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インドネシア滞在記⑲現地調査の話

 私の調査地は、グヌングデパングランゴ国立公園の登山道の入り口にある「グヌンプトゥリ」という小さい村だった。ボゴールからはアンコットを乗り換えながら5時間くらいで、そこからは車道がないのでバイクタクシーで一気に山道をかけあがる。住民のほとんどが畑で野菜を作って生計を立てていたが、自分で畑を持っている人と持っていない人の暮らしは全く違っていて、なんとかその日暮らしをしているような人もたくさんいた。
山の麓なのでいつもひんやり冷たい空気に包まれていて、しょっちゅう雨が降っていたが、朝は段々畑から朝日が昇り、それはそれは美しい景色だった。

 私はその村の村長さんの家に約1か月間滞在させてもらい、国立公園保護に関するデータを集めるために、約60世帯を一軒ずつインタビュー調査をして回った。きちんと調査許可があるとはいえ、見知らぬ外国人がドアをノックしてちょっとインタビューさせてもらえませんか?なんて言うのだから、最初は当然のことながらかなり警戒される。丁寧に自己紹介をすれば大抵の人が親切に協力してくれたが、私はまるで遠い星から来た宇宙人みたいだった。段々、地球人と仲良くなるという大事な使命を背負っているような気持ちになってきて、毎回ドキドキしながらドアをノックして回った。
そんな宇宙人を温かく見守ってくれた人もいて、インタビューで訪れた家のお母さんが、私が通るたびに声をかけてくれて、お昼ご飯食べてないでしょ、と言ってブロッコリーと卵が入ったインスタントラーメンをよく作ってくれた。この味はちょっと忘れられない。温かいスープに、孤独な心が溶けていく気がした。

 なんとかすべての世帯を回り終えたが、それができたのはある男の子との出会いのおかげだったとも言える。この村ではスンダ語という地方言語が使われており、インドネシア語がほとんど通じなかったため、私は急遽通訳ができる人を見つけるところから始めなければならなかった。
その高校生くらいの男の子とは、訪れた家の一軒で出会い、お母さんは何軒かの畑を掛け持ちして、小作人として働きながら生計を立てていた。お母さんの手伝いをする姿や、礼儀正しくインタビューにも答えてくれる姿を見て、私はなんとなくこの子なら通訳をお願いできそうだと思い「お金を払うので、仕事として通訳をお願いできる?」と聞くと、2つ返事でOKしてくれた。村のこともよく知っていたし、彼がしっかり仕事をこなしてくれたおかげで最後まで調査を乗り切れたのに、どうしても名前が思い出せない。

 その男の子とは、調査の途中で色んな話をした。お母さんが一生懸命野菜を作っているのに、野菜は美味しくないから食べないと言うので、病気になるからちゃんと食べた方がいいよ、と笑いながら話したこともあったけど、将来何かしたいことはある?と聞くと「ジャカルタに行きたい」と言う答えが返ってきたことがあった。私はなんか質問の意図と違うぞと思ったけど、ジャカルタに行けば多分色んな仕事があって今よりお金を稼げると思うから、と言っていて、彼なりにきっと色々考えてその答えが出てきたんだなと思い、じっと黙って聞いていた。今、彼はどこでどんな暮らしをしているんだろう。

 調査を終えたころには、毎日寒い中氷水のような冷たい水で水浴びをしていたので、すっかり風邪を引いたままになっていた上に、ずっとインスタントラーメンばかり食べていたので体がボロボロになっていた。その体を引きずって、重たいリュックを担いでまたアンコットに乗りこみ、渋滞に巻き込まれたり、車がエンストして山の途中で降ろされたりしながらなんとかボゴールまでヘロヘロになりながら戻った。
ふらふらになった頭で、アンコットに揺られながら、私は多分研究者には向いてないなと思った。ネットも何もない農村に一ヶ月滞在するなんてもう二度と無理だと思ったのもあるが、そこに暮らす人々のリアルな生活を前に自分の無力さを嫌というほど体感したし、やっぱり私は宇宙人のままだった。
でもその代わり、もっと小さなことでいいから今回お世話になった村の人たちの暮らしが少しだけ豊かになるようなお手伝いなら自分にもできるかもしれない、と思った。例えば通訳をしてくれた男の子が、お母さんが作った野菜を美味しく食べれるようになる、とか。

 そして、私は就職活動をするときにインドネシアに拠点がある食品会社を受け、今の会社で働いている。今はインドネシアで仕事をしているわけではないけれど、私がしている仕事が巡り巡ってその小さな村に届いていたらいいなと、今も思っている。


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