたもののどうせ今回も復活するのだろう。そう思っていた。
お医者さんの診断であと一週間ほどと言われた時は(ほら、やっぱり。)と、心の中で呟いた。
時間がある人間の宿命、祖母の見守り番を任せられ、暇つぶしに英語の勉強をしていたら急に呼吸が弱くなって、動いていた首筋が動かなくなって、手を握って話しかけると反応はちゃんとあって。
4回ほど口をぱくぱくさせた後、祖母は動かなくなった。
18:03の話。
いつ死んだのか分からない。
銃で撃たれたみたいにその瞬間が分からない。
私が話した言葉をどれだけ聞き取ったのかも分からないうちに祖母は死んでいた。
そこから親族に連絡して、代わりばんこに挨拶にくる施設の人たちにお礼を言い、今医師の死亡確認を待っている。
祖母が横たわるベッドの前に座りながら。
ドアの向こうからは晩御飯を食べながら楽しそうに話す入居者の声が聞こえる。
今一つの命の日が消えたというのに。

私にとっては非日常だけれど、ここでは日常なのだろう。
施設の人も慣れた手つきで体を吹き上げ、冷房を入れ、不要になった命の綱達を片付ける。
私にとっては大切なおばあちゃんだけれど、ここの人達にとっては一入居者にすぎない。
「息が止まりそうだからみんな来て」
1時間前に連絡を入れた。
既読はみんなついている。
けれど部屋にはまだ祖母と私の2人きりだ。
10分あれば来れる距離に住む親戚も、30分あれば来れる従姉妹も、誰も来ない。
挙句日の息子である叔父からは「仕事だから後2時間はいけない」
事の状況をよく理解していないであろう姉からは「今日は家から動きたくない」と連絡が来た。
そんなもんだ。そんなもんなのだ。
みんな"死んでしまった人の為の時間"よりも"生きている自分の時間"を優先するのだ。
理解は出来る。充分に。
ただ寂しいなとも思う。

自分の人生はとりわけ美しく感じる。
お伽話のように胸弾むものでなくても、歴史上の人物のように偉業を成し遂げていなくても。
そう思っているのは自分だけで、別に今私が死のうがなにも変わることなく回っていく。
その場では涙を流す人たちも、明日になれば、一週間後には、何事もなかったかのように日常に戻るのだ。
分かっていても、いざそんな光景を目の前にすると改めて人生の虚しさを感じる。
この後は手続きをしてお葬式をして、火葬場で焼いて、祖母は灰になるのだろう。
業務的なお悔やみの言葉を貰い、業務的にサービスを受けて。
施設の人たちが見送ることが仕事であるように、花を飾ることが仕事の人がいて、火をつけることが仕事の人がいて。
そんな仕事を渡って渡って祖母の人生が終わる。
もう友達もこの世にいない。
祖母の唯一の妹も遠く離れた土地で管に繋がれ順番を待っている。
見送る家族がいるだけ幸せだ。
みんなはそういうけれど、祖母は本当に幸せだっただろうか?
それは祖母自身ですら答え合わせができない。
もう彼女はゼロになってしまったから。

私はどういう死に方をするのだろうか?
いつどこで死ぬのだろうか?
悲しいことに死に方は選べない。
幸せな死に方だと言われても、悲しい最期だと言われても、私自身はその瞬間を見ることは出来ないし、喜ぶことも悲しむことも出来ないのだから。
だから"今"を生きるしかない。
自分の"心"を満たすしかない。
結局ありきたりな結論に至るけれど、結局はそういうことなのだろう。

20:04
医師が来た。祖母の死亡確認がされた。
部屋にはまだ誰も来ていない。
生きて死ぬなんてそんなものだ。

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