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「家族熱」

時々、父と母の病院の検査に付き添う。

本人以外の家族も一緒に、その日の結果や、これからの治療などについて聞くことになっているので、私が付き添いで行っている。

父も母も症状は違うが、何故かお互い良性の脳腫瘍が同じ場所に出来ている。
医師も、なぜ夫婦で同じ場所に?と
首を傾げる。

父と母が喧嘩をしているのを私は見た事がない。

2人は同郷で小中高と一緒。
母は高校卒業後、地元でOL、父は東京の大学へ進学し、卒業後も東京で就職したが長男ということもあり、実家の家業を継ぐため地元に戻り、その後 母と結婚。

高校では三年間同じクラス、結婚してからも二人三脚で働いて来たので、良性の脳腫瘍まで仲良く一緒だ。

良性の腫瘍。
それが原因と思われる血流の悪さから
来る、体調不良や気分の変化が時々
現れるようになったのが二年前。

腫瘍自体は悪性に変わることは滅多に
ないが、一年に一度は腫瘍に変化が
ないか、MRIなどで調べる。
脳血流への影響で、仕事は出来るが
認知症に似たような記憶障害が時折
出る母は 心理検査も受ける。

父は車を運転するが、罰金を取られるようなことが続けて起こったので、身体の反応や、脳の判断能力をチェックする
診察も受ける。

2人とも脳血流を良くする薬を毎日飲むよう処方されてから、随分と良くなってきた。

父とは、私が思春期の頃 激しく確執が出来てから、私は一緒に住むことが
出来ない。

16才まで叩かれて育ったことで、
今だに父に威圧感を感じると、お腹は空いているのに、何故か食事に手を付ける事が出来ない、どうしても飲み込むことが出来ない、などのストレス性の症状が出ることがあった。

今は近くに住んで用事のある時に会って、お互い別々の家に帰る。
それが丁度心地良い間柄になり、
父とは随分 色んなことを話せるようになった。

父は博識で勉強家で多趣味で、何を聞いても知っているような人で、ユーモアもあり話しが面白いので、今では私は父が大好きだ。

母は、私がお腹にいる頃から仕事が忙しく、以来 今現在もずーっと忙しいので
まともにじっくり話しをした記憶や
相談を聞いて貰ったような記憶がない。
それでも母は家事をこなし、ほとんど休みも無いのに趣味も楽しんでいた。

私と弟の世話は、祖母と呼べるような
年齢のベビーシッターさんが引き受け
ていた。
その方は私が20才の時に病で亡くなった。

その方がもう長くはないと分かり、
両親とお見舞いに行った帰りの車内
でも途中で入ったレストランでも、
私はずっと泣いていた。

癌でもう長くはないことを、本人に
伏せてあったから、悟られまいと
小さくなった体に、「また来るね」と
病室を出た途端、涙が溢れた。

その時、母は私に「なぜそんなに泣くのか解らない、怖いものでも見たのか」と笑っていた。

私は心の中で「私の育ての母が死んでしまうから泣いているんだよ」と思って
いた。

それでも母は、忙しい中で
私と弟が中学に入学し高校を卒業する
まで毎日お弁当を作ってくれた。
小学校は給食だったので、朝は私が
近くのパン屋さんで買ってきたパンを
弟と食べた。

参観日や運動会にも出来る限り顔を
出してくれたし、家というものを、
家族というものが、崩れないように
真面目に支えてくれていたのは母だ。

その凄さが思春期のころの私は解っていなかった。

母は忙しくても、眠る前に手芸の
パッチワークをするのが好きだった。
毎晩コツコツと手で縫って作品を
作っていた。
その腕前はプロ級でパッチワーク教室の先生が母の作品を見に来たりしていた。

母は作品をお金儲けにしたくない、と
売ることは無く、もっぱら欲しいと
言う人にあげたり、バッグやポーチ
などは自分で使っていた。

腫瘍が出来た頃からは、集中力が
続かないと言って、ぴたりと辞めて
しまった。

父も油絵やフルートを独学でやったり、
日本画を習いに行ったり、植物に
関しては博士のように詳しく、アイデア商品を作って消防署から賞状を頂いたり、体の細胞や、宇宙のことや、爆弾の作り方まで何でも教えてくれる。

人知れず、町のゴミを毎朝拾ったり
家族も知らない善意をあとから
人づてに聞くことも多い。

ただ、UFOの呼び方や、神様を見る
方法などの父の作り話を真に受けて
私と弟はすっかり騙されながら
真剣にやったりしていた(笑)

父と母の人生も後半にさしかかり、
そろそろ終盤だ。
どんなに無名な市井の人にも
それぞれ悲喜こもごもの人生がある。

何も親孝行出来ない娘だったな、、と
家族で暮らしていた頃を振り返りながら、なぜか涙が溢れる。
後悔のようでもあり感謝のようでも
あり懐かしさのようでもあり。

愛憎入り混じろうとも、一緒に住んで
いなくとも、他では考えられない涙が
出るのはきっと「家族」だからだ。

作家の向田邦子さんが「家族愛」では
なく「家族熱」と表現した意味が
今はよくわかる。

この面倒でややこしく、不安や悲しみ
の元凶にもなる「家族」を私は一生
背負いながら、このやっかいな「家族」という小さな集合体を、きっと死ぬ
まで愛してやまないのだと、最近
つくづく思っている。

#親子 #親子関係 #家族熱 #家族



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