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必要なのは、ほんのすこしの想像力【ミソジニーと人権】

みなさんこんにちは。ギャプライズの坂口です。

最近、見たい映画がありまして

「82年生まれ、キム・ジヨン」

こちらは数年前、韓国で社会現象を起こした小説が原作です。

■あらすじ
世界が広いと信じていた子供時代、女性としての生きづらさを初めて知る少女時代、必死に勉強して入った大学から就職への壁。結婚・出産で会社を辞め、社会から切り離されていくような気持ちを抱える日々、そして再就職への困難な道――。女性なら誰もが感じたことがあるであろう場面を積み重ね、ジヨンの人生は描かれる。観客はその人生に共感し、絶望し、彼女を応援し、そして映画でジヨンが選んだ生き方に、きっと未来への希望をみつけるはずだ。

あらすじだけ見ても怒り狂っちゃいそうなので、夜に見る予定です。笑

まだ見ていないので、映画についてはあまり書けないのですが

思い出したように女性・男性差別という概念に対して、書きとめたいなと思いました。

韓国での女性の権利向上に対する関心は熱くなっている

この作品が流行ったことで
「人権平等性のリテラシー」が韓国内で向上したのか
「人権平等性のリテラシー」の土壌があったから流行ったのか
正直まだ私にはわかりません(勉強しておきます。。)

個人的推測としては
昔から韓国の方は、日本に比べて「言いたいことははっきり言う」傾向があり、この国民性が「人権平等性のリテラシー」の日本との差、を生み出していると思います。


韓国の地を踏むたびに、韓国では女性蔑視を感じる瞬間が少なくなっていることを実感します。
ex.本作品含む文化作品(音楽なども)での女性のエンパワメントを謳うものが流行
ex.生理用品など女性ターゲット商材のCMでも女性のエンパワメントを謳う

女性蔑視の減少、ということは男性蔑視の減少ということにも同義でしょう。女性蔑視に対して怒る女性の矛先は男性にいってしまうので、二次災害がなくなります。

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男女は違いを受けいれ支え合うための存在であるはずが、
憎しみ合ってしまっては社会的にも機会損失である

日本の現状?

先日、某タレントの「差別なんてしたことありません」発言が話題になりましたが「差別なんてしたことありません」
と言い切ってしまうことで、自分自身を省みないというのは非常に危険です。

「無意識的に個人ないしは社会で
女性差別を含む差別をしているかもしれない」

という考えを持つ必要があるかと思います。
(あまり、べき論はしたくないのですが、「疑う姿勢」というのは何事にも重要です。)

今思いつくかぎりですが、女性の私が思う日本社会におけるミソジニー的違和感は下記です。
(世界でも同じような事象はありえると思いますが、日本でしか社会生活を営んでいないため、「日本社会における」という表現にしています)


・結婚や育児・介護でキャリアを諦めなければならない女性がいること
・女性にだけ子供が生まれた場合の就業継続意思を質問すること
・謎の「ママ神話」(パパはどこいった?案件)

こういった固定観念を男女ともに持っているからこそ、
次の世代へも、固定観念として継承されてしまいます。

何がこの構造を生み出しているのか

私の経験上ですが、

■祖父母の世代(昭和初・中期)は家父長制がまだ色濃く、女性が意見をいうのも難しい時代。辛いながらも「女性の宿命」として受け入れた。

■父母の世代(昭和後期・平成)は1985年に男女雇用機会均等法が制定され、女性の活躍が進む中、【結婚育児介護は女性がやるもの】・という「当たり前」に悩まされつつ、それを受け入れた。

そんな時代を祖父母・父母それぞれ生きてきたように感じます。

※誤解を招くかもしれませんので補足。
「受け入れ」ること自体が悪いということではなく
100歩譲って女性が家事育児という役割を「受け入れ」て、専業主婦になっても家計が回る時代だったからこそ通用する当時なりの役割分担であったのだと思います。

一方私は、生まれたときにはバブル崩壊、就職氷河期、リーマンショック
といった時代を幼少期に過ごします。

少なくとも私が大人になった現在、
父母らのように「こどもを複数人、男性が働いて女性は専業で育てる」という、かつての「当たり前」のような人生を送ることはカンタンではありません。

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結婚・子育ては贅沢品、とすら言われる時代


そんな贅沢品を所持したのが悪い、といわんばかりの社会で
出産後、育児との両立が難しくキャリアを諦める女性はやはり存在します。

すこしの想像力を働かせる

私を含めた多くの女性は、現状の日本社会の構造を受け入れた上で対処していると思います。

ここまで女性蔑視中心に書いてきましたが(スミマセン)
男性が感じる生き辛さ(「早く世帯をもてハラスメント」「男なら泣くな」「痴漢などの冤罪やセクハラのリスクマネジメント」)もあると思います。

しかし、

男だって大変だ
女だって大変だ

と片付けては平行線です。

・結婚や育児・介護でキャリアを諦めなければならない女性がいること
・女性にだけ子供が生まれた場合の就業継続意思を質問すること
・謎の「ママ神話」(パパはどこいった?案件)
・早く世帯をもてハラスメント
・「男なら泣くな」
・痴漢などの冤罪やセクハラのリスクマネジメント

今までのこの違和感、
人権侵害ではないか、と考えて見てはいかがでしょうか。

「この言葉を言ったら相手はどう感じるだろう?」
と踏みとどまる

その、ほんの少しの想像力が、あらゆる差別や現代の生き辛さを軽減させていくはずです。

おわりに

この負の連鎖はなんとしてでも私たちの代でストップしたいです。

とはいっても、自分自身では気づかずに差別的な観念を持っている可能性は大いにあります。
女性の私ですら、そう思うことがありました。

「女らしく」

「男らしく」

そんなつくられた「らしさ」や「生き方」にとらわれず
ひとりひとりの幸せを尊重する、選択肢をつくっていくためには

(男女)差別をなくす、という目標ではなく

ひとりの人間として、お互いが幸せに生きることのできる社会を目指せば

きっと実現できる、そう思います。


お読みいただきありがとうございました。

*参考文献

・『選択的夫婦別姓制度は何故実現しないのか : 「女性活躍推進」の陰で』:笹川 あゆみ(2019)
https://ci.nii.ac.jp/naid/120006646602/


・『結婚の意思決定に関する分析
~「結婚の意思決定に関する意識調査」の個票を用いて~ 』:内閣府(2016)
http://www.esri.go.jp/jp/archive/e_dis/e_dis332/e_dis332.pdf



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Anna Sakaguchi@新卒ママ
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