なぜ私は編み物をするのか

まず、前回の陰気全開の記事に、反応をいただけるなんて本当にびっくりしています。
ありがとうございます…。
まさか、ネットの海のすみっこにいる私の話を、見つけてくれるとは…
大変ありがとうございます。
これからも、系統のバラバラな話題を思いつくまま書いていくつもりですので、ぜひ興味をもってくださる方、これからもどうぞご贔屓のほどをば…

それでは、本編へ

私は編み物が好きである。愛している。
うちに帰れば、自由に使える時間はほぼ編み物に費やしているし、家は毛糸とキットで山積みだ。(私の憂さ晴らしはchocoshoeというネットでのキット販売のページでキットを爆買いすることである。)
かぎ針編みも棒針もする。特にセーターや帽子などの身につけるものを作るのが好き。作ったセーターをしまうスペースが徐々になくなってきて、非常に困っている。

どうして私は、ここまで編み物が好きなのだろうか?
それについて考えたとき、一つ答えにたどりつく。
それは、
「簡単にやり直せて、一人でできて、やっただけ成果が目に見え、しかもそれを身につけることができる」である。

よく考えてみると、今まで私が尽力してきたことは、のちに残って見たり触ったりできるものがなかった。
例えば、音楽。幼い頃からピアノや合唱を習い、音楽の中高の免許は手に入れられるくらいの力は着いたけれど、形にならない。一回放った音は、いくら録音をしたものを聴いたとしても、もはやその場にいた人が聴いたものではない。(そもそも、ただ音楽を楽しむというより、幼い頃からプロフェッショナリズムをかなり強要される状況で音楽をしていたので、それが結構しんどかった、というのもあるかもしれない…もちろんその環境に感謝している部分もあるのだが)
次に、演劇。
高校時代、演劇部に所属し、演出したり台本を書いたり(県の創作脚本大会で賞をもらったりもしたのよ)、たまに演技したりしていた。正直、高校時代はトータルで言うといろんな意味で地獄だったが、演劇部のおかげで地獄が若干楽しくなっていた。というか、高校生活の部活以外の部分が地獄であればあるほど、病めば病むほど、演劇にのめり込み、アイデアがどんどん湧き出てきたように思う。(この話はまたいずれ…)
しかしながら、これもまた、実際に演者が目の前で演技をする、そのハコ(劇場)の中の同じ空気を共有している感じが楽しいのであって、録画したものを観るのでは、楽しさ半減である。それに、ひとりではできない。人数がいても、志を共にする仲間が集まらない限り、作品を作り上げることはできない。

そんなふうに、いろんなことを頑張ってはきたけれと、なんとなく心にぽっかりと穴が空いたような私が、たまたま母に連れられて手芸屋さんに入り、かぎ針のポーチのキットを購入したところから、今の編み狂い人間が誕生したのである。

物が作れるってすごい!美しい上に着ることができるし、人にプレゼントもできる。すごい!楽しい!

ということで、いつか、私がどのように編み物にはまっていったのか、そのきっかけとなる毛糸や本などを紹介していけたらなと思う。
次もまた読んでくださるとうれしいです。
それでは、また。

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